新生月姫 9話
スパイラルシンドローム
カイはこつりと靴音を響かせ、魔界両族領内を進んでいた。
そのまま迷うことなく、奥まったところにある屋敷の前で立ち止まり、呼び鈴を鳴らした。
中から出てきたメイドに挨拶をすれば、彼女は驚いたように慌てて邸内へ通すと、執務室へと案内をした。
先に他の使用人が屋敷の主に伝えたのか、メイドのノックに「入っていいよー」と呑気な返事が返ってくる。
執務室内に入ったカイは、頭を下げた。
「キョウノ様、突然の訪問をお詫び致します。こちら、リキ様からお預かりした物でございます」
屋敷の主であるキョウノに、恭しく手紙を渡す。
「カイが来るなんて珍しいなって思ってたんだけど、リキからねぇ」
どこか含み笑いをするキョウノに、カイは一切表情を変えない。
「リキ様、直々でしたので」
そう答えるカイの言葉を聞きつつも、キョウノは楽しそうに手紙を開いたが、すぐに表情が曇った。
「え?何これ?」
その内容に、困惑した表情で聞くキョウノに、カイの表情は未だに変わらない。
「ルシフ様の監視をしてほしい、とリキ様は仰ってましたね」
「は?」
思わず素っ頓狂な声を上げるキョウノだが、やはりカイは何事もないように話を続けていく。
「ルシフ様は、ナギサ様の帰還でかなり情緒が不安定なようでして、最近少し危うい感じがするのです」
「危ない?」
「はい。リキ様のところに、懺悔に来るくらいには」
カイの言葉に、キョウノは難しい顔をするが、カイはそのまま話を続けた。
「念のため、ルシフ様を監視していただきたいというのが、リキ様からの仕事です。今のルシフ様ですと、何を仕出かすかわかりませんから」
あっさり言い放つカイに、キョウノは更に渋い顔になっていく。
「おいおい。ちょっと待て。なんで、そんな難儀な仕事をあっさり言うのかな?そもそも、監視する相手は魔王なんだぞ?そんな隙あると思うか?」
キョウノは思わずツッコんだ。
ルシフは魔王ではあるものの、自分の懐に入れた者に対しては親しみやすいタイプである。実際、キョウノも前魔界両族長の孫として長く魔界に住んでおり、ダークとは幼馴染の関係で、ルシフから見ればキョウノは『息子の友人』という立ち位置でもあることから、しょっちゅう王城へ立ち入っていたし、子供の頃はもちろん、今も面倒を見てもらうことが多々ある。
とは言え、やはり魔界の王であるのは変わりがなく、公務などの時の威厳はキョウノやダークが委縮するぐらいでもある。
「しかし、今のルシフ様なら、問題ないと思います。それに、この件はキョウノ様だけでなく、もうお一方に声はかけさせていただきます」
キョウノの不安を打ち消すように、カイは言い放った。
「もう一人?」
不思議そうに問うキョウノに、カイは口端を吊り上げ、「ええ」とだけ答えた。
キョウノの屋敷を去った後、カイはその足で魔界の王城へと赴いていた。
冥王補佐官であるカイが、冥王から直々の伝言を携えてやって来たことで、城内は使用人たちがざわざわしていた。
かなりの賑やかさで、ほとんどが突然予告もなくやって来たカイに対しての不平不満なのだが、カイはそんなのも無視している。彼なりの、冥王補佐官としてのプライドでもあるが。
「うるさいぞ。使用人がそうわあわあ喚くな、みっともない」
突然響いた不機嫌そうな声に、使用人たちは「も、申し訳ありません」と頭を垂れると、蜘蛛の子を散らすように去って行く。
カイは声がした方へ振り向くと、魔界の第三王子であるダークが立っていた。
ダークは大きな溜め息を吐くと、カイに頭を下げた。
「すまない。うちの使用人たちが失礼を働いたようで」
「いえ。こちらも突然来たので、非難されるのは承知の上です」
カイがそう言うと、ダークはきょとんとした表情をした。
「ああ……確かに突然だから、親父は公務で地方に出ていて、帰りが深夜になるんだけど」
「そうですか。それは都合が良いですね。今回はルミナ様あての手紙を、直々に冥王から預かっております」
その言葉が予想外だったのが、ダークは「え?母さんに?」と驚く。
「お手数ですが、ルミナ様のお時間をいただけると助かります」
「え?あ……わかった。今、親父の代理で執務をしているけど、もうすぐ手が空くと思う。声をかけて来るから、客室で待っていてくれ」
「ありがとうございます。あと、その際にはダーク様の耳にも入れておきたいので、ご一緒に来ていただけると助かります」
カイが表情を変えずに言う中、ダークはぐっと口を噤むが、すぐに「わかった」と返事をすると、近くの使用人にカイを客室に案内をするよう指示した後、王妃の元へと急いだ。
「久しぶりですね、スール補佐官」
「お久しぶりです、ルミナ様。お変わりはなかったでしょうか?」
「ええ、おかげさまで。ふふっ、相変わらず丁寧ね」
ルミナは目を細めて笑うと、カイはふと笑みを零す。
その様子を無言で見つめるダークだったが、カイに腰をかけるよう勧めた。
全員が腰をかけたところで、ルミナが口を開く。
「あなたが魔界に来るなんて、とても久しぶりでしょう?ましてや、私に用があるなんて」
そこで言葉を止め、笑顔のままカイを見つめるが、その視線は様子を伺っているようであった。一方のカイは気にする様子もなく、懐から手紙を出すとルミナへと差し出した。
「リキ様から、ルミナ様に直々渡してほしいと預かって参りました」
その言葉に、ダークが一番驚いているが、渡されたルミナ自身は一瞬眉を顰めただけだった。
「冥王から、私あてですか?」
表情こそ大して変わらなかったものの、声のトーンが落ちたことで、一瞬にして張り詰めた空気になった中、カイは背筋を伸ばしたものの、少しだけ口角を上げて「ええ」とだけ答えた。
ルミナ=ルベラ。魔王の妻であり、ダークの実母である彼女は、かなり聡明な女性であった。魔王の妻として、ルシフを支えるのはもちろんのこと、政治に関しても手腕を発揮し、ルシフが魔王の仕事を一部任せるぐらいであった。
一方で、元々魔族出身ということで、貴族としての汚い部分も知っており、裏では夫であるルシフのために手段を選ばない、という面もあった。
そんな彼女が冷たい声音で問うているのに、背筋を伸ばしただけのカイを見て、ダークは「カイも只者じゃないからな」とぼんやりと考えている。
その間にルミナが手紙に目を通すと、物言いたげな目でカイを見つめた。
「先日、ルシフ様がリキ様を訪ねて来まして。思うことがございましたので、リキ様からルミナ様へお願い、ということでございます。敏いあなたでしたら、既に気付いておられると思うのですが」
「……最近の情緒不安定の話、ですか?」
「はい。ナギサ様との再会後、あまりよろしくない精神状態かと」
カイが率直に答えれば、ダークはぎょっとしてカイを見つめた。
「……元々、あの件においては、ルシフ様も反省しており……いえ、後悔しております。できれば、ルシフ様には魔王としての威厳を持って、ナギサさんに接していただきたいのですが」
ルミナはそこまで言うと、大きな溜め息を吐いた。そのまま話を続ける。
「彼の不安定はわかってはいるのですが……今、気付いているのは私だけですが、これが魔族内に知られれば、あまり状況は良くないでしょうね。ナギサさんが帰還したことは、魔界でもかなり大きな話題になっていますし、彼の状況がここに直結しているとなれば、魔界内で混乱が起きてもおかしくありませんから」
「その可能性はかなり低いかと思われます。見た所、ダーク様はルシフ様の状況に気付いていなかったみたいなので」
カイに突然話を振られ、しかも図星だったことで、絶句したダークは顔を手で覆うとその場で沈んだ。
「わかりました。では、冥王からのお願いを聞きましょう。ルシフ様のことはお任せください」
「ありがとうございます。リキ様にはその様に伝えさせていただきます。また、ルシフ様だけの問題ではありませんので、ナギサ様に関しては、こちらからもアプローチしてみます」
カイが頭を下げながら礼を述べると、ルミナも「お願いします」と答え、その場で解散になった。
王城を後にしようとするカイを、ダークが呼び止めた。
「なあ、カイ。その話だと、ナギサにも非がある、ということにならないか?」
ダークの言葉に、カイは苦笑いを浮かべたが、ダークはそのまま話を続ける。
「俺が言うのもおかしいかもしれないけど、ナギサは悪くないだろ。父親の仇を取りたいなんて、誰でも思うことだろうし」
「そうですね。それについては、私も同意見です。ですが、ナギサ様が次期大神である以上、ルシフ様と顔を合わせ、時には協力しなくてはなりません。それに支障が出るのは、こちらも不都合なのです」
正論だが納得いかない答えに、ダークは顔を顰めるが、カイはくすりと笑みを零した。
「とは言え、ナギサ様もかなり聡明な方なので、何かきっかけがあれば、解決すると思いますが。むしろ、私はダーク様の方が心配です」
突然カイに話を振られ、「え?俺?」とダークが目を見開く。
「ええ、ここは父であるルシフ様の肩を持つべきでしょう。恋心だけでナギサ様の肩を持つのはいかがかと」
その言葉にダークはぼっと顔を赤くすると、口をぱくぱくと動かした。
「なっ!?ちっ、違う!!別にっ、ナギサにそんな感情なんてないっ!」
あまりの赤面ぶりに説得力は皆無で、カイは「若いっていいですね」と笑いながら王城を後にした。
「カイ、お疲れ様ー。ありがとなー」
帰宅したカイに、リキが声をかける。
「キョウノもルミナ妃も大丈夫そうだったか?」
「ええ。お二方も協力していただけるようです」
その言葉に、安堵するリキだったが、カイは間髪入れずに口を開いた。
「あとは、ナギサ様を何とかしなければ、ですね」
「あー……それが一番の問題だよな。大神が茶々を入れなきゃいいんだがな」
頭を抱えるリキを見ながら、カイも思わず視線を落とした。
大神、ルゥの激しさには、元々頭を抱えていたが、その息がかかっているであろうナギサをいかに自立させるか、という難題に、カイはリキにバレないように溜め息を吐いてしまった。