20年前の自分に送りたいアドバイス
今年もまた大学の一年が終わりました。アメリカの大学は4月末~5月頭が年度末。そこから9月(大学によっては8月中旬)まで4か月の長い夏休みです。
夏休みの間にも一応夏学期のクラスはあって、教えたい人は教えていますが(うちの大学はそれによって結構良い額の給料も出る)、私は敢えて夏学期は教えないポリシーを貫いている。
というのも、12か月分の仕事を8か月にぎゅぎゅっと凝縮したようなこの仕事量をこなしたあとの疲労困憊度といったら、イギリスとフランスの間にあるドーバー海峡を泳いで渡ったとき並みで(渡ったことないから完全に想像の域だけど)、
息も絶え絶え、足もつりつり、ひとまず休ませてくれ!と絶叫しそうなほど、「疲労困憊ここに極まれり」といった様相。そこに、普段は4か月の学期で教える内容を6週間または4週間で教える夏学期など、誰がやるか、ばーか!と泣きながら叫んで逃げ出す子どものような調子で、夏学期は教えないと決めている。
そして、夏に教えないもう一つの理由は、前に書いたマルチタスキングできない問題と関連して、学期中にやりかけたまま終わらせられないでいる研究プロジェクトの諸々を夏に終わらせなければ、一生終わらせられないから、という悲しき現状がある。
それでも、いくつかの研究プロジェクトは、共同研究者の猛烈プッシュによって学期中にも終わらせられたし(誰かにめちゃくちゃプレッシャーをかけられればできるのだから、かけられなくてもやれよ!と自分に言いたいが、プレッシャーがあるとないとでは昼と夜ほどの違いがあるので、仕方ない)、学会発表も2度、論文も2本は出版できた。上出来ではあるのだけど、それにかまけてだらだらとしていたら、また次の年がやってきて、出版数云々のプレッシャーもまた訪れる。(人生ってつらいね。)
なので夏は教えることをお休みして、研究に比重を置いていきたいのです。
それに加えて、最近の私は教えていようがいまいが、軽く更年期(ひょっとするとどっぷり更年期)、月のうち2週間ほどは謎の疲労感や偏頭痛と戦っていて、とにかく少しのことをするのにもバスを一台引いて高尾山を登るがごとくの重労働感が付きまとう。
学生の論文を一日10本(だいたい160ページ分くらい)読んで成績付けをすると、もうこれ以上は無理、死ぬ!みたいな状況(ちょっと大げさ)。で、あぁーしんどい、辛い、助けてくれ~とソファでゴロゴロしていると、
夫に、日本人なら過酷な受験勉強を経験してるはずでしょ?その時は、どうやって何時間も勉強できたのか思い出してみたら?と言われて、
もくもくもくもく~とその当時を淡い雲のように思い起こしてみれば、その答えは超簡単シンプル。
そう、あの時は、全然疲れなかった!
なんというか、あぁーしんどい、身体がだるい!みたいなこと、生理の前後にちょっとあったくらいで、あとは断然ぴょんぴょん跳ねていく鹿の如くに、かっるが~るといろんなことをこなして、それでいていつもエネルギーに満ち満ちていた。受験勉強しながらランニングもしてたし、大学時代など一日や二日徹夜しても機能していられた。あれほどの身体の軽さが今あれば、論文の3本や4本毎年出版できるんじゃないの?!と思う。
そんな底なしのエネルギーも、気が付けば水を抜いた池のようにカラカラに乾きあがってしまい、あのエネルギーってめちゃくちゃ大事な資源の一つだったんだ、と今になって痛感する。
20代の私は、若い頃はなんでも経験した方が良い、という助言を、「色々なことを」経験した方が良いと捉えて、デパ地下の総菜屋の品揃えのように本当にバラエティーに富んだ経験をしたけれど、今もしあの時の自分にアドバイスができるなら、
「色々な経験も悪くはないが、できればフォーカスを絞って、絶対に譲れない一つのことに絞ってその限りあるエネルギーを使いたまえ~。なぜなら~、そのエネルギーには~限りがあるから~!!」と魔女のような口調で言ってやりたい。ビビらせるほどに言ってやりたい。
でも、きっとそれを聞いても、本当にはそれを理解できずに結局無駄なことをあれこれやってみて、フォーカスぶれぶれ人生を送る可能性高し、なのも分かるんだけど。そしてそれが今の自分に繋がっていて、今の自分でひとまず良しとしようと思うところにまだ辿り着けてないこと(そういう心理的状況)が一番の問題なのかもしれないが。
限りある資源&時間に関して思うのは、Malcolm Gladwellの書いた本で一躍有名になった「1万時間ルール」。何かのスキルをマスターして一流になるには、1万時間の集中した練習が必要である、というあの原則です。逆を言えば、1万時間を費やせば、何かをマスターすることができるようになるということでもある。
実際、1万時間ルールを逆研究したデンマークの心理学者Susanne Bargmannは、子どもの頃の夢だった歌手デビューを1万時間ルールに従ってやれるかどうか試した。歌は大好きだったのでモチベーションは十分にあったけれど、決して上手いわけではなかった彼女、まずは自主練してみたものの思うように上達せず、研究に協力してくれるボイスコーチを探して、コーチのもと練習すること数年。ある日突然憧れのクリスティーナ・アギレラのように力強い声が出せるようになり、ついにデンマークで歌手デビューを果たす。
ここで大事なのは、Gladwell氏は強調しなかったけれど、元の研究が提示していたのは、単に1万時間練習するだけではマスターパフォーマーになれるとは限らず、大事な改善ポイントを的確に教えられる先生が付いて、その助言に基づいてフォーカスを絞った練習をすることが大事な条件になるということ。フォーカスを絞って上達ポイントを意識した「意図した練習」を1万時間することが必須なんだとか。
1万時間。1日3時間を費やしたとして9年。
今までの1万時間はもう戻らないとして、これからの1万時間、どう使うか。
はいっ!フォーカス、プリーズ!(手を叩いて、チームを集めるコーチのように、自分の中のバラバラのTo-Doを集める気持ちで。)