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永久に苦しいのかもしれない
というようなことを二日にいっぺんは考え込んで完全に心が終わる。しかし、人生のことなど何もわかっていないくせにどうして「永久」なんていう強い言葉が平然と口をついて出てくるのだろう。頭が悪いのではないか。のみならず、どうしてその予感をこうも心の底から信じてしまえるのだろう。もしかすると、頭がすごく悪いのではないか。明るい未来はたとえ神から啓蒙されようが信じられないのに、すべてを失って茫然と立ち尽くす自分の姿はどうしてこうも容易に想像できてしまうのだろう。頭が悪いのかもしれない。
現に今この身に起こっている幸せや不幸のほとんど全部、ほんの数年前の私には一つも予想のつかなかった出来事ばかりだ。いや…というかそもそも私は自分の未来に具体的な予想をつけるという行いがまるで出来ないんだった。考えつくとしても「なんとなくこんな感じになるかも」くらいがせいぜいなもんで、そこから更に踏み込んで例えば何歳までにこうなりたいとか、今の生活がいつまで続くのかとか、そういう類にまで話が及ぶともう何をどうしたって全く見当がつかない。何が、と言うよりも何もかもがわからないのである。聡明な皆さんはきっと今私が「わからない」という完全無欠の言い訳に逃げたとお思いでしょう?………これが本当にわからないんです。
だからまあ「永久に苦しいのかもしれない」っていうのも、所詮はその「なんとなくこんな感じになるかも」の範疇を出ないぼんやりとした予想でしかないということ。根拠に乏しいどころか、無いと言っても差し支えないようなただの空想。こんなものを本気で当てにして不安がってるような人間はどうせ何をやらせたってだめに決まっている。自分で描いたおばけの絵に怯えて眠れなくなる画家がいますか?画家ならいそうだな。てか、いろ。そんなのは最高なので。
とにかくもうハンドメイドの絶望に耽溺する悪習をやめたいのである。この、誰も見ていない独りおままごとを、いい加減切り上げる時期に来ていると思う。なんかこういうこと考えたり言ったりするたびに(だけどそれは深刻なアイデンティティ・クライシスに繋がりかねない大変危険な賭けではないのか…)みたいな煩悶が毎回起こるけど、それもマジでくだらないからやめてね。そもそもお前にアイデンティティなるものが付加されたことなんて生まれてこの方一度もないじゃん。またそうやって都合の良いように記憶をねじ曲げて自己像をでっち上げて、厚顔無恥も甚だしいんだっつの。きめー
こういうことなんです。
なんかやっぱり、永久に苦しいのかもしれない。