ガウディの時代にタイムスリップ、コロニア・グエルのモデルニスモ祭
前回バルセロナ郊外にあるガウディ作のコロニア・グエル教会を訪れる前に少しだけコロニア・グエルのコミュニティを歩きましたが、日が暮れてしまい全てを見ることはできませんでした。コロニアグエル教会についてはこちら。
その数週間後にコロニア・グエルでここカタルーニャ州独自のアールヌーヴォー、モデルニスモを祝ったモデルニスモ祭が開催されるということで行ってみました。バルセロナを含めモデルニスモ建築で知られる町では大抵毎年モデルニスモ祭が開催されます。
コロニア・グエルへ
コロニア・グエル駅で電車を下車しようと思ったら、一つ手前の駅でなぜか全員降ろされてしまい、徒歩15分ほどと近かったことから歩いて行くことにしました。駅前は団地でしたがすぐこのような草原の景色。恐らくモデルニスモ全盛期の1900年くらいの建築と思われる工場が見えます。
その右手にはガウディのパトロンとして知られるエウセビ・グエルが所有していた繊維工場。100年ほど経った今でもまだ建物が残っています。コロニア・グエルのコミュニティはこの工場の向こうです。草原の小道を歩いて行くとちょっとした冒険気分になります。
エウセビ・グエルがバルセロナ市内から移転したこの繊維工場の周辺に工場で働く人たちのための住宅や公共施設を作り、そのコミュニティは「コロニア・グエル」と名付けられました。現在はSanta Coloma de Cervellóという町に属しますが、町の中心とは少し離れているため未だに小さなコミュニティの雰囲気が保たれています。
コロニア・グエルの統一された街並み
コミュニティに足を踏み入れると、こじんまりした2階建ての住宅が並びます。現在も普通に人々が住んでいます。
当初コロニア・グエルのまちづくりはガウディに一任されていたようですが、途中から彼の弟子であるFrancesc Berenguer i MestresとJoan Rubió i Bellverに託されたそうです。
工場の従業員が増えるとともコロニア・グエルも徐々に大きくなっていったため、日本の「団地」のような統一感はありませんが、やはり普通の町に比べると建物に統一感があります。
ガレージの付いた家々も。
コロニア・グエル教会のチケット売り場のある観光案内所も昔ながらの建物。
コミュニティの中央の広場にやってきました。ステージで音楽やショーなどを行っていました。
広場の中央にはエウセビ・グエルの像。彼がいなかったらガウディの独創的な建築は今見れなかったかもしれません。
グエル公園にあるガウディ邸なども手掛けたガウディの弟子、Francesc Berenguer i Mestresによる設計の男子学校。この日は軽食や飲み物を売るエリアになっていました。建物は今でも学校として利用されています。
現在は図書館となっている元女学校。こちらもFrancesc Berenguer i Mestresによる建築です。
工場長の家、Ca l'Espinalも立派です。ガウディの弟子、Joan Rubió i Bellverによる設計。
3軒の農家が住んでいたというCa l'Ordalという建物。こちらもJoan Rubió i Bellverの建築です。どれもレンガでモザイクのように模様を描いていてデザインはガウディのコロニア・グエル教会に共通するものがあります。
前回訪れた時はひっそりとしていましたが、今回は大賑わいでした。
ガウディの影響が見て取れる素晴らしい建物が多くあります。
コロニア・グエルには何軒かバルやレストランがあり、昔ながらのレトロな雰囲気を楽しめます。前回訪れた他のバルもレトロで良い雰囲気でした。
100年前の衣装を着た地元民で溢れるコロニア・グエル
そしてモデルニスモ祭ということで昔の写真があらゆるところに展示されていました。子供たちも工場で働いていたのでしょうか?
そして、コミュニティのいろいろなところで100年くらい前の衣装を着た地元の人々が昔を再現した寸劇を行っていました。こういう演出が面白いですが、残念ながら全てカタルーニャ語。
スーツケースなどの荷物を2階から降ろしている子供たち。
レースを作る女性も。
映えるクラシックカーと一緒に記念撮影。なんだかとっても楽しそう。
アクセサリーやアート、チーズやソーセージを売る市場があり、お店の人も昔の恰好でテンションが上がります。
自動演奏ピアノの実演。
昔の恰好をした地元の人たちが町を練り歩いていました。
講堂ではドキュメンタリーの放映。
アートの展覧会などもあり小さいコミュニティのお祭りにしては充実していました。
グエルの繊維工場を探検!
更に繊維工場の敷地内も見学できるということで最後に寄ってみました。
もともとバルセロナのサンツ地区にあったグエルの繊維工場が手狭になったため、この6ヘクタールの地でイギリスの工場をモデルに1890年に建設が始まりました。
1973年に工場は閉鎖となり、跡地は小さい区画に分割して小さい会社などに売却されました。それらの会社が個々に改装を加えた結果、統一感が失われてしまったそうです。そのため、2000年前後に産業遺産の修復を行う会社が売却された土地を少しづつ買い取り、繊維工場のコアだった建物をできるだけ原型に近い形で修復し、修復が終わった建物は現在主にサービス業の会社が利用しているそうです。
敷地内は建物にあまり統一性がない部分もあるので後から増築された建物がいくつもあるのが分かります。
木造の塔と鉄の渡り廊下が特徴的です。
この渡り廊下の写真が時代を感じさせます。第二次大戦前くらいでしょうか?
建物の保存状態はまちまち。
こちらの建物はきれいに修復されています。
ソーセージ工場もありました。ロゴがちょっとシュール。
そして朽ち果てた建物もいくつかあります。
一時期はバルセロナの経済の発展に大きく貢献した繊維業界。
こちらの建物はきれいに修復されていてオフィスが入っているようです。
昔の写真にもこの建物が写っています。
繊維工場が閉鎖されても、100年前と恐らくあまり変わっていないコロニア・グエル。そして、繊維産業などのブームで経済が急激に発展した時だったからこそ生まれたガウディをはじめとしたモデルニスモ建築。今回はそんな時代を垣間見れた気がしました。
20~30分もあればぐるっと周れるので、ガウディのコロニア・グエル教会を訪れるのであれば是非コロニア・グエルのコミュニティも訪れてみてください。
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