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自分のことが嫌いで好きで

お久しぶりです!

こんにちは、unagiです。
少し久しぶりの投稿になりましたね。皆さんの記事にお邪魔する頻度もかなりゆっくりになっていたと思います。(これからもゆっくりになりそうです、ごめんなさい🙇‍♀️)
心理系以外はわかりませんが8~10月というのは大学院の受験本番の時期。そして、現在迷走中の私にとっては必然と色々考えてしまう時期でもあり、ネガティブになったり、身体に地味ーな不調が出やすい時期でもあります。

なので、今回の記事は結構ネガティブな仕上がりになると思われます。
書くのも迷ったのですが、頭の整理を兼ねて素直に書く・書き続けるというのも目標にしているので。
それでもいいよって方だけ読んでくださいね。



性格新聞から

前回の記事で性格診断をしてみましたが、「自罰的な傾向が強い」というのは自覚があります。というか、自信がないんです。
人の目を気にしてしまうことが多いし、常に「何が正解なのか」を気にしてそれに寄せようとしてしまう。
他の人にどう思われているか気になるから嫌われないように気を遣うし、迷惑をかけたり、誰かに頼ったりすることに抵抗が強い。
人に褒められたら「この人はいつ私に失望するんだろう」と思ってしまったりもする。

それでいて、本当に「性格がいい」わけではないから、自分が勝手に周りに合わせたくせにイラついたりもしてしまう。表に出さない努力はするけれど。
勝手に「穏やかな人」を演じているくせに、「穏やかだね」とか「優しいね」と言われると、なんだかなんだか自分の内面の葛藤を無視されたようでまたイライラしたり。きっと素直な善意からの言葉なのに。
素直に受け取れるようになりたい。


自分が嫌いで

こんな性格ではあるけれど、それでいて自己愛が強くてプライドが高いところもあって。
要は、「自分を守るため」とか「自分で責任を取るのを避けるため」に自分から仮面を被っているんだと思います。自分のそんなところがどうしようもなく嫌いです。

…年齢だけは大人だけど、精神的にも自立した大人になりたいものです。
個人的な考えとして、「自立」というのは「誰かに頼らなくても自分で何とかする」ということではなくて、「多方面に少しずつ頼って、持ちつ持たれつの関係を作る。そして、自分も相手も無理に変形させることなく過ごしていく道を見つける」ということかなぁと思っています。
つまり、程よい依存先をたくさん作れるようになるとともに、自分も誰かにとってそういう場所になる、というか。

そのためにも、少しずつ仮面を脱げるようにしないと、と思っています。


だけど自分を嫌いきれない

さて、ここまで「自罰的なくせに自己愛が強い自分が嫌い」という話をして来ました。だけど、こんな自分を嫌いになりきれない気持ちもあるんです。

自罰的な分、相手に落ち度があるように思っても、相手の立場を理解しようとしたり、「自分にも悪いところはなかったか?」と考えることが多いです。そうやって、まず相手目線からも考えようと心がけている自分は嫌いじゃないです。
他の人に迷惑をかけないよう、自分のすべきことはしようと心がけているので、「ちゃんと責任を持ってやってくれる」と思ってもらえることもあります。
自分が他の人に与える影響を懸念しすぎて自分が出しにくくなることも多いですが、その反面「優しい」とか「おだやか」とか「しっかりしている」と思ってもらえることが多いです。(実際は結構ポンコツなんですが…笑)
先述の通りモヤモヤも少しあるのですが、そう思ってもらえるのはありがたいことだと思います。


「自罰的」であることに救われた?


※ここからまたネガティブな内容を含みます。

大学生の頃派手に病んだ時、そして今迷走中の自分。よく考えてしまうことは、「なんでこんな自分が生きているんだろう?」「こうやって過ごしていていいのかな?」ということ。
死にたいわけではないんです。「死のう」と思うほど自分の人生がハードモードってわけでもない気もするし。
ただ、生きる事に対して前向きなわけでもない。

そんな私がなんとなく生きている理由は、「肉体があるから」です。(あとはシンプルにそうする勇気がないから)
寿命が来てしまったらしょうがないし、事故とかで死ぬってなってもまあそれもしょうがないのかなとは思います。

ただ、今のところ自殺しようという気持ちはないです。
肉体がある以上、自殺したら周りの人に少なからず衝撃を与えることになると思うからです。
衝撃を与え得るというのは他の死に方も同じだと思いますが、「死ぬ」ということに対して自分で何か抵抗できるわけではない、不可抗力的な部分が大きいからもうしょうがないかな、と。

例えば、私は寮に住んでいたので「私がここで死んだらこの寮は事故物件になるんだなあ」とか、「寮の友達びっくりするだろうなあ」とか。
あと、どうしても肉体が残ってしまうので、「掃除とか大変だろうなあ」とか、「別のところで死んだとしても処理してくれる人に申し訳ないなあ」とか。

自分が他の人に与える影響を懸念する自罰的な傾向が強いがためにそういう考えになったのかもな、と思っています。
自分で決めて死ぬ自殺は、「なんかもう色んな人に迷惑かけちゃいそうだし、どうしてもじゃない限りいいや」ってなりました笑。

肉体と、自分にまつわる記憶ごとパッと消えることができるならそうしたいな、とは何回も思っていますが。


※「自殺」というのはデリケートな話題だと思います。
それがどんな形であれ、その人なりの地獄があって、それまでに溜まってきたものがあってのことだと思います。それこそ、「不可抗力」的な。
エゴだとわかっていても「生きていて欲しい」と思ってしまうので、肯定はしたくない。けれど、その人の尊厳として、否定できるものでもないのかもなんて思っています。…デモ イキテテホシイ…


今回はかなり暗めになっちゃいましたね。
ここまで読んでくださった方、ごめんなさい。そして、ありがとうございます。

次に何を書くか・いつ書くかは未定ですが、今度は何か気楽に読める記事を載せられたらいいなと思っています。
うちの猫達の話とかも良いかもしれませんね💭💭

それでは、今日はここまで。
ご覧いただきありがとうございます。unagiでした!

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