絶交した父と再会した日
2年前の春に、父を舞台に誘って見に行った。
村上春樹原作の「海辺のカフカ」
主演は、寺島しのぶさん。
ストーリーは2本同時に展開して分かりにくいんだけど、それぞれのストーリーが干渉しているように構成されていた。
「海辺のカフカ」の親子関係と父と私がリンクしているように感じた。
父は子供の頃から怖い存在で、私が父に甘えた記憶はほとんどない。
昭和のおやじとはまた違い、親のことをこんな風にいうのも何だけど、包容力というものがまるでなかった。機嫌が悪いと八つ当たりされ、時には叩かれた。今でいう、DVモラハラ。
お風呂や海での水攻めも最悪だった。私は、もうこの世にいない人間だったかもしれない。
何とか生き延びた。
父の機嫌がいい時もたまにはあったけれど、いつまた機嫌が悪くなるかわからないので、信用できなかった。
母と離婚してから父とは連絡があれば会っていた。
妹の家で父と会った時に、父が私と何歳までお風呂に一緒に入っていたことを口にした。
とても嫌な気分になった。
私の中でプツンと何かが切れた。
絶交すると手紙を送ったのだと思う。(メールにはなかったから)
父は、言いたいことはたくさんあるけれど、毎月のメールだけは送らせてくれと返事があった。
それから2~3年私は父と会わなかった。
絶交すると決めた日から一生このままだとは思っていなかった。父がこのまま死んだら私は後悔しそうだったから、再会することは冷静に考えていた。
ただし、自分の人生の中で、父に一度絶交と宣言することは必要なことだったと強く思う。
絶交してから2~3年後、地下鉄で「海辺のカフカ」の舞台のポスターを見た。
村上春樹の小説は読んだかどうだか覚えていなかった。
舞台に父を誘ってみようかと何となく思った。(これが私のインスピレーション)
そして、たまたまその何日か後に届いた郵便物の中に舞台の申し込みが割引で申し込めるチラシが入っていて、電話してみたら席が取れた。
うまくいくときは、こうやって導かれるように物事が運ぶ時がある。
舞台終了後、近くの建物で食事をした。
私は、子供時代の生きづらさを伝えた。何故家族なのに他人よりもコミュニケーションが取りづらいのか?と
父はもう高齢で私の疑問に満足に答えることはなかった。絶交したからと言ってコミュニケーションが取りづらいことが解消されたわけでもなかったのかもしれない。
ただ、私は、自分にも責任があることを感じた。
私は、自分の気持ちを言葉で伝えることを諦めていて、我慢していた。そして心の中では、自分がこんなに犠牲になっているのに、もっと察して、共感して、分かって欲しかったと叫んでいた。
もっとお互いの特徴を理解しあえれば、もう少しコミュニケーションが取れたかもしれないということを悟った。
私は、この再会で父を許したわけではない。ただ、絶交などという子供じみたことはやめることができた。
私が今日この記事を書いたのは、🔻この松澤さんの記事がきっかけ。
舞台「海辺のカフカ」で流れていた音楽「シガー・ロス」
この音楽を聞いて聞き覚えがあるとすぐに分かった。
ネットで調べて間違いないことを確認した。
この音楽を聞くと、あの時の複雑な感情が蘇ってくる。
そして、舞台を見て流した涙のように、心の中で固まったものが少しずつ溶けていく感じがした。
松澤さんの小説にも自分の心がリンクしている気がする。