動物・人間・信仰 ー AURORA “Running With The Wolves” より
ノルウェーの歌手・AURORAの「Running With The Wolves」がとても好きだ。
月夜の荒野を狼たちと一緒に駆けて、駆けるほどに自分も狼や月夜と一体になっていくようなイメージの曲なのだけれど、そのコーラスが、
「I'm running with the wolves tonight
I'm running with the wol, wol, wol~」
2回目の「wolves」が崩れて、遠吠えのようになる。
「wolf」という単語と、うぉーんという遠吠えの擬音が自然と交差して、月の照らすとても古い時代の広野が幻視される。
ところで、ここ半年、動物を主要素にした小説をいくつか読んでいて、
古川日出男「ベルカ、吠えないのか?」の犬を始めとして、
同じく「聖家族」の鳥、「馬たちよ、それでも光は無垢で」の馬、
それから、
アントニオ・タブッキ「島とクジラと女をめぐる断片」の鯨、
管啓次郎「狼が連れだって走る月」のコヨーテ、
多和田葉子「北極を想う日」のホッキョクグマ、、、
人間の社会があまり好きではないので、動物の世界の単純な意志に憧れます。
先日は、池袋の古代オリエント博物館に行ってきたんだけれど、
さまざまな土器が、動物を象りデフォルメした造形や模様によって装飾されているのをみた。
羊や馬、牛などを象った護符を始め、壺の注ぎ口に牛が置かれたり、杯が羊や山羊の頭になっていたり、甕に魚やグリフィンの絵が描かれたり、あと蛙の造形が多かったのが意外だった。
日用品には、家畜などの身近な動物が多い印象だったけど、
信仰の対象、特にエジプトの神像などをみると、狼頭の男神や蛇の下半身をもつ女神など、野生、あるいは非日常的な動物が象られることが多いようにおもった。
古代の文学や、造形物を見ていると、とても単純で力をもつ表現に憧れる。
現代の、無駄に入り組んだコンプレックスな社会が苦手なので。
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昔の人も今の人も、感じ、考えることは同じなんだよとの言説があるけど、実際はどうなんだろうね。
あれらの、単純な意思によってまっすぐに表現されたものたちをみると。
作品から単純さの印象を受けるのは、彼らの意思が単純だったから?
それとも、ただ単に表現手法が原始的で、複雑なものを表し得なかった?
あるいは、単純な表現手法ゆえに精神も単純であれたのか?
この内のどれかと聞かれたら、正直よくわからないというしかないけれど、
でも、なんとなく印象はある。
作品から受ける印象が。
ふたつ、古代に惹かれる気持ちと、動物に惹かれる気持ちはたぶん似てる。
道を散歩する犬を見たり、
庭に寝転がり、垣根に顔を出す猫を見たり、
空高く飛びわたる鳥の群れを見たり、
下水口に群がり飛ぶ羽虫を見たり、
木を見たり、
遠くの山脈を見たり、
そういうときの不思議な純粋に惹かれる気持ちも好きで。
いくつか話が飛び火したけれど、そんなに最初の話から遠ざかってはいないはずです。
というのも、AURORAの「RUNAWAY」という曲を聴けば、彼女が土地のもの、動物的なものに出自を持っていることがはわかるから。
ところで、
日本犬にも、日本人と同じように、縄文系と弥生系の遺伝子があるらしい。
柴犬はその二系統の遺伝子をちょうど半々に持っていて、
琉球や北海道犬はほとんど、縄文、つまり南島方面からの遺伝子をそのまま継いでいる。
犬が日本列島にやってきたのは、人間とともにだったんだって。
そして、それは鼠たちも一緒。
とにかく、こんな感じで動物の話をするのは楽しいから、もっとしていきたいな。
AURORA, live https://youtu.be/evBgLWQwAFA