勝負に勝って試合に負ける?風が吹けば桶屋が儲かる的な思うツボ
渋谷の道玄坂と反対側(青山方面)の丘?坂?の上から駅方面を見下ろすと開発中の街の中にGMOやGoogle、そのほか様々な企業のネオン看板が目に入ります。
ボクぐらいの世間知らずですら知っている大企業。
もう誰にも告知宣伝しなくてもいいんじゃなかろうか?と思うくらいの大企業がそうやって看板を出すということは、我ここにあり!ということと、どーぞ皆さま、いま一度お見知りおきを!ということなのでしょう。
いずれにせよそれは実に貪欲なことで、現状維持、それ即ち後退だ!という企業精神や資本主義の中で生きる生き物としては至極真っ当なことなのかもしれません。
知ってもらうこと、知りづつけてもらうこと。
実態があろうがなかろうが、中身が良かろうが悪かろうが、センスがあろうがなかろうが、結局のところ、人々に広く知れ渡り、人気があり、人をたくさん集められるということが何よりの正義なのです。
逆にいうと、人に知られず人気がなく人を集められないということは、仮にそこに活路を見出していたとしても、そういう視点のみで判断するのであれば、敗北。
もうものすごい敗北なわけです。
(その視点のみで判断するならば、ね)
今更わかりきったことをいってもなんなのですが、かといって、そんだけわかりきったことなら今日から敗北を覆すような努力をすればいいじゃん!っていわれてもめんどくさくてできない。
つまり、それが本当の敗北なのかもしれませんな。
先日、東京ぼん太主演の「ニューヨーク帰りの田舎っぺ」という映画を観たんです。
前の日の酒のひどい酔い具合による自己嫌悪と二日酔いの気持ち悪さで、とにかくあまり何も考えずにアマプラで選んだ映画で、ニューヨーク帰り(?)主人公のベッドのセールスマンのてんやわんやを描いた喜劇なんだけど、まぁ正直なところ死ぬほどつまらんわけです。ストーリーも結構無理があるし、昔の映画を観て悪い意味で古臭さを感じる場合があるんだけど、この映画は笑わせにいこうとしている部分が現代からすると全部滑っている感じの演出になっていて、なかなか厳しかったなぁ。そうじゃない昔の映画もたくさんあるんだけどね。
んでさ、主人公がベッドのセールスマンにやたらこだわっているのもなんか不自然なの。セールスマンをやりたいんだったらベッドじゃなくてもよくね??って感じなんだけど、その辺の前提も曖昧だから、なんか妙に違和感あるのよ。あとやたらとベッドのことを褒めているし。
なんか変だなって思ってあとから調べてみたら、スポンサーがフランスベッドなんだね。
むむむ。
そういうことだったか。
映画として非常につまらなかったけど、そんな紆余曲折を経て(紆余曲折があったからこそ?)ボクの頭の中にはフランスベッドは強く印象つけられて、フランスベッドのことは知ってはいたけど何かの折にきっと思い出すベッドメーカーとなったわけです。
そして、ここでこのことを書くことによって、読んでいる人の何人かはいろんな意味でこの映画のことが気になり、フランスベッドのことが印象に残るかもしれない、、と。
つまるところ、映画が駄作であろうとなかろうと、時空を超えてフランスベッドは先述したように知ってもらうこと、知りつづけてもらうことを結果的に実践したということになります。
でもって、これを書くにあたってフランスベッドのホームページを見てみたりして、なんか電動ベッドとかあってすげーじゃん!80万くらいするじゃん!みたいに面白がってフランスベッドのことをやたら調べたりしてさ。
なんなん?この話。
これってフランスベッドの思うツボじゃね??
フランスベッドから宣伝料が欲しいくらいだね。
写真:近所のアパートの荷物置き場