桃の種を植えるために
ここへきてしみじみと感じるのですが、映像製作の仕事って思ったより受動的なんですよね。ボクたちは現場のスタッフですから製作元からの発注がなければ仕事は始まりません。それはわかっていました。わかっていましたが、主体的な意欲も意識していました。あたらしい企画を提案したり、撮影のアイデアを考えたりと創造的な気分に満たされていたのです。もちろんそれはクリエイティブな関わり方として充足感を得ていましたから、けして何かの勘違いだというようなことではないと思います。ですが、やはり受け身の立場であることに変わりはありません。与えられた課題のプールを泳いでいたに過ぎません。泳法は任されていましたからクロールでもバタフライでも得意なスタイルを披露します。そしてずいぶんと悦に入っていたものです。
プロジェクトが成立する起点は遠くの上流にあります。ボクたちは中流域あたりの川岸に立って流れてくる桃を待っています。大きな桃や甘い桃を掴み取ると喜びました。仕事の質には高低がありますが、待っていれば次の何かが流れてきました。そうです、ボクたちが身につけたのは待ち方だったのです。ひとつの仕事が終われば次の仕事が来るのを待ちます。これって能動的とは言えない態度ですよね。桃が流れてこなくなって気がつきましたよ。ボクは今まで桃の成る木を見たことがありませんでした。桃の木に水をやったこともありません。さあて、困りました。どうしましょうか。桃の種を植えるために上流に向かって歩き始めましょうか。でも桃の種を持っていません。種はどこにあるのでしょう。もちろん桃の実の中ですよ。ありゃま、いつも実を食べたら捨てていました。しまった。