自分の倫理観に気づかない
いつだったか、日本人は法律でどうだこうだって話ばかりして、倫理というものを持ってないのか? みたいな話を海外の掲示板で見て、衝撃を受けたことがある。
法律を守ってるんだから倫理的じゃないかと、つい考えがちだけと、逆にいうと法律がOKなら何でもやる人間ですと表明してるわけで。
昔、海外の買春ツアーに行ってた人も、別に悪いことだとは思ってなかったらしい。日本では違法だけど、現地では合法だから文句はないだろうと。
何かしらの信念に基づいてるわけじゃなく、単におまわりさんに捕まるかどうかしか考えてないとなると、殺人罪がなければ人を殺したっていいわけで、そんなやつは倫理観の欠片もないじゃないかという話になる。
ただ、実際のところ倫理観が希薄なんじゃなく、ただそれを自覚できてないし、自覚がないからうまく説明できないんだろうと思う。
ストライキ
日本でストライキをやるとたいへん評判が悪い。
というか海外ではそうじゃないというのが、いまいちピンとこないけど。
とくに交通とか物流とか、生活に直結する部分だと、双方の言い分はどうあれ、他人に迷惑をかけるな! という話になる。
これは法律上保証された、労働者の権利なので、部外者がとやかくいう筋合いはまったくない。
その法律と、だとしても大勢に迷惑をかけてまでやることじゃないだろ……という倫理観は同時に存在できる。何もおかしくない。
ただ法律とは別の関係ないところで善悪を判断してる。
その判断ができるということは、倫理観をもってるということ。非常識かもしれないし、時代遅れかもしれないけど、もってる。
「このストは悪い!」と思ったとしても、そこで文句を言うか言わないかも、言ったら捕まるなんて心配はしないだろうから、やっぱり倫理観の問題になる。
そう簡単には変わらない
暗号通貨、生活保護、安楽死……賛成反対の分かれる話はいくらでもある。
国会で法律ができたり、廃止されたり、裁判所が判断したりするけど、それを聞いたからって、その日から善悪のスイッチが切り替わる人がいたら、それはどう考えても怖い。
決まった法律に従うのと、それが良いか悪いかを判断するのは別の話。
倫理観が何かのキッカケで変わることはあるし、決して不変なものではないけど、そう簡単に変わるものじゃない。
公務員が時間外に食事をするとサボってると通報がくるのも、その人なりの倫理観でやってるわけで、それ自体を変えるのはむずかしい。
仮にそんなことで文句言うやつは悪いやつだと、重罰を課してみたところで、損得勘定から言わなくなるだけで、自分は間違ってないと思う。倫理観ってそういうものだから。
空気を読むという倫理観(?)
たぶん日本人に倫理観がないように見えるのが、この空気を読むというところ。
損得でそうするんじゃなく、同じように考えること自体が善みたいな、そういう倫理観といってもいいのかもれしれないけど。
これ考えはものすごいリスクをしょってて、自分が多数派の場合はものすごく居心地の良い世界だけど、そうでなくなった途端に耐えられなくなる。
損得で多数派に従ってるぶんにはいい。それはそれとして自分の考えはあるし、状況が変わってそれが認められる日もくるかもしれない。
でも倫理観でそれを判断しちゃうと、多数派が善で、必然的に少数派は悪で、自分が少数派になった途端に自分は悪人ということになる。
だからちょっとでも少数派になりそうな気配を感じたら、多数派になるように、これが常識だとかマナーだとか、多数派アピールをしながら必死に頑張る。
倫理観の根っこ
でもそうやって多数派=善人でいたいなら、完全に思考を投げてしまって、何もかも黙って多数派に従ってればいい。頑張る必要がそもそもない。
頑張ってる人にはやっぱりそれなりの倫理観がある。
それがどこから来てるのか。
親に言われること。人に迷惑をかけちゃ駄目だとか。具体例が欠けてると、何をされても迷惑だというクレーマーか、何をしても迷惑かけそうで身動き取れない人になっちゃうんだけど。
あとは少年ジャンプだったり、竜馬がゆくだったり、各種のエンターテイメントから吸収してる部分も大きいと思う。こっちは具体例がたっぷりだし、なにより面白いから真面目に読む。
○○は人生とか言ってるのは、冗談や誇張じゃなくて、むしろ何が自分の指針になってるのかわからない方が問題というか。
このへんを自分なりに説明できないから、法律に従ってればいいとか、結局は倫理観のない人と同じ返事になってしまう。
自分に倫理観がないと思ってる人、なんだか頻繁に見かける気がするんで、そういう時は昔読んだ漫画でも読み返すのがいいんじゃないかと思ってる。
自分を構成してる成分を知って、そこから変えていくなりなんなり。