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新生月姫 6話

怨恨と愛情と

フウは自室の窓から中庭を見下ろした。中庭ではナギサとカスリとサーラの三人で、お茶をしている。
暖かい日差しの下で、ナギサの楽しそうな笑顔だけが妙に浮かび上がって見える。
「フウ、どうかした?」
その言葉にフウはハッとした。振り向けば、クロスが心配そうな表情でフウに問いかけていた。
「……いえ。何でもないわ」
フウが物憂げに答えると、クロスはフウに近付き、肩をそっと抱くと、同じように視線を中庭へ移した。
「ああ、ナギサちゃんたちか。随分と、楽しそうにお茶してるね。フウも混ざりたいの?だったら、行こうか」
クロスの笑みにも、フウはすっと視線を落とすと、首を横に振った。
「いいえ、違うわ。ナギサが……王女としての自覚があるのかしら、って思って」
そう冷たく言い放ち、フウは窓辺から身を離す。
その様子には、クロスもかなり驚いたようで、「え?」と上擦った声を上げた。
「ぼくから見たら、ナギサちゃんも頑張っていると思うよ。それに、帰って来たばかりでずっと勉強続きだろうし、息抜きは許してあげても」
「クロスは、ナギサの味方をするの!?」
クロスの言葉を最後まで聞かず、フウがカッとして叫んだ。
基本、勝気で自信に満ちており、ちょっとのことでは感情を露わにしないフウの怒鳴り声に、クロスはたじろぐ。
婚約する前から、いとことして長い付き合いではあるが、フウがここまで爆発したのは、あの事件以来でもあった。
「違うよ。そうじゃなくて」
そう慌てて否定したが、フウはクロスの胸倉を掴んだ。目の前には怒りに満ちたフウの顔があり、クロスはぎょっとした。
「わたくしたちだって同じだったじゃない!わたくしの気持ちはっ、頑張りは当たり前なことじゃない!そんなにできた“お姉ちゃん”じゃないわ!!」
そう叫ぶと、フウは突き飛ばすようにクロスを手放し、その勢いで部屋から飛び出した。
「フウ!待って!」
クロスの呼び止める声が、フウの耳にも届いているはずだが、彼女はそれを無視して走り続けた。

ずっと嫌いだった。
“大神”の魂を持って生まれたため、“次期月王”として愛情を一身に受け、“次期大神”として大事にされてきた“妹”。
一方で、どう頑張っても二番目の“姉”。月界の第一王女という身分こそあれど、どう足掻いても妹には敵わない。
別に、両親が自分を蔑ろにしていたわけではない。
しかし、母は、妹の教育に手一杯であったし、空気を読んで甘えなかったわたくしのことは、“手のかからない良く出来た長女”としか見ていないだろう。
一方で、父は、幼くして重責を担った妹を憐れんでいた。そして、そんな母の代わりと言わんばかりに、わたくしのことも変わらず愛情を注いでくれた。
結果、わたくしは父にべったりな、所謂お父さんっ子だった。いつも父の後を追い、一緒に居ることが当たり前で、幸せだった。
しかし、それは突然消されたのだ。父が、魔王に殺されたから。
本来なら、魔王を恨むべきなのかもしれない。実際に、ナギサは魔王を恨んでいる。
でも、あの時のわたくしはナギサを恨んだ。実の妹であるナギサを。父が、魔王に殺された理由は全て、ナギサが次期大神だからなのだと。
ナギサが、“大神”の座につくことを望んでいないことは知っている。しかし、それが原因で父が殺されたのは事実で、ナギサが“次期大神”でなければ……そもそも、ナギサさえいなければ、父は殺されることはなかったのかもしれないと思ってしまうのだ。
憎い。狡い。妬ましい。次期大神である彼女が。全ての能力も、愛情も手に入れた彼女が。全てが完璧である彼女が。絶対的存在である彼女が。

「どうしてっ!本当の妹なのにっ!!」
フウは叫んだ。
人があまり来ない廊下の出窓に腰かけ、泣きながら、自分と葛藤していた。
「ただの王女でしかないわたくしでは、ナギサの横に立つなど烏滸がましい。同じ姉妹なのに……大事な、妹なのに……」
フウはぽつりと、まるで自分に言うように感情をぶつけた。
「フウ、やっと見つけた」
「っ!クロス?」
良いタイミングで現れ、そっと優しく抱きしめてくるクロスに、フウは目を大きくし、見つめ返した。
「悩んでたなら打ち明けてほしかったし、一人で泣かないでほしいな」
そう優しく言いながら、クロスはハンカチを取り出すと、フウの涙を拭った。
「ちょっ、ちょっと!子供じゃないから、自分でできるわ!」
フウは照れもあるのか、慌てて自分でやろうとハンカチを取り上げようとするが、クロスは笑顔を浮かべつつも、絶対に渡そうとせず、思わず二人で謎の攻防を繰り広げた。
やがて、しびれを切らしたフウが「ふんっ」と無理にハンカチを奪うが、それに合わせてクロスが口を開いた。
「……でもさ、フウの気持ち、わかるよ」
今まで優しげにフウを見ていたクロスだったが、眉を下げて言う姿に、フウは「え?」と思わずクロスを見つめた。
クロスも、フウの顔を見つめながらも、自嘲したように笑う。
「ぼくも、カスリがナギサちゃんと婚約したことで、自分の立場の方が低いんだって思ったことはあったから。とは言え、婚約者って立場だから、フウやナギサちゃんと違って、頑張れば変えられる未来だけどさ」
「ナギサの方が好みだったの?」
「そうじゃなくて!そもそも、フウこそ、大神になりたいの?」
問いを問いで返され、フウは慌てて首を横に振った
「違うわ!ただ、姉なのに、やるせないなって思ってるだけよ」
「そういうこと。羨ましく見えるんだよね。自分が持ってないものを、自分じゃ手に入れられないものを、持っている気がするから。ぼくたち兄弟はさ、そこそこ年が離れているから、嫉妬は一瞬だけだったけど、フウは年子だろう?恨む気持ちも、羨ましいって気持ちも、とても大きいと思うんだ」
クロスの言葉に、フウは目を大きくした。
フウとクロスは、四つ年が離れており、婚約する前からいとことして長くいるせいで、フウの中ではずっと“お兄ちゃん”に近い感覚でもあった。もちろん、今は恋愛感情の方が優先されるが、それでもクロスは誰よりも大人で、自分を甘やかしてくれる存在でもあった。
そんな相手の言葉に、フウは驚きを隠せなかった。
「でも、醜いと思わない?実の妹に、こんな汚い感情を抱いているのよ?」
「それって兄弟だからこそ、じゃないかな?」
「兄弟、だから?」
「うん。だって、兄弟って最大のライバルだと思うんだ。血の繋がりがない他人だったら、羨ましくて憎んでも、葛藤はしないだろう?喧嘩だって後先考えずにできるだろうし」
普段、とても穏やかなクロスの、ちょっとした過激な発言に、フウは再びぎょっとする。
『喧嘩』という単語が、誰よりも似合わない男でもあるのだが、と言わんばかりに、フウはじろじろとクロスを見てしまった。
そんなフウの様子にも気付かず、クロスは話を続ける。
「そういう面でいったら、選択肢がないまま次期大神になったナギサちゃんの方が、苦労が多いと思うんだ。だったら、ナギサちゃんには悪いけど、そんな苦労をしなくて済むんだって開き直った方が、得した気分にならない?」
「えっ!?」
またしても、クロスの言葉にぎょっとしたフウだったが、その様子を見たクロスは、深い笑みを作った。
「キツイ言い方かもしれないけど、大変なのはナギサちゃんだ。もし、ぼくだったら、耐えられないなぁ」
「……クロス、何か変なものでも食べた?いつもより黒くない?」
思わず後ずさりするフウに、クロスはにこりと笑った。
「……ぼくだって、仮にも王族だから。そういう考えにもなるよ」
そうあっさり言われてしまっては、フウも「そ、そうね」としか答えられない。彼女自身も、王位継承権第二位ではあるが、王族としての振る舞いも思考も、しっかり叩き込まれているからだ。
「じゃあ、説教くさく、『そんなナギサちゃんを支えるのが、姉の役目だよ』とか言ってほしかった?」
「まさか!気が狂うわ!」
思わず声を荒げたフウに、クロスは笑みを零すが、すぐに真面目な表情を浮かべた。
「ここは……聖界は、“大神”様中心で動いている。その中心に生まれたぼくたちは、その掟を破ることは許されない……」
その言葉に、フウはぐっと眉を寄せた。
「血を分けた兄弟なのに、境遇がこれだけ変わるなんて……」
「そうだね。だけど、ナギサちゃんだってそう思っているはずだよ。自分より自由な姉が羨ましいって思っているかもしれない。それでも、ナギサちゃんはフウのことを信頼してるよ」
クロスがフウの肩を抱き寄せながら言う。フウは、その言葉に肩を落とした。
「……わかってる。だからこそ、こんな感情を抱いている自分が、惨めなのよ」
フウがそこまで言い切ると、クロスは優しく微笑み、フウの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「ちょっ!ちょっと!クロス!」
「それだけわかっていれば十分じゃないかな。フウはナギサちゃんのこと、嫌いじゃないよ。ただ、心配しているだけだと思うよ。じゃあ、行こうか!」
クロスはそう言うと、フウの返事も待たずに、彼女の腕を引いて歩き出した。

フウの制止の声も聴かず、やって来た先はナギサたちがお茶をしている中庭だった。
「あっ、姉貴っ!」
フウの姿に気付いたナギサが、満面の笑顔を浮かべながら、フウに手を振る。
フウとクロスは、そのテーブルの側まで近付くと、ナギサの側に控えていたリナとサーラが二人分の椅子を持ってきた。
「ナギサちゃん、こんにちは」
クロスがゆっくりと腰を折ると、ナギサもさっと立ち上がり軽く腰を落とした。
「クロスお兄さん、こんにちは」
「うーん、まだ結婚した訳じゃないから、無理に“お兄さん”とか言わなくてもいいよ」
クロスは椅子に腰をかけながら、ナギサに言う。
「でも、未来の義兄なのは間違いないし。ねえ?カスリ」
きょとんとしながら言うナギサ。その表情が姉妹揃って一緒で、クロスは思わず笑いそうになった。
一方、問われたカスリは、首を傾げつつ答える。
「え?……あ、うん。俺も“フウ姉さん”って呼んでるし」
「あら?そこは“お姉様”でもよろしくてよ?」
カスリの言葉に、フウは妖艶な笑みを浮かべる。そのフウの仕草に未だに慣れないカスリは、ぎょっとすると「う、うっす」と適当に返事をすると俯いてしまった。
「ちょっと、姉貴。カスリ、初心なんだからあまりいじめないであげてよ」
「ちっ、ちがっ!」
ナギサの言葉に、慌てて叫ぶカスリだが、耳まで真っ赤だった。
一方のクロスは、相変わらずにこにこしながら口を開いた。
「カスリは先が思いやられるなー。フウも、ダメだよ?ぼく以外の男に色目使っちゃ」
「ふふっ。それはないから安心して。クロスこそ、わたくしだけを見てちょうだいね」
フウがクロスにぎゅっと抱きつく様子を、目の前で見せられ、ナギサは表情を崩さないままティーカップに口をつけた。
「……俺たち、何を見せられているんだ?」
カスリの言葉だけが、ティータイムの中で響いた。

月王家第一王女、フウ=ルシード。
後に、この運命に巻き込まれ、抗えぬことになるのは未だ知らない。

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