お一人様、お一人様を遠隔介護する③
思い切り放置してしまったので、仕切り直し。
このテキストは50代独身娘が80代一人暮らしの母をどう、遠隔介護していくかという話だ。まだ現在進行形である。ちなみに、母はいたって元気で足腰こそ弱っているが、シルバーボランティアにいそしみ、高齢者のサークルで詩吟をうなっている(いた)。今は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で自粛を強いられているため(このいい方は変だ。自粛は強いられるものではないし)、引きこもりである。足腰や認知機能に影響が出そうで少々、不安だが致し方がない。
COVID-19が居住地域に拡がり行政から自粛要請がでるまで、母はシルバーボランティアに参加し続けていた。公園の清掃など屋外の活動だから「大丈夫」の一点ばり。正直、私自身も「まぁ、東京や大阪とは違うし屋外だから大丈夫かな」と楽観視していたのだが、そこに異議申し立てをしてきたのは私の実姉、つまり長女だった。
姉は母と同じ市内に住んでいる。結婚後、義兄が三代続く家業を継いだのだが今回のCOVID-19の影響をモロに被った。あれよと需要が落ち込むなかで持続化給付金や雇用調整金を利用できるのか否か、会社は存続できるのか、雇用は守れるのか、毎日、薄氷を踏む思いで生活していると思う。そんな時、母親と妹が「シルバーボランティアで〜」という濃厚接触な話をしているものだから、あまりの脳天気さにあきれたようだ。
姉は母にシルバーボランティアを止めるように薦めたのだが、案の定反発を喰らって口論の末に私に怒りの連絡がきたのである。姉からのラインには嘆きの長文が並び、電話口では「父親(故人)の運転免許を返納するときと全く同じ! こちらの言うことを聞こうとしない! 心配している気持ちを解ろうともしない!」と愚痴られた。
母を期待すると苦しくなる
私はというと『そんなに怒れるなんて、姉貴は母をちゃんと母親だと思っているんだなぁ』と考えていた。母親=頼れる、理解してくれる、社会的な規範となってくれる存在。そして、自分の言い分に耳を傾けてくれる人。
「うーん。お母さんは、もともと人の気持ちを理解するタイプじゃなかったでしょ。自我バリバリだから強いられると反抗的になるし。変に期待すると姉貴が傷つくよ」気がつくと、私はこう口に出していた。
5080になろうが、子どもはいつまでも子どもでいたい。母親は母であって欲しい。しかし、それは無理な話だ。どこかの時点で母親は母親の役割から降りる。そして子どもはそれを認めない限り、苦しくなる。
私が彼女を母親ではなく一人の人間として見始めたのは、自分で自分の食い扶持を稼ぐようになってからだ。最初は「どうして話が通じないの」などと思春期をこじらせたようなことを思ったものだが、第一に都会で働く独身者と地方の既婚者なのだ。世代やら何やらを抜きにしても価値観や経験知が違ってくるのは当たり前。ある時に「あ、母と私は別の人間だもんね」と思い至り、そこから適度な距離感ができはじめたと思う。
実はこの「母」を「母ではない個人」とみる距離感が介護をする際にとても重要なポイントではないかなと思っている。近距離別居や同居ならなおさら。