波よせて(20230913)
広い空、広い海を求めて神奈川へ。
海水浴の期間はすでに終わっていて、海にはサーフィンをしている人がまばらにいるばかりだ。
空と海の景色、海の匂い、波の音、潮風。それらをぞんぶんに楽しんでいると、なぜだかサーファーの姿が気になってくる。砂浜のほんのちょっと先、広い海からすればほんのはしっこで、なにをちまちまやっているのだろう。
人間はいったい、なにをしているのだろう。
サーファーはひたすら繰り返している。よせてはかえす波の動きを読んでは、それに乗りこなすことを。とても楽しそうにしている。なにが楽しいのだろう。
しばらく眺めていると、波の動きや音が音楽のリズムのように思えてきて、もしかしてサーフィンをする楽しさは、音楽に合わせて踊ったり歌ったりする楽しさに近いのかもしれない、と思った。
そう思うと、サーファーは波の音を伴奏にして歌を歌っているようで、浜辺がちょっと賑やかになったような気がした。
ただし、それは広く、深い海のほんの手前でのことなのだ、という思いも消えない。あたりを占める圧倒的なしずけさ。
わたしは広い空、広い海を見にきた。それはすばらしい。しかし、人間はそれらとはほとんどなんの関わりもなく生きる。それは気分を暗くするだろうか。人間はリズムに合わせて波に乗ったり歌ったりできる。それは気分を明るくするだろうか。
どちらでもない。そんな気がした。目の前の光景。晴れて青々とした空と海、ちまちまと波に乗り続けるサーファー。
それはどこか宙ぶらりんな光景で、あえていえば、絶望も希望もなく、という感じだった。ただ、そうある。
私たちは波に乗り、そして歌う。
歌うのが好きなわたしは、録音した自分の歌をスマホで聴いてみた。歌うわたしは、目の前で波に乗るサーファーのようでもあり、わたしの歌を支えるリズムは、くだける波の音のようでもあった。
「波よせて/クラムボン」
(by um)