0303 感想
こうあまさん(@kouama)著「季節、名を待つ」を拝読。
文庫サイズ208ページ。
昨年8月、こうあまさんとコミティアでご一緒した際に頂戴しました。
次に本を読むときはこれにしようと思いつつ、機会を逃し続けていたのだけれど、今回ようやく時間をとれて良かった。
まずこのデザイン、とてもおしゃれ。
シンプルな要素の組み合わせがそれぞれを引き立て合っていて、この御本を手に入れる前から気になっていました。
本文の書籍用紙の軽やかさと表紙のクラフト紙の選択も良いなと。
読了してから再度見ると、この穏やかさが作品にぴったりで。
このセンスが羨ましい。
何というか、私は、こうあまさんの持つ世界観、雰囲気ひっくるめて好きなのだろうなとしみじみ思う。
作品のあらすじをご紹介。
「先生、調子はいかがですか」買われた『僕』の仕事と日常、買った『先生』の優しさや孤独、そして秘密について。季節がうつろうごと、少しずつ歩み寄りこころを交わらせてゆくふたりの話。
以下、好きに書きますのでネタバレを多分に……盛り上がりの肝心なところまで、思いきり含みます。作品が気になる方はぜひ先に拝読を(小説家になろうにWEB版もあるみたいです)。
季節、名を待つ | kouama
BOOTH:
https://kouama.booth.pm/items/459526
小説家になろう:
https://ncode.syosetu.com/n9533do/
さて。…皆さま読了されましたね?
「買われた」『僕』は名前も知らない『先生』と暮らし、その仕事を手伝っていく。朝、先生に「調子はいかがですか」と声をかけたり、お使いに行ったり。
『僕』は字が読めない。
それを学の無さ、劣った点として捉えるのなら、この世界で、金銭でやり取りされる存在……奴隷として、商品として扱われたのもおかしくはないかもしれない。
ただ先生は自らを「雇用主」と称し、『僕』に「仕事」をさせる。
自らを「先生」と呼ばせ、『僕』の意思を尊重する。
二人の関係は「主と奴隷」ではない。しかし「先生と生徒」でもなく、「救った側と救われた側」でもない。
支出によって『僕』を奴隷から解放した、慈善活動を行った救世主というよりは、やはり本人も自称するように、『僕』を労働者に設定し直した雇用主であったと思う。
先生は『僕』を虐げないし、部屋や椅子や学びの機会を与える。
『僕』のことを大切にしようとしているのは伝わってくるし、家族のようになりたいという発言もある。
ただ『僕』は先生の名前を知らないし、自分の名前を呼ばれることもない。
親密さを増していく彼らの関係は何だろう、と淡い疑問を抱いたまま、作中の季節は過ぎていく。
物語は『僕』の視点で進む。
先生の家でどう生活すれば良いのか、自らをどう捉えれば良いのか。
口に出せない、あるいは上手く言えないことがあっても、その内面ではさまざま思いを馳せ、自然の移ろいに目を向け、自己を的確に見つめている。
飛び飛びだけれど本文から引用させていただくと、以下あたりが特に好き。
しとどに降る雨に打たれて、窓枠越しに見える木の葉が落ちていく。葉を落とし、やがては雪となって、世界の色を統一しようとする秋の雨。過ぎ去る季節のようにすべてを壊し攫っていかせる、そんな気配を漂わせている。(62p)
滂沱は止めるすべもないどころか、先生が僕をじっと見ていることでむしろ促された。おかげで僕は、たくさんの少しずつ、異なる思いのどこに最も言いたいことがあるのかを、決河した言葉の流れの中からでも探ることができた。(87p)
地の文を読むのも書くのも好きなので、この物語の地の文はとても味わい深く堪能した。
そうして『僕』は賢いなあ、としみじみ。
それは翻って作者の賢さでもあって、語彙も豊富で本当に読みやすくて、それに少し離れたところから感嘆する自分と、同時に語りにどんどん引き寄せられていく自分を感じた。
三人称視点でなく一人称に設定されたのは素晴らしいと思う。
『僕』と先生が互いを家族のように感じるようになりながら、それでも口に出せない「秘密」を裏に隠している日々に、大きな一石を投じたのは「デイさん」の訪問。
いきなり現れた男性客は、先生の名前をいとも簡単に口にし、地雷を踏む──どころか、黒々とした穴を開けていく。淵を掴んで落下を防ぐことも難しい、ぽっかりとした巨大な穴。
その後の先生とのやり取りも含めて、これまでずっと疑問を内に閉じ込めてきた『僕』にとっては本当に衝撃的な出来事。
そのデイさん、無神経で嫌なやつかと思いきや、先生思いの好青年で、読み進めていて案外心地よかった。
デイさんの人に踏み込んでいこうとするところは、この物語においては、秘密にしようとする先生、溜め込んでおこうとする『僕』にとっては荒療治になったのだと思う。
このあたりから先生がどんどん人間らしさが表出してくる……こちらとしては、弱さも含めて愛おしさが増していく。
「いい加減、きみの優しさに耐えられないよ」(149p)
「きみはなんでそれを問いたださないの。そう訊きたかったんだ」(153p)
そうして、先生との関わりの中で存分に戸惑い、全身でそれを表す『僕』もまた良い。内言ではあんなに思慮深く語彙も豊富なのに、対面での発言では必死に言葉を紡ぎ、何を置いても今この場で伝えなければ、と、年相応に絞り出すような感じが。
「僕はどんなに努力しても、できない! た、たとえドレイだって、きっと勉強すれば僕より……」(56p)
「い、いない間に……せんせいが困っていたら、いやで……。それにもしも、僕が家へ帰って、ここへ戻ってこれなかったら、先生が困らなくて、やっぱり僕と暮らさなくて良いって、思ったら。だって」(87p)
(抜粋が時系列順ではなくなってしまった)
この物語は「盛夏」に始まり、季節の名前を冠して章立てされているのだけれど、終盤「向暑」の遣り取りが最高に素敵だった。
抜粋すると一から十までの書写になってしまうので控えるけれど。
ずっと内に抱え込んでいた疑問に、秘密に切り込んでいく『僕』の姿を応援したし、余裕のない先生の様子にぐっと来た。
そうしてエピローグのこの場面。
「──帰ってきたら、家族になろうか」(中略)「もちろん、ずっと思ってた。だからさ、手続きをしようかって話なんだけど」(中略)「手続きって……どんなものなの?」「何種類かあるけど、きみはどれがいいの」(192-193p)
愛おしさが最高潮。というか、吹っ切れてしまった先生、すごい。「どれがいいの」……「どれがいいの」って……「僕」に選択させるの……(顔を覆う)。
とてもナチュラルに言うからこちらが代わりに思いきり驚嘆してしまった。
この物語が『僕』視点であること、『僕』の性別が明らかにされていないことがここに来てこんなにも私に衝撃を与えるとは……と放心しかけた。残りページも少なかったのでぐっと堪えたけれど。
最後に付された、特別編も最高だった。
「季節、名を待つ」という題にここで触れることができたことを幸福に思う。
とても響きが綺麗で舌に心地よい題だけれど、皆(自分も含めて)、日頃はるなつあきふゆと呼ぶことの方が多いそれが、あらためて「名を待つ」とは?と思いながら手に取っていただろうから。
二人が出会えたことを、私がこの本に出合えたことを、感謝したい気持ちでいっぱいになりながら本を閉じた。
本を、言葉を、大切にできそうな時機、大切にしたい気分の際にぜひまた読み返したい。
今回の所感、引用ならびにネタバレ多めで人に勧めるのに向かない形になってしまったけれど、ぜひ色々な人に読んでもらいたいなと勝手に思う。
こうあまさん、ありがとうございました。