AKIRANAKAの眩しさ
嫌味のない光沢、ドラマを感じさせる不思議な配色、全体的に大きめのサイズ感に詰まるようなカフス周り、うつくしい縫い代の始末、細やかなピッチ、一目見て素敵だと思う服というのは理由がある。視線のたった一秒を捉えるような服というのは、たいてい細部まで素晴らしい作品である。いつもそういう目で服を見てきたのでそういう勘は働く方だ。家に持ち帰って改めてまじまじと見て、自分の勘が間違いなかったことに安堵した。
まるで強い光を見た後のように世界が眩しく真っ暗にも見えた。名も知らぬメーカーの服を買うのは久しぶりだった。いつもなら出来るだけ多くの理由を探し、たくさんの言い訳を準備して服を購入するが、今回だけはそんな理由は必要なかった。これからの私の人生を支えてくれる大切な1着になる予感がしたからだ。この服を着ることで私はどう変わるか、私の変わらない部分はどれだけ確かなものになるか、そこを確かめたくなったのかもしれない。
服は常に私たちの心に寄り添いなんらかの意味を与える。語らずして訴えるその布切れからの願いを、どれだけ心の近しいところで捉えられるかどうかで、その服が、残りの限られた時間をともに歩む特別なものになるかが分かる。AKIRANAKAの美しい生地のブラウスはまさにその出会いだった。
この服を着ることは私にとって挑戦だった。私は黒か白の服しか着たくないし、それは服を着る上で自分の中の何より大事なルールだ。気分や勢いで色物や柄物を買ったところで、いざ着る気持ちになかなかなれないことを学んできたのもある。ファッションとは失敗の積み重ねで、それはきっと一生繰り返されるものだ。
AKIRANAKAの服を着てみて思ったのは、彼の生み出す服には、なんてことのない人生を物語化するようなエネルギーがある気がするということだ。この服を着るときには日常が日常でなくなるような感覚が湧く。歩き慣れた道が旅行先で初めて訪れた場所のような気がしてくる。「attitudeを纏う」というブランドのコンセプトは、着る者への問いのようにも思える。自分にとってattitudeとは、自分にとって重要な態度や大切な姿勢とは何か。服を着て家の外に出て、私は何者になるのか。何が省かれ何が私に残るのか。
良い服に出会った。ただその時々の見た目を取り繕うだけの服とは違い、私の人生と道連れになる服となってくれるだろう。今の自分、20年後の自分、死に際の自分、どんな自分とも共にいてほしいと思う。この服と一緒に焼かれて死にたい。この服の魅力を知り、この服を必要とするのは自分だけだと願いたい。
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