2020/07/21の創作日記(〆切まで102日)
これまでなんとなく、主人公の初期動機は欠落からの回復/開放であるべきだと思っていた。理由は単純で、その方が自分にとってしっくりくるからだ。
読む側としても書く側としても、充足状態から更なる欲望を追い求める主人公にはあまりよい印象がなかった。
今まではそのことについてあまり深く考えたことはなかったのだけど、今日なんとなしに主人公についてのマンダラートを書いていたところ、突然気づきがあった。
主人公の役割の一つに、作品と読者を繋ぐカメラという役割がある。
そのため主人公の「目」があまりに特殊だと作品が正しく読者に伝わらない。一人称小説だと特にその傾向が顕著で、「目」を狂わせることで読者の死角を突くミステリー小説なども数多く見られる。
この「カメラとしての機能と特性」と「充足状態からの更なる欲望」を合わせて考えると、僕がそういうキャラクターに感情移入できない理由の説明が簡単につく。
充足状態までの回復は、マイナスからゼロへの過程である。一方、充足状態から更に何かを求めるのはゼロからプラスへの過程である。
僕らは前者への感受性が非常に高い反面、後者への反発を少なからず持っている。
そのため前者には感情移入しやすく、後者には感情移入しにくい。
ちょっと待てそんなことないじゃないかという声も聞こえてきそうだ。現に少年スポーツ漫画などはゼロからプラスへの過程を描くことが多い(とはいえ、昨今の人気作はその分野のエリート選手よりもむしろ身体的に向いていない者を主人公にしがちなのは注目しておくべきだろう)。
ゼロからプラスの過程を描く場合注意しなえればならないのは特定の文脈以外では受け入れられ難い、ということだ。
例えばスポーツ漫画などの場合、主人公は相対的マイナスからスタートすることが多い。
主人公に特に悩みがなく「スポーツで強くなりたい」というプラスの願いだけが存在する場合でも、多くの場合主人公の所属する部は弱小校で、強豪校などと比べるとスタートラインが相対的にマイナスに位置しているのだ。
想像してみて欲しい。主人公が強豪校のエースで、何の悩みも葛藤もなく全国制覇する作品など見たいと思うだろうか?
ゼロからのプラス。あるいはプラスからのプラスが例外的に許されるジャンルも確かに存在するが、それは俺Tueeee系に限定した話であり、ストーリーよりもキャラクターによる無双(とそれに伴う肉サンドバック攻撃)の快楽に重点を置いた場合にのみ許される。
そして最近の俺Tueeee系作品は、マイナスからのプラスという過程を経ることは注目すべきだろう。
「最弱だと周囲に見下された主人公が実は最強だった」などという話は枚挙にいとまがない。
マイナスからのスタート(より具体的に言うなら、物語開始直後にマイナスになる)展開をひとまず考えてみようと思う。