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心得: 本音で語ること

数年前に作成したアカウントが残っていたので、これを活用して記事書きをやっていく。(朧げすぎるが、旧友とカフェかどこかで何かで意気投合し、その場でnoteのアカウントしたんだと思う。コロナ禍だから違うかもしれない。)

と言っても、知識の共有や蓄積を目的した記事というレベルのものではなく、自身の感情や考えを整理するために、始めてみる。

自戒を込めて、心がけることは「本音で語ること」。

きっかけは、これまで、「承認欲求」「自尊心」を満たすために、「優秀でなければならない」という思想を自分に課すことで生きてきたことに、自分と向き合う中で気づけたからである。いわゆる完璧主義の思想である。

これを信仰することで、これまで、人一倍努力しようと思えたし、その結果、成長もしてこれたと思う。ただ、今回何もかも休まならなけばいけない状況に至ったことを考えると、ここまでが限界なのだと思う。

このタイミングで、自分の考え方や生き方自体を見直すべきだというお告げなのだと理解し、色々と再発防止策を考えてみた。(この思考パターンに、このタイミングで気づくことができてよかったと感じている。)

その一つが、「本音で語ること」である。

私の気質の一つに、「共感性が高い」という項目がある。相手の話に共感できることで、良い人間関係を築けたり、貴重な話を聞けたりとプラス面もたくさんあるのだが、自分の主張よりも相手の主張を尊重するあまり、自分の意見をあまり言わないのである。もちろん、聞かれれば答えるのだが聞かれるまでは答えようとしない。

その結果、話を聞く側に回ることが増え、自分の考えや気持ちを伝える機会が減る。こうして、言語化能力はどんどんと衰えていくし、さらには口を開くことに対して恐怖すら感じるようになっていた。

「誰も思いつかないような斬新で明快な意見を言わなければいけない。」「相手に喜んでもらう、寄り添うためには、どのような言葉を紡ごうか。」
などと考え、自分の中でのハードルをどんどんと上昇させ、時間が経過する。

こうして書いていると、なんて自分よがりで自意識過剰なのだと気づくが、これを無意識にやってしまい、このスパイラルから抜け出せなくなっていた。

そのため、「考えすぎて、発言するのを躊躇してしまう行動」を改善するために、noteを活用して「本音で語る」練習に取り組みたいと思う。

最後に、この練習を通して、得られると良いなと思っている効果は、
「言語化力を向上させること」「完璧主義から少しずつ離れること」
の2つである。これでは、評価困難で達成できる気がしないので、方策は一応考えてあるので、またどこかで紹介したいと思う。

記事にする内容も何も決まっていないが、量や質に拘らずなんでも書いていきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。



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