息づく日常の吹奏楽:『響け!ユーフォニアム』の感想文
『響け!ユーフォニアム』の1期、2期、「リズと青い鳥」、「誓いのフィナーレ」を見返した。まとめて感想が書けそうな気がしたので、書いてみる。
まず、このシリーズのメインは音楽ではなく、人間ドラマだと思った。どの作品をみても、いますぐ吹奏楽をやってみたいとはあまり思わない。だから、管楽器を吹きたいと思っている自分には、ちょっと物足りなかった。けれど、2期から「リズ」へと進んでいくあたりで、印象が変わった。
このシリーズの魅力は、「吹奏楽を扱うアニメでしか描けないような仕方で人間ドラマを描いてること」だと気づいたからだ。どういうことか。
へんないいかただけど、登場人物たちは、楽器を持たないところでも、音を出している。それは言葉だったり、言葉にならない叫びだったりする。自分の息を想いといっしょに吐き出すことにかけて、吹奏楽の演奏と日常のやり取りにちがいはない。
主人公・久美子には「思っていることが口に出てしまう癖」があり、それは彼女が吹奏楽と相性がいい証拠なのと同時に、「吹奏楽」が「人間ドラマ」と相性がいい証拠でもある。
「ユーフォ」は、吹奏楽の演奏を経由することで、人が思っていることを口に出したりすること自体が、一つの「吹奏楽」なのではないかと思わせてくれる。
その意味で、作中で響く「音」は、楽器の音であれ、人間の声であれ、無音であれ、「吹奏楽」の一部として聴く必要がある。『響け!ユーフォニアム』自体が、演奏パートと日常パートをひっくるめた「一つの吹奏楽」なのだといってもいい。
それはストーリーテリングにもあらわれていて、演奏のトラブルは日常のやり取り(本心の表明など)によって解決され、逆に日常のやり取りが演奏のトラブルを招いたりする。その演奏と日常が絡み合う様子は、さながら「リズ」のオーボエとフルートの掛け合いのようだ。
その「リズ」では、みぞれと希美の演奏の不調和が、「disjoint」から「joint」への移行によって解決されるわけだけだけど、その移行は日常のやり取りによって起こる。そして、そのきっかけが、2人の「でもいまは……」に至るまでの掛け合いであれ、「本番がんばろう」のハモリであれ、きわめて音楽的に響くのが重要だ。
『響け!ユーフォニアム』のストーリーテリングにおいては、演奏の失敗は演奏によっては解決されない。物語は、日常に「音楽的なやり取り」が生まれることによって進展する。ただのやり取りではなく、言葉がハモるとか、本当の想いを出し切る(吹き切るといってもいい)とか、音楽的に響くやり取りによって。
「響け!ユーフォニアム」のタイトル回収の流れもそうかもしれない。それは作中で実在する曲の名前なわけだけど、合宿中に演奏されるだけでは判明せず、2期の終盤に久美子とあすか先輩の本気のやり取りがあることによって明らかになる。
まとめると、このシリーズから学べることは、息を想いといっしょに吐き出す瞬間に、どんな場所であれ、「音楽」が生まれる、ということだと思う。
補足的に、いちばん好きなシーンをあげるなら、2期の9話、あすか先輩が久美子のことを「ユーフォっぽい」といって「だからかな、話聞いてほしいって思ったのは」と続けるところだろうか。
このセリフは文字通り受け取るべきで、あすか先輩にとって久美子は、仲のいい後輩というよりも、自分の想いを吐き出せる「楽器」だったのだと思う。
「ユーフォ」では、あまり奏者と楽器の関係は描かれない。けれど、楽器を人に話せない本心を率直に吐き出せる相手だと考えれば、あすか先輩にとって久美子が一瞬でも「楽器」になれたのだとしたら、それはとても美しい関係なのだと思うし、この作品でしか描けない関係だと思う。
人は誰しも、自分の想いを隠したり、ごまかしたり、ときにだれかに吐き出して音を鳴らしたりして生きている。その音と音が響き合うさまは、「日常の吹奏楽」とでもいうべきものなのだけど、わたしたちはそんなことには気づかずに「青春」なんて簡単にいってすませている。
『響け!ユーフォニアム』は、その皮をペリペリとめくり、「曲」がはじまるときの「息吹」を伝えてくれる。いまというこの瞬間が音楽になり、次の曲がはじまるときの、この世界にありふれた「息吹」を。
「サウンドスケープ」
(by um)