禿頭の言葉に微笑む しずおか連詩の会
詩人 谷川俊太郎の訃報を目にして、二十数年前の記憶がよみがえりました。
三島市出身の詩人 大岡 誠が複数人で5行と3行の詩を繰り返し、3日かけてリレーのように連ねていく現代詩の創作連詩イベント「しずおか連詩の会」を始めたころのことです。
当時、大岡 誠を中心に親交のあった詩人たちが、パッチワークのように一編の詩を紡ぎ出していくのですが、初期から参加していた一人が谷川俊太郎でした。
私から見れば、詩は言うにおよばす、絵本、校歌、アニメ歌詞などあらゆるメディアの仕事を手掛け、若手アーティストとのコラボ活動も精力的に取り組むなど、商業的にも成功している稀有な詩人として、谷川俊太郎はまさに巨人のような存在でした。
彼見たさに発表会会場のグラシップを訪れた私。
目前に座る彼の姿はシンプルかつシックな装い。連詩の会に参加した感想や作品について語ります。
フランクでありながら凛とした語り口でありました。
自身が担当した連詩の一節に、自身の姿を重ね合わせた「禿頭(とくとう)の…」と予想外の自虐フレーズをぶち込んで、それを照れながらも、いたずらっ子のような表情で解説する姿は今でも忘れることができません。
閉会した一瞬、ステージ横に立つ彼へ声をかけれそうなタイミングがめぐってきました。
無礼を承知で声をかけるなら今です!
「・・・」
すぐ、そこにいるのに、ついにできませんでした…
彼の存在が大きすぎたのです。
連詩の興奮が冷めやらないその夜更け、当流行っていたICQで知り合った香港在住の日本人に
「ぼくらもユニットを組んで連詩をやってみようよ」
と持ち掛けて、即座に意気投合。
ICQ上で彼女といくつか連詩をつくっては、CIELOと名付けたHPで密かに公開したりして、そのたびに行方のしれない連詩の面白さにハマった日々がしばらく続いたのでした。
さて、主宰の大岡 信が他界し、そして谷川俊太郎が旅立ち、しずおか連詩の会も様変わりしてゆきますが、数年前から熱海在住のミュージシャン・詩人 巻上公一が新たに加わりました。
バンド「ヒカシュー」の活動を通じて70年代中盤からテクノポップやオルタナティブの旗手でありながら、シュールかつ奇想天外な作風は新たに詩人となっても変わらずに、連詩の会に新たな息吹をあたえているようです。
「さびしくもあり、
さびしくもなし、
いつも風は吹いているから」
そう思い直しながら、来年も開かれるであろうしずおか連詩の会に早くも目を向けています。