人はなぜ獣になるのか
奇しくも大統領選のあったこのタイミングで、渾身のポッドキャスト企画「人はなぜ獣になるのか」、略して「獣回」が配信される。
人はなぜ人を人とも思わないような行為に及べるのか。人を人とも思わない思考はどこに根付いているのか。自分も誰かの獣行動に知らぬ間に加担しているかもしれない。そういう話を9話に渡ってしている。
録音したのは9月~10月。今の私のムードとはずいぶんかけ離れた調子で話しているが、鼻の奥をツンと刺すような不穏な空気を感じていて、だからこの企画をそもそも持ち込んだのだった。
アメリカ大統領選。8年前にトランプが当選した時の比ではないほどに、今まで感じたことのない強度で悲しみと絶望を感じている。
なぜここまで、悲しみと絶望を感じるのか、この悲しみと絶望はどこから来るのか。SNS上に溢れる感情的な議論に乗っ取られるのではなく、自分できちんと考えて整理しないと、来週の月曜日に大学生の前に立って上手く話せないと思った。
8年前の2016年11月、お金持ちの家に生まれたというだけで威張り散らし、堂々と弱いものいじめをしている浅はかで自己中心的で悪知恵にだけは長けたアホ男が、国民の前で惨敗して打ちひしがれる姿を早くみたいと開票日を待ち焦がれていた。親のお金でなにもかもを手に入れてきた男が、大統領の座だけはそんな風には手に入れられないのだ、ということを思い知る日が遂にきたのだ、と。
だからトランプ当確が決まった時、なんというか、くだされるはずの正義の鉄拳が、正しくないことは正しくないとビシッと線引きされるはずの世界が、いつの間にか舞台裏で刻々と場面替えが行われていて、気が付いたらどこにも存在していなかったみたいな狐につままれた感と、子どもの頃にお祭りで迷子になった時のようなハッと青ざめる恐怖を感じた。
あの時、一夜にして替えられたシーンが、実はずっとエキストラとしてバックグランドに沈んでいた人たちによって少しずつ作られたものであったことや、それにまつわる課題がちっとも解決しないまま8年経ったことを知っているので(それはトランプの4年も含んでいる)、今回は、そうか、そうなんだ、という感覚もある。
けれど、8年前は、総得票数でヒラリーが勝っていた。それは本当に心強いことだった。今回は、正真正銘のトランプの勝利。目を見開いて、意図的に人々は投票したのである。
なぜ、大統領選の結果に、これほど悲しみと絶望を感じるのか。
それは、7千4百万人の同意によって「全ての人は平等である」という基本的信条が破壊されたからだ。(なぜトランプ当選と人権問題が紐づいているのか、もしぴんと来ない方がいたら、一番下に並べておくので、参考にしてください)
「全ての人の尊厳はその人の属性や能力に関わらず平等に守られる」
人間の知的営為の蓄積、今まで教わってきたこと、若い世代や子どもたちに教えてきたこと。人に親切であること、寛容であること、他人を思いやること、他人を受容すること、理解しようとすること、正直であること、倫理的であること、弱者をいじめないこと。これら全てが、この社会において経済より無価値であると7千4百万人が同意したのだ。
経済のために誰かの人権や安全が脅かされても構わない、そんなことを大人が選んだら、子どもたちはどうすればいい?
私だって、「全ての人は平等である」これが建前であることは知っている。経済至上主義のこの世界において、正しくあることが往々にして無意味で無価値であることも嫌という程知っている。だからこそ、この建前を守ることは、守ろうと努力し続けることは、人間が人間であるために、本当に何よりも大切なことも知っている。それを辞めたら、人間は形状記憶スーツのようにずるずると獣に戻ってしまうからだ。
本当の世界では、女性や子どもがレイプされ、障がい者が殺され、移民が搾取され、ひどい扱いを受け、有色人種が差別され殺され、人が人を搾取し、殺し合っている。
「全ての人はその人の属性や能力に関わらずその尊厳を平等に守られる」こんなことそもそもどこにも存在していないからこそ、絶対に守るべき建前なのだ。
この社会を誰にとっても居心地の良い場所にするために、その建前をいつか本当のものにするために、日々小さな石を右へ左へ動かしてきたのだ。今まで少しずつ少しずつ人間が整備してきた道に、一気に土砂が流れ込んでしまった。
誰にとっても居心地の良い社会というのは、「あなた」が自分らしく生きられる社会でもある。誰かや社会の示した合格点や正しいに縛られず、属性に紐付けられた役割を満たすことに縛られず、自分自身で自分自身の居心地の良い状態を選べる社会だ。反対に、自分たち「のみ」が居心地の良い世界は、「誰にとっても」居心地の悪い世界だ。
トランプは、人は生まれ持って優劣が決まっている、と語る男である。
白人は良い遺伝子を持ち、男は女よりも生まれながらに優れている、ある特定の人種や属性(移民や性的マイノリティや女性)の人権は守るに値しない、そう語る男だ。
これら全てに目をつむり、「経済のためだけにトランプを選んだ」という人たちは、経済のために倫理を捨てた大馬鹿者だ。
トランプになれば、自分の暮らしが楽になると思っているなら、第一期を思い出してもらいたい。そして、トランプの第一期、そんなに悪くなかったじゃん?って思ってる人がいたら、一度調べてみて欲しい。ちゃんと悪いことが沢山あった。
富裕層に有利な経済政策は最初こそよく思えたが、貧富の差を助長し、国債は200兆円になった。
中国からの輸入品に高い関税を課したことで、アメリカ国内の農業、産業、消費者にしわ寄せが来た(今回もトランプはあり得ない率の関税を中国に課すと豪語しているが、関税というのは、輸出する国が払うのではなく、輸入するアメリカ国内の会社が払うものである)
·保守的な3人の最高裁判官と229人の裁判官を採用した。今回の選挙の大きな論点になった女性の権利、特に女性が女性の身体に起こることを自分で決める権利は、トランプが第一期目に選出した最高裁判官たちによって女性から奪われた。アメリカでは最高裁判官は基本一度選出されたら死ぬまで務めることになるので、トランプ就任中だけではなくこれから何十年にもわたり、女性、トランスジェンダー、性的マイノリティの人権が脅かされる可能性が大いにある。
気候危機否定派であるトランプはパリ協定への不参加に始まり、100以上の環境問題に関わる政策を取りやめ、化石燃料使用に舵を切った。
国境で少なくとも5千人の移民の子どもを親から切り離し、そのずさんな管理のせいで、我が子の所在が分からないままの親が大勢存在することになった。今になっても解決していないケースもある。親の気持ちを想像したら胸が張り裂けるでは済まない恐怖だ。
BLMの抗議運動を軍隊で制圧した。
これはほんの一部である。
民主党が全て正しいとは思わないが、経済のために倫理を捨てた人々に問いたいのは、バイデン政権は少なくとも、コロナの大打撃(とトランプ政権の残したカオス)から、インフレの危機的状況を回避したこと。給料も順次上がってきたこと。失業者も年々減っていること。これらをきちんと理解していたのか、ということ。
ハリス氏の敗因に関しては、様々な人たちが分析していて、選挙戦略、短すぎた準備期間の不利、不備、分断、SNSやFoxニュースにはびこる嘘(これはひょっとすると最も深刻な問題かも)。それに加えて、人々の生活のことなんてなんとも思わない億万長者たちや政治家たちが、己の利益のためにのみ、あの手この手で人々を操り、利用したこと。
利用された人々に責任が全くないとは言わないが、経済の仕組みが分からない、正しい情報の見分け方が分からない、という人が一定数いたとして、あれだけのウソの情報を浴びせられれば、批判的思考の訓練を受けていない人なら、簡単にマインドコントロールされてしまうのは理解できる。知識と思考能力があってなお、己の利益のために人々を利用することを自分の意志で選んだ大富豪たちや政治家たちが一番の獣だ。
来週の月曜日、学生の前に立つとき、そしてこれからの4年間、今まで信じた倫理を教え続ける時、どのように学生の気持ちを、士気を保てるか。私自身の士気を保ち続けられるか。その学生たちが小さな子どもたちの前に立つときに、どうやってその気持ちを保っていけるのか、どうやって子どもたちに、それでもこの建前を守っていかなければならいのだと伝え続けていけるのか。どうやって子どもたちを守れるのか。
獣回の7話目に出てくる、バンデューラの起き上がりこぼし実験というのがある。子どもは大人を見て真似る。特に、その行為が社会的に容認されていると認識した時に、その行為を真似るのである。
この世界では、レイプをしても、女性蔑視をしても、嘘を付いても、人種差別をしても、外国人嫌悪をしても、弱者をイジメても、重犯罪を犯しても、大統領になれる。子どもたちはこの全てを見ている。
「人はなぜ獣になるのか」、できるだけ多くの人の耳に届けば、と、がらにもなく願っています。人間が人間であるために、私たちにできることはなにか、一緒に考えましょう。
[参考]なぜトランプ当選と人権問題が紐づいているのか:
トランスジェンダーや性的マイノリティの人々を脅かす政策
外国人嫌悪、人種主義、白人至上主義:ハリス氏の人種を揶揄する発言多数。また、移民に対して、悪い遺伝子、犯罪者の遺伝子、血も涙もない殺人者、地球上最悪の人種…、そして、白人は良い遺伝子を持っている、など、ナチスそのままの優生学発言。100年古いよ。自分が勝ったら、直ちに大量の移民たちを強制送還する、収容キャンプに送る、モスリムの入国禁止令を出す。これもナチスそのものだが、ナチスが、成功者を妬むシャーデンフロイデの感情を使ったのに対して、トランプは声なき弱者をターゲットにした点で獣すら食わない獣である。ちなみに、移民に犯罪者が多いというのは全く事実ではない。むしろアメリカ国民の方が犯罪率が高く、移民の入国が増えたここ数年の犯罪率は下がっている。
女性蔑視的発言多数:女はリーダーにはなれない。女は上手く政治をできない。ヒラリークリントンをビッチ呼ばわりしたり、以前から知られた「女の股を掴んだら、こっちのもの」発言も気持ち悪すぎる。選挙集会でのタッカー・カールソンの「バッドガールのケツをぶっ叩いてやる」スピーチはヘドロが出そうな気持ち悪さだった。トランプ本人が言ってはいないとはいえ、これを自身の集会で許したということだけでアウト。トランプ当選後、「My body, My choice」という女性の人権を主張するスローガンを揶揄する「Your body, MY choice」という投稿がSNSに出回った。これは男が、女の身体に関わることは俺が選択する、と言っているのである。ふざけんな。
男尊女卑、家父長制的言動多数
第一期から一貫して気候危機否定派。気候危機問題は人権問題だ
銃規制反対派
かつてトランプ政権の国土安全保障長官だったジョン・ケリーは、トランプは独裁的な権力を欲するファシストであると証言した。トランプ自身、就任後一日目から独裁者になる、と豪語。それが例え口だけのウソだとしても、これを容認した有権者の罪は重い。
ちなみに周知のことと思うが、トランプは、26件の性的違法行為と34件の重罪行為で有罪判決を受けている。