買ったのはゲームじゃなくて、期待
先日書いた、ジャンボウを買った時の話。
買ったのが思ったのと違ったという話だけど、あの状況をよくよく考えてみると「同じパッケージなら中身がどうあれ買っていた」ということになる。
もちろん幼稚園児だからというのも、ゲーム買いに行くのが初めてだからというのもあった。店頭でパッケージを見て買うというのが、危険極まりない行為だと知らなかった。
それを認識した後は、雑誌で情報を集めたり、友達の家で遊んだり、事前に中身を知る努力をした。
でも、やっぱり買ったゲームと思ってたゲームは違う。
聞いた名前がうろ覚えだったり、続編と間違えたりという、ケアレスミスは除いても、メーカー側が都合の悪いところを隠していたり、勝手に好意的に解釈したり、とにかく思ってたのとは違う。
これは情報が不足してるせいだと思っていた。
おれがもってるゲームと違う!
そして昨今はプレイ動画、実況動画というのも出てきた。
これは遊んでる様子がそのまま見えるので、かなり確度の高い情報なのは間違いない。
でもやっぱり買ったゲームとは違う。
例えば格闘ゲームの凄い試合とか見ても、それと同じようにはできない。RTSとかでも同じ。なにしろ運動神経も頭の回転もゲーム経験も違うから。
「おれがもってる○○と違う」なんていうスラングを見かけた時に、たしかに違うなあと思った。たしかに同じゲームなんだけど、やっぱり違うゲーム。
でもこれが完全にパターン化されたゲームであれば、同じようには動かすこともできる。他の人と同じ選択肢を選べば、同じストーリーを見ることができる。
でも同じ体験ができてるか、というと違う。
考えてみれば、映画だって小説だって、人によって感じ方は違うし、自分が見た順番とかでも変わってくるわけだから。同じものが画面にうつるというだけの話で、体験としては別物。
そうすると、結局は格闘ゲームの場合と同じじゃないのか?
何を買ったんだろう?
究極的には、やってみるまでわからない。見てみるまでわからない。
という前提で、わからない物に一体何でお金を出してたのか? というのを考えていくと、思ってたゲームとは違うという、その思ってたゲームの方にお金を出していたのではないか?
実際買ってみたら面白いけど、まったく期待してないゲームというのがあった場合、そんなゲームは買わない。その時の思ってるゲームの価値はゼロ。場合によっては邪魔になるだけマイナス。
セールだったから買ってみて、期待はしてなかったけど意外と面白かった、というのは、小さいながらも期待はあったということ。ほんの少しだけ期待できるゲームだと思ってる。
なにごとにも多かれ少なかれ、そういう面はある。
はじめて行った店で食べるカツカレーでもそうだし。
ただゲームの場合というのは、場合によっては1万円以上するものだったし、何十時間もやる前提で、返品もできないので、1つの判断が非常に大きかった。
そのせいなのか、なんでこれ買ったのかなあ……というのが、漫画とか映画とかの判断に比べると、かなり尾を引いてて、いまだに考え込むことになっている。