新生活の楽しみよりも、不安が大きい理由を考える
先日、無事大学院のあるイタリア、ローマに到着しました。
もともとの居住地であったバレンシアでは、残してきた荷物の整理をしたり、月末にたまった大量の仕事をこなしたり、思い出を振り返る間もなくバタバタと過ごしました。
永遠の都、ローマ。
これまで旅行で2度、ローマを訪れたことがありましたが、それでもローマの「訪れるべき場所」の10%も訪れることができなかった気がします。
それくらい、ローマは見どころが多い街です。
ローマという街は、他のどんな街にもない特別な空気があって、紀元前からずっとそこにあるものが、今も平気な顔をして日常に溶け込んでいます。
ローマの街を半日かけてぐるっと散歩してみたら、あまりの情報量と人の多さに、なんだか疲れてしまいました。
だからこそ、この街に長く住んで、じっくり隅々まで見て回る機会を得られたことを嬉しく思います。
ローマに着いてしばらくして、今の気持ちは、はじめてバレンシアに着いたときとは全く異なる心情であることに気づきました。
今から2年半前、スペインでの初めての海外生活を始めたときは、「楽しみ」と「しんどい」というシンプルな感情がすべてでした。
見るものすべてが新鮮で、新しい人生の始まりのように感じて、うまくいかないこともひっくるめてわくわくしていたような気がします。
当初は1年という期限付きのつもりでスペインに留学していたので、「今を思いっきり楽しもう」という気持ちが大きかったと思います。
でも今は…
スペインで生活をしはじめたときに比べて、手放しで今の環境を楽しめない自分がいます。
やっぱりどこかで、生活に対する大きな不安が、いつもつきまとっていることに気づきました。
新しい街、しかもこんなに魅力的な街で美術史を勉強するチャンスを掴むことができて、自分は本当に運が良かったと心から思っています。
でも同時に、「お金は足りるのだろうか」「仕事をしながら勉強ができるのだろうか」というリアルな問題に、大きく気をとられているような気がします。
スペインで留学を初めたときは、社会人時代の貯金がありました。
もっと平たく言えば、仕事をせずともお金の心配をしないで生きている環境にありました。
大学院での勉強も、やるとなったら全力でやりたいので、仕事に時間をとられすぎてしまったら…
反対に、学業に手いっぱいで、仕事をする時間がなかったら?
なんとか勉強と仕事を両立できても、友達とでかける時間がなかったら?
ローマの街を楽しめなかったらどうしよう。
漠然とした不安がずっと頭から離れない中、本質的な意味で自分が何にストレスを感じているんだろうと考えてみました。
そこで気づいたのは、私の今のこの悩みは、まだ形のないものだということです。
おそらく自分は特に、「将来の未確定要素」にストレスを感じてしまうのかもしれません。
私の進学する大学院は、来週から授業が始まる予定です。
はっきり言って、授業の時間割さえもまだわからないのに、この悩みを抱えること自体、意味がないと思いました。
お金がない、時間がない、将来的にその問題を抱える可能性は大いにありますが、今それについて悩んだところで、解決することができません。
そのときになって、条件がそろって、「この時間の中でこれだけの仕事をこなしてね」ということが明確になれば、解決策が自然と出てきます。
それがどんな選択肢になるのか今はわかりませんが、解決に向けて行動できる環境が整えば、実際はそこまでストレスを感じないような気がします。
未来の不安は、未来の自分に託す。
今は、今できること、すなわち語学と仕事、新生活準備をきちんと頑張る。
シンプルなことですが、ときどき考えすぎてわからなくなってしまいます。
もやもやしたときは、こうやって文章を書くと意外と思考がクリアになったりもするので、大したことではないですがnoteに残しておきます。
駄文を最後まで読んでくれてありがとうございました!