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全ての答え(42じゃないよ)

ニューヨークにあるブリーカーストリートというお洒落ファッション通りみたいなところに、フランス発祥の人気ブランチ店がある。

フルーツの載ったワッフルにするか、ローストマッシュルームサンドイッチにするか決められず、混みあった店内で(*コロナ以前のことです)忙しく歩き回る店員に再三注文の決断を迫られ、「この二つのどちらにしようか迷ってるのですが、お勧めは?」と尋ねたら、

It doesn't matter!」(別にどっちでも。)という返事。

ド、ドライすぎる。忙しいのは分かるけど。きっと本当にどうでも良かったんだろうな。(質問に対して、It doesn't matter. という返しがちょっとズレてる感じもあるので、ひょっとすると質問を誤解した可能性もある。)

何事につけ、良い点・悪い点を隈なく点検してから物事を決めようとする完璧主義的面倒臭さは最近の私の最大の弱点でもあって、そのせいでいちいち決断に時間がかかるのが難点。

確かにその店員の言うように、だいたいの物事は結局「It doesn’t matter.」なんだよね。

どっちにしたところで大した違いはない。

今日フルーツワッフルを食べたら、今度来た時にローストマッシュルームサンドを食べればよいだけのこと。もし二度とこの店に来ることが無かったとしても、死の床で、「うぅっ、あの日、ローストマッシュルームサンドにしておけば…」と後悔することもなかろう。人生の究極の答えを知る日曜日。

そういえばハーバード大学の社会心理学者、ダニエル・ギルバート博士も、物事の決断というのは、してしまえば、選んだ決断を良かった方の決断と考えるようになっているので(人間のコーピング・メカニズム)、ぐだぐだと時間を無駄にして決断できずにいるよりは、さっさと決断をしてしまった方がハッピーな人生だ、というようなことを言っておられた。

ギルバート博士の研究によると、未来のための決断をするとき、今の自分が考える未来は今の自分が考えたものであり(そりゃそうだ)、その決断を生きる未来の自分は今とは違う自分だから、未来の自分がそれで良かったと思うかどうかは分かり得ない。けれどもなぜか人は、自分はいつも自分だから、十年後二十年後も変わらずこう思うはずだ、とか思うものだそうで、だから今の自分がばちっと正しい決断をしなければいけないのだと思い込んでしまう

ところが例えば二十八才の人に、十八才の自分と今の自分は同じかと聞くと、全然違う、と答えるし、五十八才の人だって「もう行きつくところまできた、これが自分という人間だ」とその時は答えても、十年後の六十八になってみると、今の自分はあのころとは全く違うよ、と答えるのだそうだ。

勿論、年月を経ても変わらないコア(核)のような部分はあっても、今の自分と少し前の自分はまるで違う人物のように思えるもの確かで、だからこそ私はいつも数か月前の自分を恥じながら生きている(これもまた面倒くさいやつ)。

以前は三十五歳頃を過ぎれば、沸点に到達した水が安定して沸き続けるように、安定して賢くなっておバカな言動も減って、自信と誇りを持って堂々と生きられるようになるはずだ、と淡い期待を持っていたけれど、今ではそれが、いわさきちひろさんの絵よりも淡すぎる期待だったということを知って落胆している。

「六十になる今でも、去年のこと思ってなんであんなことしてもうたんやろ、と思うことばっかりやで。人生恥まみれや。」と、かつて退職間際の同僚に言われたことがある。その時は、ううっ、人生って辛いな、と思ったものですが、人生恥まみれ。本当にそれ。

ところで前出のギルバート博士が十五年間に渡って、どうすれば少なくとも恥にまみれすぎることのない決断ができるのか、という研究をして得た答えは(十五年間もこのような研究をなされるほど、「人生恥まみれ問題」は根深いということでもある)、そもそも自分ひとりで目を閉じて想像力を駆使して未来を決めるのは無理だということ。ではどうすれば良いのかというと、答えは簡単、その未来を生きている人に聞けばよいのです。

例えば、フルーツの載ったワッフルを食べている隣の客に「そのワッフル美味しいですか?」と尋ねる、そのすし屋に行った客のレビューを見る、その映画をみた人の感想レビューを見る、など今ではそんな便利なシステム既に数多くあり、物事の大小関わらず、ほとんどすべての未来の決断は、その未来のどちらかを生きている人がいるもの。だから、その人たちに聞けばよい、という。

ところが人はなぜか他人の意見に頼るのを嫌がるもので、例えば誰かの書いた映画のレビューを見るか、予告編を見るか、どちらをその映画を見る見ないの判断材料としたいかと聞かれると、皆予告編を選ぶのだそう。で、実際には予告編よりレビューの情報の方が正しかったと後になって答える。

なぜ他人の意見に頼りたくないのか、それは自分が他の人とは違うのだというイリュージョン問題のせいで、それは「自分はとてもユニークな存在で、誰かの意見が自分にも当てはまるとは限らないぜ」と思い込む悲しきイリュージョン

ギルバート博士によるとですね、残念ながら、人は皆それほど違わない。その映画を観ようと思い立って観た人が持った感想は、その映画を見ようと迷っているような自分の感想とそう違わないということです。

ただ、楽しみ度・幸福度に関して言えば、未来の結末を知らない方が楽しみ度・幸福度は上がるのだとか。

つまり、答えは結局「It doesn’t matter.

投げやりにではなく、どっちもオッケーよ、と暖かく包括する意味で、どちらを選んだとしても、その決断で満足するようになっているのだし、どちらを選んだとしても生きている限り大なり小なり恥にまみれることになる。だから悩んだ時はさささと決めよ、ということです。(たぶん。)