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葵橋

2024年9月29日(日)

2日前に知らせがあった。
その日は遠征で大阪に来ていて、とにかく楽しもうと自分の気持ちを押し込んで悲しみに浸ることを無理やり忘却していた。でも本当はすごくつらくて、帰りの夜行バスではSAに着く度に吐いて、家に帰るや否や倒れ込むように眠ってしまった。

8年前の冬、ダッフルコートを着て寒い中3列目でプルースト聴いた記憶が、脳の後側に灼き付いている。スマホもガラケーも持っていないから、持ち物はポケットに隠し持ったTranscendのプレーヤーと、肩掛けを限界まで伸ばして背負うリュックと重い受験勉強のテキスト。通っていた中学校からバスと電車を乗り継いで横浜ビブレに直行した。記憶を、記憶をと思っても、今手元に残っているのは加水分解でべたべたになってしまい操作も効かない当時のプレーヤーと、サインの入ったフラレガイガールと、それくらい。

あなたがいなくなってから聴くLost Songは哀しすぎる。自分がどんな顔してるか、ごはんが喉を通るか、会社に遅れず行けるかなんて、わざわざ訊くなよ。ケタケタ笑う声を、天井か真っ暗の画面だけ映して弾き語る声を、バイト帰りに小田急線の弱い電波に揺られながら聞く日はもう二度と来ない。

2015年から気づけば9年が経過していて、だいぶ大人になることへの期待感にも慣れ、憧れていた都会の景色にも慣れ、慌ただしいけどキラキラして時めく日常は何も成し遂げられない朝と夜の繰り返しになり。自分のことまだ子どもだと思っていたけれど、甘んじて大人になっていたんだなあ。かつて身を寄せていた道標が居なくなってしまった。それはパラレルワールドとの決別、未発達だったあの頃の、2.5次元な自分とのお別れなのかもしれない。

新宿駅に着いた。小田急線南口の改札を出る時に酸欠少女が偶然流れて、思わず目の淵に涙が溜まった。目の前の花屋でぱっと目に入ったリモニュームを買った。降り始めの雨も路上ライブも街頭デモも全部本当に鬱陶しい。散れ。何かさユりの面影を感じられるものはないか、甲州街道沿いもサザンテラスも涙を堪えて探し回ったけど、何も無かった。これは悪い勘違いなのではないか、あなたがいつしか零した言葉の通りであれよ。葵橋跡で立ち止まり、堰を切ったように涙が溢れてしまった。あなたのいないこの街でどう生きろと。

憔悴しきった自分を、当時付き合っていた人が駅まで迎えに来てくれた。散歩した時に見つけたお店でたい焼きを買ってくれた。頭から食べるか尾ひれから食べるか聞いたら、痩せたいからお腹から食べると言われた。美味しいトマト煮込みを作ってくれて、楽になった。新宿で何していたか特に言及されなかったけど、とてもありがたかった。この人と過ごした中で1番良かったと思えた瞬間だったし、逆にこれ以降良い思い出が作られなくなった最後の日でもあった。

天国ではミスドは食べられないけど、かみさまの近くで寝られるのはいいよね。新しい布団の匂いはどうだろうか。どんな蝋燭を灯して何を想って夜を過ごしているのだろうか。お互いよい闇を。ずっと大好きだよ、ばいばい。


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