トルゥーマンショウ(ネタバレ)

冒頭から主人公は映画の住人であり、その他の登場人物は演者であることが伝えられるこのシーンで"ネタバレ"を作品から言われ、見続けることが萎えてしまう。しかし、本作にはそんな"ネタバレ"をされても作品に引き込まれるところがいくつもある。

まずは、カメラワークである。いかにも隠し撮りをしているようなカメラ配置はまるで"初めてのお使い"のようにうごき、この映画の特徴の1つのように見える。そして、演者たちの動きも"演じている"のである。ラストに近づくにつれて主人公とともに本作の粗さが浮き彫りになる。

本作鑑賞後、自分はさまざまなシーンに会うキャラクターを演じているのではないか。自分以外の人物たちも演じているのではないのだろうか。演じあっているとしたら何が本物なのだろうか。そんな疑問が湧いてくる。


つまるところ、演じている自分も自分の1部である。自分や他人に大小問わず、演じている(嘘をついている)世の中は成り立っている。そこから脱却することはまさしく自由であり、ラストシーンのような自由に対しての爽快感は殻を破らない限り訪れないことに気がついた。

映画:トゥルーマンショー

監督:ピーター・ウィリア

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