島津公と餅
このテキストはマガジン「もっと つまらない話リターンズ」の中に含めましたが、最後まで無料で読める「投げ銭」という状態になっています。
「noteで小説オムニバス Advent Calendar 2020」というアドベントカレンダー企画のための小説なので、今回は普通にフィクションです。
時は慶長12年の師走、薩摩国の島津義弘は加治木城から泰平寺の方角を眺めていた。泰平寺はかつて秀吉との和睦会合が開かれた寺だ。もうじき年越しだというのに、泰平寺の周辺でネズミが大量発生し、その日の食糧にも事欠くという。義弘は、せめて正月に食べる餅ぐらいは届けようと思い、さっそく家臣に餅の用意をさせた。
義弘の前には大量の搗きたての餅。それを誰に持たせようか? しばらく考えて義弘は自分で届けることにした。外は師走の冷え切った空気。雪も舞い始めていたこともあり、家臣たちは引き留めようとしたのだが、義弘は自分一人で行くと決めていた。餅を大きな白い風呂敷に包み、泰平寺までの九里の道のりをたった一人で馬に乗り出発した。
泰平寺に到着すると、いかにも腹をすかせた風情の僧侶たちの姿があった。義弘は早速風呂敷を広げ僧侶たちに餅を配り始めた。これだけあれば僧侶だけでなく檀家たちにも餅のある正月を迎えさせることができるだろう。
翌年の師走、泰平寺の僧侶や檀家たちは義弘への感謝の気持ちを忘れぬようにと、境内にあった松の木に白い餅をかたどった飾りなどを付け祝うことにした。島津家の家紋である十字の飾りなども付けられた。
これは「九里島津」と呼ばれる行事となり、この地域では毎年祝われるようになった。時が経ち「九里島津(クリシマヅ)」は次第に訛って発音されるようになり、現在は「クリスマス」と呼ばれている。
これが「クリスマス」の始まりである。
という事実はない。
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