積みゲーと人間の寿命
買ってあるけどやってない。
いわゆる積みゲーの話。
現状で100~200本ぐらいは積んであると思われるけど、もはや正確な数すらわからないような状態。パッケージは数えればわかるだろうけど、ダウンロード版は色んなサイトで買ってるから把握困難。
しかも、それは買ったやつに限定しての話で、興味のあるフリーゲームとかも含めればもっと増える。
そんなに買って「死ぬまで全部やれるのか?」という疑問がでてくる。
ゲームを週1本のペースでクリアしたとすれば、年に50本。
とすると積みは4年あれば解消できる。
でもそんなペースでは無理。だってSwitchのゼルダだけで3ヶ月もやってたし。
それは長めだったとして、1ヶ月としても年に12本ペース。20年近くかかるという計算になる。そんだけ時間があればきっと色々買い足してる。同じゲームをまたやったりもするだろうし。
予定ではあと100年ぐらいは生きるつもりだけど、そういうつもりを前提にしても、すでに一生分のゲームの貯蓄は完了してるのではないか? と思えてくる。
後回しになってた期待のゲーム
今までは面白そうなゲームは後回しにするようなところがあった。
それ以上面白いゲームが、もうでてこないかもしれないから。
面白いゲームから順にやっていって、残り100年の人生が、どんどんつまらなくなっていくゲームをやるとか、それは何ともつらい。
プレステあたりから、ゲームは進化してるんだろうけど、その方向が自分の好みで違っていってたんで、その点かなり悲観的だった。
ただ、なんだかんだ、期待していいのかなと思い始めている。
そのへんの意識が変わったのは、たぶんMount&Bladeをやった時。待ち望んでいた方向への進化が起きてた。
日本のゲームが好きなトルコのデベロッパーが作ったと聞いて、ゲームに未来はありそうだと思えた。
Cities in Motionsも、ヨーロッパユニバーサリスも。
Paradox推しというだけではなくて
こうやって挙げてみると、全部Paradoxが売ってるやつなんだけど、ただそのメーカーが好きというんじゃなく、可能であることが確認された。
技術的に可能で、需要は世界中にある、と確認できたのが大きくて、もしParadoxがやらなくなっても他がやるだろうと。
企業が駄目なら個人で、日本が駄目なら海外で、誰かしら自分好みのゲームを作ろうとしてる人はいるし、今後もそうなるだろうという期待がもてた。
ただ個人が海外で作ったゲームとなると、言語の問題がでてくる。
誰も翻訳してくれないかも。
これだって技術で補えるだろうし、全部は自動化できなくても学習が容易になる。Netflixで字幕付きの海外ドラマが簡単に見られるようになったのも、技術の進歩によるところが大きい。
そもそもの話として、期待の大きなゲームを大事にとっておいたところで、いざ開けてみれば「思ってたのと違う」ことも多いわけで。その時の期待値が最大のやつからやってもよさそうに思える。
気軽にやって、気軽にやめてもいいのでは
もう1つ積みゲーの解消が進まない問題として、クリアまでやる覚悟を、始める前にもってないといけなうという点がある。
結果としては、自分の能力ではどうしても勝てなかったり、飽きたりしてやめちゃうことはあるけど、始める時点ではクリアするつもりでやりはじめてた。
そうすると、これは時間かかりそうだなあ……というのがどうしても後回しになる。結果として積みゲーが重量級ばっかりになって、余計に崩しにくくなる。
ここらへん、もう少し柔軟に考えたほうがよさそうな気がする。
結局のところ楽しいかどうかで、楽しければ時間かかってもいいし、楽しくなかったら途中で気軽にやめちゃえばいい、という気持ちで始めた方がいいんじゃないかと。
この先面白くなりそうだという期待があれば別だけど、合わないゲームを無理にやって、合わなかったのを確認する必要って、実はないんじゃないか。
クリアするまでやらないと、本当にどういうゲームだったかわからないというのはあるんだけど、別にそれ絶対確認しなきゃダメなものじゃないし、1回クリアしただけじゃ結局そのゲームの本当のところはわからないことも多い。
あくまで自分の期待値で考える
ゲームに期待して買う。
期待して遊ぶ。
そして期待ができなくなった時点で終了。
その先が面白んだよと聞いたりとか、情勢の変化によって期待が高まってきたら、その時点でまた再開すればいいわけで。
そういう自己暗示をかけながら、積みゲーと戦っている。