中途半端だっていいじゃない
若い頃、恐らく10代とか、まだ20代そこそこの頃だったと思う。
有名な人が話したことだったか、それとも何かの本に書かれていたことだったか、今となっては記憶は定かでないが、今でも鮮明に覚えている言葉がある。
「何事も物事を成しえないのは、”中途半端グセ”があるからだ。」
「その”中途半端グセ”が直らない限り、物事をやり通すことが出来ていないばかりか、全てにおいて”中途半端”になって、自分の人生そのものが”中途半端”なものになってしまう。」
といったもの。
当時のわたしは、自分がどうあると良いのかも分からず、心身を病んでいたこともあり、自分の全てが”中途半端”なように感じていた。
だからだろうか。
その言葉が脳裏に焼き付いて、「”中途半端グセ”を直せば、自分の人生もどうにか上向きにできるだろう。」と、かなり強く信じ込んでいた。
その結果、何においても”最後までやり通す”ということが、自分の中で確固とした信念となり、とにかく、”中途半端はダメ”みたいな感じで物事にあたるようになってしまった。
そんな感じであったので、よほどのことがない限り物事を途中で投げ出すことは無かったのだが、それが常に念頭にあったため、自分が好きであろうがなかろうが、合っていようがいまいが、”最後までやり通す”ことを第一優先事項として物事にあたっていた節があった。
今にして思えば、その信念ともいうべき考えが自分を苦しめ、自分の限界を見誤る一つの要因となっていたことは良く分かる。
確かに一般的な話で言えば、”中途半端”は良くない。
印象としても、”責任感が無い”、”飽きっぽい”、”投げやり”みたいな感じで、どちらかというとマイナスイメージだろう。
でもこれも考え方ひとつ、捉え方ひとつだ。
”中途半端の良さ”には、より良いものがあれば、そちらにすぐ移るといったフットワークの軽さがあり、そういう意味では”柔軟性がある”ともいえるし、”見極めの良さ”があるともいえる。
また、自分が嫌な思いをしてまで”最後までやり通す”ことで、疲弊したり身体を壊すといったこともない。
だからもし、責任感が強く、自分よりも周囲を気にする傾向があり、自分を責めるクセがある人が、自分に合わないことをやり続けていたとしたら、どこかで思い切って止めたり、手放したり、人に頼ることをお勧めしたい。
結果、中途半端かもしれないが「自分がそれらの囚われから解放されることで、こころもからだも自由になるのだとしたら、どれだけ生きやすいだろうか?」と、思えるのだ。
”これはダメ”、”あれはダメ”といった思い込みが自分を苦しめる。
だから今一度、自分が縛られている”信念”や”観念”が何なのか、日々の考え方を疑ってみるのも良いかもしれない。
普段”無意識”に思い込んでいるものの中に、自分を苦しめる考え方が意外といくつもあることに気づくだろう。
わたしの場合、その一つが”中途半端は良くない”であったため、これに苦しむことになってしまった。
今はそれに気づいているので、何事も自分の限界を超えるほど行き過ぎることはない。
それに”中途半端”が必要ならば、それも良しと思っている。
その辺りは人により程度が違うので、誰にでも当てはまることではないかもしれない。
しかし、わたしのように自分の考え方に縛られ、「〇〇ねば、〇〇べき」タイプの人には、有効な考え方だと思っている。
自分が「苦しいな、この考え方」と思えることがあれば、そこは恐らく見直しポイント。
一度その考え方を、違う側面から観るようにした方が良いかもしれない。
”視点”が変わると”発想”が変わる。
今まで信じていたものが、実は”正解ではない”ということに気づくかもしれない。
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