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新生月姫 4話

花を愛でて

月界に帰って、二ヵ月ほど経ち、ナギサは早くも朝のルーティンが定まりつつあった。
毎朝同じ時間に起き、朝食はいつもと同じメニュー。簡単に身支度を整えると、書類に目を通し、秘書役もしてくれているリナから今日の予定を聞く。それが、ナギサにとって、いつも通りの一日の始まりであった。
その日もいつも通り、リナが来る前に書類に目を通していたのだが、突然耳元でパリッと音が響き、ナギサは首を傾げた。感覚的には静電気に近かったのだが、耳元で静電気が起こるのだろうかと不思議に思った。
しかし、ある程度書類を進めたところで、ナギサは再び首を傾げた。
「あ、れ?」
先程の静電気みたいな違和感が全身を駆け巡ると同時に、血の気が引いたような感覚に襲われ、気持ち悪さを覚えた。思わず、机に突っ伏してしまった。
世界が暗転する直前に見た光景は、リナの慌てた顔だった。

リナがいつも通り、ナギサに一日の予定を部屋に入ると、ナギサが机に突っ伏しており、リナはぎょっとして駆け寄った。
「ナギサ様!?どうなさいました!?」
リナの必死の呼びかけにも、ナギサは答えられないようで、「うぅっ」という呻き声しか聞こえず、リナは慌てて扉の前で控えているであろうサーラを呼んだ。
「サーラ!!そこにいますか!?助けてください!!サーラ!!」
その尋常じゃないリナの叫び声に、サーラが慌てたように扉を開け放つ。
「な、何!?リナ、どうかした!?」
慌てて入って来たサーラが目にしたのは、意識を失っているナギサと、ナギサの肩を抱いたまま慌てるリナで、サーラもそのままナギサに駆け寄った。
「サーラ、ナギサ様をベッドに運んでください!私は陛下とフウ様に伝えた上で、お医者様を呼んできます!」
「わ、わかった!」
リナは足早にそう伝えると、そのまますごい勢いで部屋を後にした。

それから数十分後、王家専属の医師が現れた。
ココアブラウンの長髪を下ろし、色素の薄そうな青色の瞳。着ている白衣は様になっているものの、王家専属医師にしては、随分と若い女性が現れたことで、サーラとリナは思わず目を見開いた。
「えっと……ナギサ様の主治医である、ナギサ=リュート様ですか?」
「はい」
リナの戸惑う言葉を気にもせず、彼女は肯定の返事を述べた。
同時に、初めて彼女の名前を聞いたサーラは、目を丸く見開いた。リナも先程、ナギサの母であり、月王代理であるキメミへ報告した時に彼女の名前を知り、サーラと同じような表情になったのだが。
「ナギサ様の症状は?」
彼女はリナに問うた。
リナは、先程までの状況を伝えた。とは言え、リナがナギサに駆け寄った時は、意識を失う直前であったため、ナギサがどんな状態で倒れたのかなどは知らないのだが、彼女はその話を聞くと、考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「キメミ様を呼んでいただけないでしょうか?あと、よろしければフウ様にカスリ様。そして、あなた方にも話を聞いていただきたいと思います」
突然、自分達も指名されたことに驚いたサーラとリナだったが、すぐに二人で手分けをし、慌てて部屋を出た。

「ナギサの容体はどうですか?」
集まった五人を代表するように、キメミはやや緊張した声で質問した。
「はい。薬が効いていて、今は眠っている状態です。少しすれば目覚めると思います。命に別状はないので、あまり心配なさらなくて大丈夫ですよ」
その言葉に、キメミはほっとしたように息を吐いた。
しかし、すぐに眉を顰める。問題ないとしたら、なぜこのメンバーが集められたのか。ナギサの母に姉、婚約者に従者たちまで呼ばれたのだ。本当に大丈夫なのかと、キメミは訝しげな表情で目の前の医者を見た。
その表情に彼女は察したのか、口を開いた。
「皆様に集まっていただいたのは、今度もこういうことがあると思うので、対処として知っていただきたかったからです。……月王家と月聖家に、体の弱い方が多いのは、知っていますね?」
その質問に、キメミは再び表情を硬くし、「ええ」と短く返事をする。
月王家は大神が生まれる家系であり、その血筋を守るために、同じ王族である月聖家と代々婚姻を結んできた。
結果的に血が濃くなり、体の弱い者が多くなってしまったのだが。実際に、キメミ自身も元は月聖家の生まれであり、若い頃は病弱で、一時は月王家に嫁ぐ話が無くなりかけたぐらいであった。
「ナギサ様もそれが原因だと思います。ただ……ナギサ様の場合、体が弱いというよりは、次期大神であるが故、その膨大な聖力がコントロールできず、結果体調に出てしまうのかと。しかし、聖力関連ですと、私の範囲外ですので、体調に合わせての対処しかできないのですが……」
その言葉を聞いて、今まで黙って聞いていたフウが眉を顰めた。
「つまり、病気ではなく、体質的なものだから、今度もある、ということかしら?」
「恐らくは……。しかし、聖力がコントロールできれば、問題なく生活できると思います。なので、まずは、その辺りのことが詳しくわかる方がいればいいのですが……」
「そう、言われても……わたくしたちはそんなに聖力が高い訳ではないし……。お母様、例えば大神様に聞いてみるのはどうかしら?」
フウの言葉に、キメミは困惑した表情を浮かべる。
「そう、ですね。一応、伺ってみましょう。リナ、大神様へ連絡をしておいてもらえるかしら?」
そう、突然声をかけられたリナは、一瞬肩を揺らしたが、すぐに「かしこまりました。神殿経由で申し出を致します」と返事をする。
が、それに反応して、医師であるナギサもリナに声をかけた。
「それでしたら、私からも一つよろしいですか?医学に関しては冥界の方が進歩しています。念のため、同じようなケースを確認したいので、冥界への連絡の許可をいただけると助かります」
「かしこまりました。やれるだけのことはやってみます」
リナは思わず、中途半端な返事になってしまった。
聖界以外に敵意を持つ大神・ルゥが、冥界への行き来、及び連絡を許可するか微妙なところではあるからだ。とは言え、ナギサが絡んでいる話なので、問題ないとは思うが、プレッシャーになっているのは確かではあった。

リナが神殿に向かうため、部屋を後にしたのを合図に、他の面々も一先ず解散をした。
医師のナギサが部屋に残り、もしものためにサーラが部屋前で控えているだけになった頃、ナギサがやっと目を覚ました。
「ナギサ様、お目覚めになりましたか?」
その声に、ナギサはゆっくりと視線を揺らせ、見知らぬ女性へと視線を止めた。
「あなた、誰……?」
ナギサが声をかけるが、その声はやや掠れていた。
「申し遅れました。私は、ナギサ=リュートと申します。あなたの主治医です」
「主治医?」
「はい。気を失ったのを覚えていらっしゃいますか?」
そう問われ、ナギサは覚醒したばかりの頭を無理矢理動かし、記憶を呼び起こした。
「書類を確認してて……突然、気分が悪くなって……リナの心配した顔が見えた気がするわ」
「今はどこか痛いところや、違和感などはありますか?」
その言葉に、ナギサはふるふると首を横に振った。
「い、いえ。大丈夫よ。ありがとう。えっと……ナギサ、さん?」
思わず疑問形で名前を言われ、呼ばれた方は思わず笑ってしまった。
「ふふっ。同じ名前だと、お互い混乱しますよね。私のことは、ナギと呼んでください。みんな、そう呼びますので」
「そうね、そうするわ。ナギ、ありがとう。今後ともよろしくお願いするわ」
ナギサはそう笑顔で言うと、ナギも笑みを浮かべ「こちらこそよろしくお願いします」と握手をした。
「ところで、私は何かの病気なの?」
ナギサが問うと、ナギの表情が曇った。
やや間を開けて、ナギはやっと先程みんなに話した内容をナギサに伝えた。
黙って聞いていたナギサだったが、話し終えた後に重い口を開いた。
「つまり、病気ではなく、生まれ持ったものってことね。治るの?」
その問いには、ナギも考えるような仕草で、重い口を開く。
「病気ではないので、何とも……。現在、リナ様にお願いをして、大神様に、冥界へ連絡するための申請をしてもらっています」
「そう、大神様に……」
ナギサは思わず遠い目をした。
あの大神様が許可を出すのだろうか、という疑心でもあるのだが、それはナギも気付いていたようで、彼女は「だ、大丈夫ですよ!」と思わず声をかけてしまった。
さすがに驚いたナギサがナギを見つめるが、ナギはぎゅっと眉を顰めた。
「ナギサ様に関わることなので、大丈夫だと思います。それに……最悪、大神様の許可が下りなくても、私には最終手段がありますから」
「最終手段?」
その似つかわしくない単語に、ナギサも眉を顰めて聞き直すが、ナギは力強く頷いた。
「はい。私には兄がいるのですが、聖界外にいまして、大神様からの影響が少ないと言うか……。なので、兄を利用すれば……いや、利用とか言葉は悪いですけど。ほんと、最終手段ですけど!」
突然慌てるナギに、ナギサはきょとんとしていた顔をしたが、すぐに笑った。
「ふふっ。そんな慌てないで。でも、お兄さんがいるのね。どんな人なの?」
その問いに、ナギはふと視線を落とした。
「そうですね。ちょっと、いろいろありまして、兄はかなりの苦労人だと思います。それ故に、月界に住むことができないのですが。……でも、とても優しいです。兄なりに精一杯、大事にしてくれますし。ただ……職業柄、なかなか会えないのですが」
ナギはそう困ったように笑いながら答えた。
その表情を見て、ナギサは何か踏み込みにくい事情があるのだと察し、「そう、素敵ね」とだけ答えた。

数日後、リナは慌てた様子でナギが勤める病院へとやって来た。
「リナさん。そんなに慌ててどうしたのですか?」
「す、すみません。病院まで押しかけてしまって。大神様からの返答がありましたので、お持ちしました」
そう言って、リナは一通の通知書をナギへと差し出した。
それを受け取り、慌てて封を開け、ナギは返答に目を通したが、すぐにほっとした息を吐いた。
その様子を見て、リナも察したのか、やっと肩の力が抜けたようだった。
「あの……もしかして、良い返事だったのですか?」
「ええ。大神様が、冥界への連絡を許可してくださいました。……さすがに、向こうに行くのは断られてしまいましたが……」
「そうですか。しかし、連絡が取れるだけでも第一歩ですね」
その言葉に、ナギは微笑んで頷くが、すぐに真面目な表情でリナに問いかけた。
「そう言えば……キメミ様は大神様と謁見なさったのですか?」
それを聞いて、リナは一瞬顔を顰めた。
「え、ええ。キメミ様より、大神様にナギサ様の体調などを伝えられたのですが……こちらはあまり良き返事はありませんでしたね。と言うか、どうしていいかわからなくて」
そう言って、先日の出来事を思い出した。
キメミから話を聞いた大神は、考えるように視線を落とした後、さらっと爆弾発言をしたのだ。
「ナギサはたぶん、“光の神”の魂を持っているから、膨大な聖力を持っているのでしょうね」
その言葉には、キメミも、その場で話を聞いていたリナも目が点になってしまった。
“大神”を継ぐ条件は、“大神”の魂を継いでいるかなのだが、転生に時間がかかることから、三つの“大神の魂”が巡り巡っている。いずれも、聖界の守護神である“光の神”の力を持っているのだが、うち一つは聖界を創ったとされる初代“光の神”の魂であり、それを継いで生まれる者が、真の“光の神”だと信じる者も少なくない。
「では、ナギサ様がその魂を継いでいると?」
リナの話を聞いていたナギは、眉を顰めながら問うた。
「ええ。それなら、ナギサ様が膨大な聖力を持っており、それ故に上手くコントロールできなくても理解できるのですが」
「……それで、大神様はなんと?」
「それが……今までコントロールできなかった者もいたが、成長と共に立派な大神になっているから問題ないのではないか、と」
リナがしゅんとしながら言う言葉に、ナギは絶句した。
放っておけ、とも取れるその返答に、キメミはもちろん、リナも動揺をしたようだ。
ナギはぐっと奥歯を噛み締めた。
「そう、ですか。しかし、それならば、冥界と連絡を取れることは、逆に好機かもしれません」
「え?」
リナがきょとんとするが、ナギはそんなリナの手を握った。
「本当は、冥界の医学を頼りたかったのですが……冥王に連絡を入れます。聖力のコントロールは、云わば力を貸してくれる精霊たちをどこまで制御できるか、ということでしょう。冥王は、“調和”の力を持っていますので、何か手がかりがあると思うのです。もちろん、医学の面からも探りを入れます。力になりますから、安心なさってください」
その力強い言葉に、リナはほっとすると、「ありがとうございます」と深々と頭を下げた。
ナギは心の中で、ナギサに言った最終手段を使うようだ、と自嘲したが、強く決意をした。

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