殺生は、やっていい
なぜなのか。カルマとしてそれが返ってきてしまうだろう。しかし良く考えてみてほしい、食べることだって殺生なのだ。誰だか知らないが、植物は食べられたがっているという、あんた植物になったこと無いくせに、あるいは植物の記憶を引き継いでるわけでもないくせに、理論だけでそんなこといっちゃって、そのカルマのほうが重いでしょと。
理論だけ考えた場合、動物を頃すのは良くないっていうの、植物だっておなじ生物ですからね。で、植物頃すのはいいんだ、と決める。そうじゃないと人間様の食が成り立たないからなんだよね。食べるために頃すのはOKと、ただし植物だけ、と決めるわけだ。でもこれって欺瞞だよね。
植物に限らず現代では菌類だって頃しているわけだからさ。一切衆生の考え方では、菌類頃すと、えー乳酸菌、200億入ってます。これ食う、そしたら結局200億の命は死んでしまうよね?そしたら、一切衆生なんだから動物200億頃すのとかわんなくないか??もちろんここでいうのは一切衆生という古い考え方の場合。実際は人間の魂というのは重み付けされていて、他の動物や植物の魂よりも尊い。
人間が動物頃すのは良い。人間が人間頃すのが良くないのだ。という考えであるが、ぶっちゃけ、もう頃すっていう業からは人間どうしたって逃げられない。そこをやめるべきではなく、ちゃんと向き合ってほしい。食についても、生活していくうえにおいても。