TSS ナオキマンショー 有明アリーナ 20241102
1万3千5百人が集う、奇跡のイベント
2024年11月2日に有明アリーナで行われた、『The Secret Show sponsored by キンライサー』夜の部に、3階G15列122番の座席で参加したので、その話をしたいと思う。
題目に『Show』とあるが、これは商業的な見世物じゃない。
企画者及び出演者は、人としての使命感から、またはそれが自身の道だと信じて参画したのではないか?、と言うのが第一印象だった。
どう見ても、営利と言えるだけの利益が出ているようには見えないからだ。
チケットは完売した模様で、当日寸前に見切り席が追加発売したし、物販も人気だったけれど、それでもギリギリの様子だ。
出演者数が多く、普通に考えればそれだけ予算が必要だ。
スポンサーが見つかったと発表されたのはイベントが差し迫ってからで、この時は「手際が悪いのか?」と少々疑ってしまったが、そうではないことは当日を見て理解した。
この内容では、スポンサーが付いたのが奇跡だ。
引き受けたキンライサーさんは凄い。
現実には金で動いてゆく世の中で、著名人であっても、純粋な志を軸にした本音で語るイベントの開催を、そう簡単には実現できないものだ。
出演者さんも、皆、友情出演なのかもしれない。
そもそも、いくらギャラを積まれても、見合わない内容を話された方もいらしたのだから。
それはビジネスじゃなく、ご自身が決められたことで、正しいと思われたことで、それを今このタイミングでと決心されたからなのだろう。
誰の人生にも、そんな時がある。
けれどもその時は、かなりの勇気が必要だ。
わかっていても、やると決めても、怖いと言う気持は、なかなか完全には拭えないのではないだろうか。
出演者さんの心が、自然と流れ込むように、伝わってきた。
どの方も躊躇はされなかった。
きっと、もう随分長い間、考えられていたのではないだろうか。
けれども、それを実際に行うのは、大変だ。
迷いなく、話されてゆくのを、大切に受けとめてゆく。
それは、ステージと3階客席と言う物理的距離をまったく感じず、また出演者と観客と言う立ち位置の違いも消失する経験だった。
皆、立場は同じなのだ。
誰もが自分ができることをするしかない。
人類全体や地球そのものを思うなら、一人一人ができることにそれほど差異はない。
想像もしていないことだったのか、話を聞いていた出演者さんの中には、その場で語られる内容に衝撃を受け、激しい感情に襲われる様子の方もいた。
人として、自然な反応に見えた。
こんな風に、このイベントは演出ではないのだ。
多少は台本はあるだろうが、それでも本物の生のライブで、それが信憑性に繋がる。
信じられないような話を聞いても、私は、おそらく会場のほとんどの人々が、そのまま信じた。
そして拍手喝采を贈る。
語る人だけにすべてを背負わせたくはないし、できる限り応援したいと言う気持や、「同じ人間だから、理解るよ」と言う心に動かされ、けれども贈れるものが、とりあえず拍手しかなかったのだ。
だから私はその手を止めることができなかったし、会場の多くの人が、同じことを感じていたのだと思う。
司会者が遮るまで、音は鳴り止まなかった。
イベント名から、『チケットを買うと、秘密のエンタメショーが見れる』とイメージされた方も多いかもしれないが、実際はそう言う催しではなかった。
結果的に、シークエンスはやともさんが言っていた通りだったと思う。
私はライブイベントに行くようなタイプではなく、最初はまったく行く気がなかったのだが、一般向けチケット発売直前に、偶然はやともさんの動画を観たのだ。
『おそらく二度とできない、東京じゃないと無理、来れば人生が変わる』みたいなことを言われていた。
それを聞いて私は、あれこれ調べてチケットを買った。
最後にライブのチケットを買ったのは20年以上前で、あのエリアへ行ったのもそのくらい前のことだった。
チケット購入システムから電車の路線図まで、何もかもが昔とは変わっていた。
だが行ったことで、人生は、いや正確には意識が変わったと思う。
あの時ステージ上にいた方々は、偶々そう言う順番だっただけで、私たち観客席にいた人間はお金を払って観覧して、今後のこともステージ上の方々や著名人、政治家などに任せておけば良いと言うわけには、多分いかない。
それは、無理だよ。
一部の人だけでこれ以上、支えてゆくなんて、できっこないって、思う。
今を変えたければ、まず自分もやらないと。
「私は一般人だから、もう若くないから、頭も悪いし貧乏だし、健康状態が・・・」なんて、あれこれ理由をつけてやらなかったら、何も始まらない。
もしかしたら、大多数がそんな風に諦めて挑戦しないように、この社会はデザインされているのかもしれない。
1万3千5百人だと言っていた。
私たち、来場者の数だ。
精一杯、それだけの種を、撒いてくれた。
次は私たちが咲いて、種を撒ければいいんだけど・・・・・・、とりあえず、やる前から弱気になってはいけない。
とにかく、そうやってゆけば、いづれ百万人を超える。
誰かが言っていたのだ。
十万人ではテロ扱いされるが、百万人なら革命を起こせると。
そう、目指すのは、『意識の革命』なのだと思う。
イベントの終わりに、エンディング曲が流れた。
席を立ち、早く会場を出ようとした人もたくさんいたが、「良かったら最後までいてほしい」と、アナウンスが入る。
その音楽は、おそらく瀬戸勝之さんが用意されたもので、その日会場に設置された特別仕様の音響システムにより、その場でのみ体感できるものだ。
私は最後まで聴くことにしたが、早く出る人の事情もわかる。
家が遠い人は、急いでいるのだろう。
完全に終演後、外に出るのにかなりの時間がかかった。
けれども周囲の人々の「来て良かったね」と言う、肯定的な言葉の中にいると、待つのは少しも嫌ではなかった。
駅まで向かう途中、横から救急車がやって来た。
信号は青だったが、私は立ち止まった。
向かい側からこちらへ来る三人組の若者がいて、彼らは気にせず道路を渡ってゆく。
車はサイレンを鳴らしたまま横断歩道の前で一時停止したが、有明アリーナから来た人々は、誰も渡ろうとはしない。
私たちが動く気がないと見て取ると、救急隊員はマイクでお礼を言い、通り過ぎて行った。
その後に何事もなかったように、人々は再び歩き始める。
新豊洲駅で乗る人もいたが、豊洲駅まで歩く人も多く、私もその一人だった。
東京メトロの改札を入り、ホームの時計を見ると、23時を過ぎていて驚く。
終電は、何時だろうか?
よく乗ったあの頃は、0時までに新宿に着けば間に合ったが、最後に終電に乗ったのは大昔だ。
スマホで調べながら、便利な時代になったものだと思う。
昔は小さな紙に印刷された時刻表を持ち歩いていたのだ。
確認すると今の方が遅くまで電車があるとわかり、ほっとする。
だけどなるべく急いだほうがいい。
私は銀座一丁目で丸の内線に乗り換えることにしたが、電車を降りる時、永田町まで行こうか迷った。
会場から来た人たちと、別れ難かったのだ。
別段、交流などはないのだが、その場の空気がとても良かった。
車内は善意で満たされているように感じた。
それでも、時間がないので予定通り降りる。
銀座一丁目の方が乗り換えが早いと言うのはスマホで調べた情報だったが、地上に出て、280メートル先に銀座駅があると言う表示を見た時、私は不安に襲われた。
永田町乗り換えは何度も経験しているが、過去にこの駅で乗り換えた記憶はない。
方向音痴の私が、無事に銀座駅まで辿り着けるだろうか?
けれども、すべてはうまくできているものらしい。
私の前を歩く人が突然左折したので、そちらを見たら、そこが銀座駅だった。
丸の内線に乗った私は、ふとこんなことを思った。
「悲しむことはない、会場にいた人たちとは、先のどこかで再び会う。だって皆、先へ向かって進んでいるのだから」
うん、あの電車を降りたら終わりと言うわけじゃないんだ。
この先のどこかへ、きっと続いている。
新宿駅に着いたのは、0時まであと15分と言う頃だった。
ちょうど、このくらいの時間だった。
昔は毎日、この時間帯に、新宿駅で乗り換えた。
あの頃と比べて、随分人が少ない。
土曜日だからだろうか?
いや、土曜なら余計に、派手な服を着た若者や酒を飲んだ人々で溢れていたはずだ。
当時は終電で六本木へ向かう人が大勢いた。
私は土曜も日曜もこの時間、ここを通っていたはずだ。
元旦も出勤していた気がする。
電車は昔より遅くまで走るが、東京の街の変わり様にショックを受けていた。
最寄り駅で降りると、人が全然いなかった。
タクシー乗り場に、一人しか立っていない。
深夜バスなんてものは、とっくに廃止されているのだろう。
それで、私は何をすればいいのか。
何ができるだろう?
結局、できることは一つしかない。
もう、あの時代には戻れないのだ。
毎日が終電間際の、あの仕事を辞めたことが、私の人生の最大の後悔だったが、後悔しても意味がない。
ブランクが長いとか、今更とか、そんなことを言っても何も変わらない。
それ以外にできることはないし、多分それをするために生まれてきたのだと思う。
なぜって最初から、物心ついた頃から、誰に学ぶことなく、それだけは自然とできたからだ。
私がそれを再びやろうとすることなんて、今日の出演者さんが勇気をもって話されたのに比べたら、全然大したことじゃない。
私が恐れているものなんて、失敗して、失望して、笑い者になる程度のことなのだ。
「そのくらい、大丈夫だ、きっと、うまくいく」
そう、これが、意識の変革だ。
TSSと言うイベントは、人の意識を変えたと思う。
1万3千5百人の、何パーセントくらいかわからないけど、少しでも多くの人が、できれば全員が、それを受け取れたことを私は願う。
最後に、Naokimanさんに、常々感じていることを、ちょっと言わせてほしい。
彼の米語を聞く度に、私はこんなリクエストをしたくなる。
「ねね、ちょっと、This program is brought to you by Kinliser って、チラッと言ってみてもらえませんか?(^^)」
日本語で言えば、『この番組の提供は、近未来のサービスを日本中に届け脱炭素社会を実現する、キンライサーの提供でお送りいたしました』だろうか。
Naokimanさんの声は、提供を告げる声なのだ。
おそらく米国人にとって最も理想的かつ魅力的な、人の心に入りやすい声だと推測する。
それはきっと、神様から手渡された三種の神器の一つで、・・・いや、実際は、あの世の通販で自分で買うのかもしれないなあ・・・。
とにかく誰もが、この世で必要な特別な何かを、3つくらいは持って生まれていると思う。
ただ私たちは、他人が持っているものはステキに見えて、憧れて、自分が持っているものはつまらなく見えがちではあるけれど。
とても良いイベントでした。
ありがとう。