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萬雷 謝辞
1.黄金時代を追いかけて
2021年の4月、その建物をみた瞬間、秋田の大館市の御成座を幻視した。一目惚れであった、必ずやこの建物で演劇をやるのだと誓った。
私はこの地域とはこれっぽっちの縁も無く、何も知らなかったのであるが、元より地域文化学の人間であるし、地域の文化・芸術を担う仕事をする以上、誰よりもこの地域を知らねばならぬと息精張ってキーボードを叩いたり図書館に入り浸るなどしていた。また二戸市民文士劇へ飛び込んだことをキッカケに想像以上に人脈が広がり、地域の文化と、良くも悪くもズブな関係になることができたのである(と勝手に思い込んでいる)。
今回のはじまりは『近いうちに萬代舘を取り壊すらしい』という、適当な人間の発した、根も葉もない嘘っぱちの言葉である。あるいは『この地域のイベントは、恥ずかしくて子供に見せられたない』という、何処かですれ違った人間の嫌味な言葉だったかもしれない。そういった言葉が聞こえてくることに、背筋が凍るほどの危機感を覚えた。書かねばならぬ、急がねばならぬ、このような人間の目を醒まさせてやらねばならぬ。そんな思いが、此度の『萬雷』創作の強いエネルギーになったのである。
資料を集めた、様々な話を伺った、近隣市町村の資料と照合しながら、その時代に思いを馳せた。町の通りが毎日溢れんばかりの人だかりで、右を見ても左を見ても上を見ても下を見ても賑わっているような、そんな時代が間違いなくあったのである。真夜中でもまぶしいぐらいに、あちこちで明かりが絶え間なく灯り続けているような、そんな時代があったはずなのである。萬代舘も例外ではなかったはずだ。ポスター掲示のために訪問した、とあるお店のお婆ちゃんが「小さい頃ネ、お母さんにおぶられて、毎日のように通ってたもんサ。今じゃすっかり寂しくなっちゃったわネ。」と。しゃがれた声で、目を潤ませながら。きっと彼女は今もはっきり覚えているのだ。この町で万雷の拍手が鳴り響いていた時代を、喝采の声が轟いていた時代を。それこそ、萬代にわたっていつまでも続いてほしいと思ってしまうような、そんな黄金時代を。
2.『萬雷』の構造について
萬雷という作品は、三つのストーリーが並行して展開される。
①山火一郎を中心とする萬雷座サイドの成長の物語。
こちらは、解散寸前にであった芝居集団が、萬代舘を守るために集結し、舞台への活力と勇気を高めていく王道のエンタメストーリーである。
②保谷酒太秦を中心とする復讐の物語。
膨大な借金に追われた太秦が、それを自分に押し付けたであろう父の姿を追い続ける、愛憎入り混じる人間ドラマである。
③トットを中心とする戦いの物語。
いわゆるエンタメとはかけ離れた場所にいる、現実主義者や批判者らによるダークサイドのストーリーである。
これら三つのストーリーが序盤から密に絡み合い、一見単純そうで複雑な構造の物語が形成されていく。そして劇中劇『瞼の父』でそれらが紐解かれ、清々しいフィナーレに繋がっていく。
ここまで述べておいて申し訳ないが、私は、自分の作品について長々と語りたくないタチである。単純に「このシーンの意図は実はこんな深い意味が~」などと講釈垂れるのは好きではないし(なら作品で語れよと言われかねない)、よく分からないとか難解だったとか、そういった空白は観客自身の自由な想像と解釈で補って頂きたいのである。作者自身とて、彼・彼女らの物語を観測し書き綴っているだけにすぎないのだ。
そんなことを言っておきながら、今回は一点だけ語らせて頂きたい。今作において強烈な印象を残したであろう、下斗米十兵衛という存在である。
3.下斗米十兵衛という存在
本作に出てくる下斗米十兵衛という人物は、想像以上のことが想像できなくなった存在である。現実や正論を右手に、頑固な思い込みを左手に、地域の未来に根拠の無い警鐘を鳴らし続けることを生きがいとしている。ただ、そのような存在は大抵の場合、声を上げるだけで自ら表に立つというという気概を持ち合わせていない。何故なら、その実は時代や世相の変化に怯え続けている臆病者であり、その反動形成として虚勢を張り続けているにすぎないからである。100年、200年先、萬代舘は残っているのか、人がこんなに沢山残っているのか、芸術というものを続けていられるのか……。
これを書いている2024年現在が、彼の言う100年後なのである。辛うじて萬代舘は残っているが、殆ど置物状態。人口は減少の一途であるばかり。芸術なんて、生きていくことそのためだけであれば、無くても困りやしない。震災の頃、コロナの頃、不要不急として排斥されたことがそれを物語っている。それに、インターネットにコンテンツがこれでもかと溢れているので、飢えることも無いだろう。情報洪水の今の時代、生モノの芸術なんて、人生で一度も見向きすることがない、そんな人が結構いるらしい。そんな時代の到来を、下斗米十兵衛は予見している。しかし、それならどうすればいいという自分自身の言葉も、行動力も持ち合わせていない。だから人の所為にするしかできないのである。このタイプの人間は必ず口にする。「だからこの地域はダメなのだ」「役所がもっとこうしなければならないのだ」などなど……。
そこに、東山シゲルという勇気を持ち合わせた、新たな時代の担い手が駆けつける。諦めてしまった下斗米にとって、彼の投げつける『純粋さのかたまり』のどれだけ痛いことか。とっくの昔に忘れたはずの、何処にでもいけそうな、何者にでもなれそうな、無敵だった頃の記憶が、汚れてしまった心に突き刺さるのだ。しかし、彼はもう後戻りできないのである。
そしてその『純粋さのかたまり』を拾い上げて、広げたとき、そこにはまだ知らない『想像以上』の可能性、あるいは、いつか失いかけた光が、ぱあっと広がっている。暗闇の底にいた夏井ひばりが、ようやく目を醒ます。
「わたしの、わたしたちの、好きなことの邪魔をするな!」
と、魂の叫びを響かせながら。
下斗米十兵衛に似た思想の人物は他にも登場しており、それが一守孝雄という人物だったり、トットだったりする。一守孝雄の場合は現実主義の一面を見せながらも、ひばりやシゲルの存在が思考を柔軟にさせている。トットの場合はアネゴというロマンチストが傍にいるおかげで安全性が保たれている。下斗米十兵衛だけが、孤独なのである。彼自身が孤独を選んでいるのである。他人の意見に惑わされないように、矜持が傷つけられないように。
彼を熱演してくれた高下タカヒロ氏に、この場を持って大きく感謝したい。コロナで中止になっていた二戸まつりが再開された頃、彼は苦しそうな面持ちで言っていた。「人が居なくて寂しくなった、ではなく、再開されて嬉しい、そんな声が本当はもっと聞きたかったのだ」と。そんな地域のネガキャン性を知る彼だからこそ、下斗米十兵衛という、孤独な毒吐きの人物を任せることができたのである。
劇団地底人の舞台ではよく「思っていたより良かった、正直ナメてた」という意見が飛んでくる。今回も各所からそんな声が届いている。もしかしたら、下斗米十兵衛のような存在に『想像以上だった』と言わせることが、我々の本当のミッションなのかもしれない。
4.最後に
ト書き:ここで急に丁寧語になる。
私は萬代舘が好きです。この約3ヶ月間、準備や稽古で何度も何度も萬代舘に足を運びました。そして、呼びかけに応えてくれた、集まってくれた、愛すべき仲間たちと舞台づくりをしてきました。今回は誰が言ったか職権濫用。半分仕事で半分劇団(趣味)という慣れない立場の気持ち悪さに振り回されながらも、なんとか走り切ったという所感です。
これは何度も何度も、人によってはもう飽き飽きするほど口にしているような自論ですが『自分たちが楽しまなければ、観客が楽しめるわけがない』と考えています。それは役者に限らず、スタッフも含めて。その点今回は、参加してくれたみんなそれぞれが、素敵な空間づくりに協力してくれていました。萬代舘の入り口から既に、イマーシブな、お客様と距離感の近い劇空間が仕上がっていたのです。嬉しくて嬉しくて仕方がありませんでした。
いかがだったでしょうか。かつての昭和の黄金時代のような、万雷の拍手はあったでしょうか。萬代にも届くような、喝采はあったでしょうか。そんなことを聞くには、まだまだ私も青いのは理解しております。演出も舞台づくりも、反省点は山ほどありますから。まだまだ伝えたいこと、書くべきことは山ほどあるのですが、今は一旦これで。八戸への客演から~カシオペア市民劇場から~怒涛のように続いた年内の演劇ライフもひと段落(まだ雲人が残っておりますが……)。現在、周囲からは休め休め食え食え寝ろ寝ろ生きろ生きろの声が多発しております。流石にその辺は数字にも表れておりまして、昨年の今より体重が17kg減らしいですよ。冬も本格化しようというのに防寒具スカスカです。
劇場は、映画館は、舞台は、使われてこそ、その真の輝きを取り戻すのだと思います。そして、そこで出会う芸術や文化、非日常ならではの人間同士の呼吸といったモノは、間違いなく生きるためのパワー!!!!!!!!!になります。だから、
「忘れないでね」「忘れない、ずっと」
公式ホームページ
☆コメントきてた☆
☆「本業として本格的にやってもいいんじゃない?」
有難い声です。どうにか本業としてやれたらナアとは常日頃思っていることなのですが、殆ど一人劇団(団員みんな遠方在住)状態なのと、自分自身の将来設計がガバガバ状態なのもあるのでニントモカントモ。将来的には地方巡業とかやりてーです。お金が欲しい、切実に。
今回仕事と絡めて良かったと思うのはかなり認知広げられたことです。「君、こんなことができる人間だったのか」と沢山の人から言われました。ええ、できます。10年間続いております。脚本書けます、演出できます、役者できます、音響・照明もできます。いや音響・照明に関して技術面では流石にプロの足元にも及びませんが……そんな演劇が好きな狂人として通ってございます。
☆「今後の活動は?」
スモールな公演をやるとか、学校巡回とかワークショップとか、色々やりたいなあなどとは思いつつ、全然計画立てれておりません。なんか子供向けのプログラムとか作りたいですね。現在気力がどん底チャンチャカチャンなので、回復した頃にでもまた。
今後ともよろしくお願いいたします。