持て余すモラトリアム
モラトリアム Moratorium
社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている青年期をさす。生きがいや働きがいを求め,発見するための準備を整える一方,自分の正体,アイデンティティを確定できず,無気力,無責任,無関心など消極的な生活に傾きながら,自我の同一性を確立してゆく。
(コトバンクより引用)
いつからか、心の中に焦燥感が居候するようになった。このままでは、私の人生が私のものではなくなってしまうという焦燥。
我が物顔で居座るもんだから、もはや特段注意を払うこともなくなってきていた。が、やっぱりそこは元々の住人ではないので、何かの拍子に不和を起こしてくる。
「だめだ、変わらなくては。」「もう遅すぎるんじゃないか。」「だからこそ今変わらなくては。」「でも私ってどうなりたいの、なにがしたいの。」「ていうか、そもそも、どうにかなれるって思ってるのがおこがましい?」
自意識on自意識、自意識in自意識、恥ずかしくなるくらいの自意識。
自分をまったくの無名にしてしまえる勇気を持ちあわせていないことに、うんざりしてしまうのよ。なにかしら人目を惹くことをしたいと望んでいる私自身や、あるいは他のみんなに、とにかくうんざりしてしまうの。
『フラニーとズーイ』J.D.サリンジャー/村上春樹訳
わかりすぎて痛い。丸腰のこころにグサグサ刺さって本当に痛い。
そして『フラニーとズーイ』は名著であるという事実が、さらなる追い打ちをかけてくる。
「みんな」「誰もが」「すべての」心に響く、共感される作品なわけなんだな、これは。私も例にもれずそのうちの一人なんだな、これが。
何にもなれない、何でもない、だけど自分だけは特別だと思いたい。
そんな気持ちは特別なものなんかじゃない。
こんなありふれた文章を書いている自分も、なんだかみじめで、小さく小さく圧縮されて、肉眼では見えないぐらいの粒子になりたい。
死にたい、とかとは全然ちがいます。生きたくて、生きたくて、生きているということへのハードルを上げつづけた結果、こんなふうにしか生きられないなら、あまりにも自分が情けないから小さくなってしまいたいっていうことです。
でも、小さくもなんてなれない。小さくなってもなーーんも解決しない。
焦燥感め。モラトリアムめ。
堂々巡りの議論を展開してくる、たいへんな厄介者。
修正できないほどの歪みを生んだこの厄介者を、今度こそなんとかしようって思う。行動だけが変化をもたらしてくれるって、本当はわかってるから。
間に合え!!!!!!私の人生、間に合え!!!!!!!!!
2018.12.31 うみを泳ぐ