奥野が嫌っていたカスパーさんへの回帰
Xのキャスパーさん(@Casper95259831)というかたがいるが、奥野はこの人の考えをなぜかこう同調しないようなありかたを自動選択してしまっており、半ば嘲笑したような感じで、カスパーさん、といってよくネタにして慕っていた。まあ、彼は俺のことなんて知ったこっちゃないと思うが、同類だからこそ嫌いなふうな感情を持ち、逆に異質だからこそ羨望を抱くというなかば法則のような事象がある。そのような感じだったと思われ。
で、なぜ俺が今、カスパーさんのありかたに回帰しているかといえば、ようするにまじないから脱したからであり、まじない無い人生を歩んでいくうえで、効果的な運命の変え方が、カスパー式、ということで、俺も渋々同調してしまったのである。むしろ誰かに一方的に嫌われたときは、彼も俺と同類だくらいの気持ちを持つとよいのである。
カスパーさんは、考え方次第で世界は黒にも白にも映るといって、それを人生の運命の変え方として提案しているが、それは、奥野からいわせてもらうとちょっと下位概念としてでしかなく、むしろ奥野は、阿吽のまじないを7年実践して、その知見から友達や知人にも実践してもらい、彼らの人生が具体的に良い方向へ変わって進んでいったっていう実績があるので。
つまり、まじないをやるんだったら、まじないだけやってればよく、脳死で運命が変わっていくので、阿吽のまじないはパッシブで効いてくれて、ノー努力だから、だからこそ凄いハマったのである。そのまじないのもたらす運命の恩恵がいかに凄いかを、たまに人を見つけては力説しているのである。
カスパーさんのことをキャスパーさんと呼ばないでカスパーと呼ぶのは、彼がまじないを使わないこと、むしろ否定派まであるくらいの感じだからだ。だから彼は意識して自分を保って変わっていくというアクティブスキルとしての、努力した結果として運命が変わっていくのであり、奥野はむしろ、それの上位概念として、パッシブスキルとしてのまじないで、ノー努力で勝手に運命が変わっていくというあり方を選択していた。そういった蜜を知らないで努力して変われ、しか言ってないので、だから奥野は彼の上位概念に立ったつもりでいるから、だからこそ彼を嘲笑するときもあるのである。ラクできるときは、ラクしてしまえばいいのだ。何も自分ひとりで頑張る必要はない。
阿吽のまじないというのは、片方だけ口が空いている同一種の動物の置物を買って、玄関において訪問者から見て向かって左に、口のあいたほうの狛犬を、向かって右に、口の閉じた方の狛犬を置くやり方である。これは複数人に実践してもらって、人それぞれに運命が開いていったので、とてもおすすめなまじないである。なお重ければ重いほど強く効く。
↑こんなんでもイイ。置くときは、この画像の真逆で玄関に置いて、訪問者から見て左に口のあいた方の狛犬を、を鉄則だから、何度も繰り返すが、ほんとうに絶対に間違えないでほしい。間違えると強烈に不幸になり破滅します。