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「本当の自分をさらけ出す」を考える   ―『虹ヶ咲学園』と『プリパラ』を比較して―

『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の第8話、桜坂しずくのエピソードは、「本当の自分をさらけだす」というテーマでした。
小さい頃「人に好かれるよう演技をした方が楽だ」と悟ったしずくは、常に演技をしながら生きるようになりました。そんな彼女が「本当の自分をさらけ出せる」ように成長するまでを描いていました。

しかし、私はこの「本当の自分」というテーマに違和感を覚えます。そもそも「本当の自分」、そしてそれを形作るアイデンティティとは何なのでしょうか。1人の時の自分、家族と話す自分、学校の友人と話す自分、バイト先での自分など、シチュエーションによって少しずつ自分の「キャラ」は異なります。もちろん「できるだけ自分らしくいたい」と思うのは自然なことですが、「これが本当の自分だ」という唯一無二のものが存在するかは怪しいと言えます。むしろそれぞれのキャラの中に、少しずつ違った自分が現れているのではないでしょうか。

このアイデンティティの問題について、『プリパラ』の登場人物、北条そふぃと南みれぃを参考にしてもう少し考えてみたいと思います。

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まず、北条そふぃについてです。そふぃはしずくに近い、「本当の自分をさらけだすこと」に悩むキャラです。彼女はクールなカリスマアイドルとして登場します。しかし、実はレッドフラッシュ(うめぼし)をキメたときしかクールになれず、普段はぷしゅ〜としています。そふぃは普段の姿を観客に隠しながらライブしていましたが、主人公のらぁらに「普段の姿も好き」と言われたことをきっかけにコンプレックスを克服し、ぷしゅ〜モードとクールモードどちらも公に見せるようになります。

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一方、南みれぃはそふぃとは真逆で、「理想的なキャラを積極的に演じる」キャラクターです。彼女は普段は真面目な委員長なのですが、プリパラ内では語尾に「ぷり」を付けるポップなアイドルを演じています。
しかし「ありのままの自分」を見せられるようになったそふぃを見て、「自分も普段の姿をさらけ出さなければならないのではないか」と悩むようになります。
そしてここからが重要なのですが、みれぃは「普段の自分をさらけ出す」という選択は取りません。「普段のみれぃ」と「アイドルのみれぃ」、「どちらもありのままの自分だ」という結論に至るためです。ずっと2つの顔を使い分けてきたみれぃにとって、「自分のアイデンティティはどちらか」というのはナンセンスな問いだったのです。

この一見矛盾している両者の行動を、『プリパラ』はどちらも肯定しています。このアクロバティックな擁護の根拠になるのが次の言葉です。

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私立パプリカ学園校則第1条! 生徒は自分に自信を持たなければならない!
『プリパラ』第32話 「みれぃ、ぷりやめるってよ」より

2つの人格のどちらかを選ぶのではなく、どちらも受け入れるという点ではそふぃとみれぃは共通しています。『プリパラ』で重要だったのは、「本当の自分は何なのか」を考えて選ぶことではなく、自分の中の「自信がない私」の部分を自信を持って発信できるようにすることなのだと思います

人は「素に近い自分」と「人に合わせた演技をした自分」を始め、様々なキャラの自分を持っているのだと思います。しかし、「本当の自分」はどれか1つではありません。大事なのはそれぞれの自分、そして全てを合わせた全体としての自分について、「自信を持っている」といえることではないでしょうか。

そして自信を持つために必要なのは、コンプレックスとなっている部分の自分を愛してくれる存在です。そふぃにとってのらぁら、みれぃにとっての雨宮くん、しずくにとってのかすみのような存在がいることこそが、アイデンティティに悩むことよりも重要なのです。

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参考文献


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