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現代の哲学者なの?【家長むぎちゃん】

人生の短さについて、家長むぎの定義、贈与的なあれこれ【にじさんじ/家長むぎ】

↓概要欄より

ちょいメタ的なことに触れて問題があったらアーカイブ非公開かメン限公開にしますが、基本的に自分以外のVtuberに焦点を当てることはほぼない予定だし、名前を挙げて自分以外のVtuberと自分を比較し、意図的に自分を上げたり、相手を下げたりすることはしません。ちょっとした比較程度で優劣がつくほど君の推しは単純じゃないことは君が一番わかってる、と思って話します。他Vの名前は余程のことがない限り出しません。あくまでも、自分という、家長むぎというVtuberの意義、定義、望ましい在り方について語るので、他のVtuberとの乖離については何も思わないでください。思っても心の中にとどめてください。むぎだって浅慮で未確定なこと語るので、それを受け取る側の君の物差しで語る家長むぎの定義、それから発生する言葉の刃はかなり浅慮だと思います、思うだけ.......

それくらい価値のおぼつかないことをします。

価値がおぼつかないのは、問わず語りだからで、君はそれを眺めているからです。普段の配信と多分ここがちがう。

と、どことなく真剣な雰囲気が醸されててどんな話されるのか気になって見てた
意図を理解しきれるのかおいといて後半の切れ味のいい文章がすこ

普段のふわふわむぎちゃんと打って変わって文章書き手むぎちゃんが顔を出すような
その言葉を理解するために頭を巡らせる、視聴者の思考をも引き出す放送だった
以下配信聞きながら取ったメモで書くので、解釈間違いとか情報が欠けるかもだけど
それぞれ話題についてこれもまた感じたことそのまま、自分の物差しで語るやつ

本好きのむぎちゃん、哲学書の例え話

哲学者の思考=源米?
哲学書=精米された白米
ビジネス書=おかゆ
ネット=おもゆ

という例えをされてて、例える言葉が面白いなーと思った
むぎちゃんは源泉である哲学書を読むことが大事であるように思っているようだった
でもそれを断言はせずにそれぞれの利点や性質もあるよね、と考え方は広く持ってた

それから外出すると必ず一冊買ってくるほど本が好きらしい
書店の情報が次から次へと出てくる様子からも造詣の深さを感じた

長生きをする、むぎちゃんの定義

むぎちゃんの考え方では

知識をつけるほど無知で浅慮なことを知る
未知、無知、浅慮さを省みることで人生で長生きする
この長生きというのは生物としての生存ではなく、人間としての文化的な長生き

この辺ゆっくりと言葉を紡ぎながらも、はっきりと考えを示していて
すごく耳を傾けてしまった

たしかこの前後で福沢諭吉の「学問のすゝめ」の話が出てきたりするが
それには批判的だったりして、むぎちゃんの中で知識を得るということは
単に学問に励めという話でもないようだった
ただ、本を読むことがむぎちゃんの中ではすごく重要なことなんだなと伝わってきた

本を読んで知識をつける=有識になるということだと思うけれど
むぎちゃんは「知識をつけるほど無知で浅慮なことを知る」と反対な言葉を使う
でもそれがむぎちゃんにとっての本質的なことのようだった

自分は普段、本を全然読まないのでちょっと耳が痛かった
自分は未知や無知さを知る機会がきっと少ないんだろうな、と思う
それでも明日から本を買って読書家になるかーと思っても三日坊主が関の山とか考えてしまうのでそんな本好きにはなろうと思ってなれるものでもなさそう……
やっぱり本が好きだから本好きなんだろうなあ、って思ったりした

新たなコミュニティに飛び込むこと

本を読む以外にも、新たなコミュニティに飛び込むこととかで
「未知や無知なことを知ること」に繋がる価値をおいているようだ
これを"引きこもりがちな少女"が言うあたり面白いんだけども
ライバーの多くは色んな人との関わりでそれを実践している人たちで
まさに人間関係の化学反応の面白さを体現してくれてるなあと思う

自分もそれは素晴らしいことだと思う
でも同時に、すごくエネルギーがいることだなとも思う
自分は見ている側で、人と人の出会いが面白く素敵なことだという場面を
にじさんじでいっぱい見せてもらって、それが楽しみでもある
だけど自分で未知を求めて、人と関わろうとできるかというと全然できない
なぜなら疲れちゃうから

いつも配信者、活動者に思うのはその途方もないエネルギーのすごさだ

頭がいいって何?

「頭がいいって何?」って質問でめちゃめちゃテンション上がるむぎちゃん
むぎちゃんによればその質問でその人が尊敬してるものが明瞭にわかる
その人が何を好み、何を拒み生きているのかがわかるのだという

ここの活き活きとしたむぎちゃんの語り口調が
思考の海で水を得た魚のようでなんだかこっちまで気持ちが昂った
同時にそれが波になって襲いかかってきそうでちょっとこわくもあった

これを聞いてて、たしかにこの質問面白いから会話デッキにいいかもと思った
思えば人の価値観に踏み込むような質問を思いつけなくなったのはいつだろう
こういう質問のアイデアがないから、他人に興味を持たなくなったのかもしれない
人の考え方なんて人それぞれだよね、みたいに思っているところがあるから
どういう考え方を否定もしないし肯定もしない、質問がなくなって興味がなくなる
もしくは興味がないから質問を考えようとしなかった、卵が先か鶏が先かみたいな
でも本来、他人がいたら相手がどういう考え方をしているのか興味を持てた方が
相手の考え方を聞き出そうという関心があった方が楽しいのかもしれない

頭がいいって何?→むぎちゃんの回答

むぎちゃんの答えは「人に合わせたレールで話ができる人」
相手の言葉を理解して、自分の言葉で話すことができる
むぎちゃんがそういう在り方を尊敬し、好んでいるとしたら
普段のむぎちゃんの配信も見てくれている人に合わせ、汲み取ってきた結果
あのふわふわなむぎちゃんの配信が出来上がってるんだなあと思ったりした
そんな感じで思考の波でのサーフィンが盛り上がってくる中

お米炊けましたー!!!うわああああああああああああああ

で笑ってしまった

頭がいいって何?→自分の回答

自分でも考えてみた、自分の中で頭がいいの定義は
「普段は頭がいいと思わせない人」かもしれない

にじさんじでいうと野良猫、ほんひま、ふわっちとか
普段天然みたいな感じで扱われてるけどふとしたときに底知れなさを感じる
演じているとはまた違う、手のひらで踊らされている感……!
真面目にすごい頭いいんじゃないかと思っているし
たしかに尊敬してる在り方で、こういう風にありたいなあみたいなのがある

あと自分が好きなグウェルさんはわりと普段から頭いい系だけど
逆にグウェルさんこそが天然なのではみたいな謎目線解釈
「自由度の高い人」って表現の方が共通してるかもしれない
自由度が高いってことは自分でできることの範囲を見極めて広げて実現できるから
様々な憂いや面倒事に囚われることがなく問題解決力を持っていることでもあって
正直ライバーだいたいフリーダムだしみんな頭いいなーと思ってる節はある

学歴について

むぎちゃん的には学校は適応能力試験のようなものらしい
個人差があってこそ、頭の良さを統一されるのは学校だけで十分

学歴を全てだと思って生きていくのは、寂しいことだと思いませんか?

と投げかけるように言葉にしていた
「頭がいい」の定義は無数にあることがコメント欄を見ててもわかることだった

哲学話するのが楽しい

コメ欄で色んな人が考えを書き表してて、むぎちゃんがふと楽しいねと言った

ゲームするよりこういう話してるのが楽しい

ライバーが楽しんでいる姿が活き活きとしていてリスナーの求めるものとすれば
むぎちゃんにとっての楽しさ、真骨頂がこの配信で見つかったのかもしれない

みんなとできると思ってなかった みんなたのしいね

にじさんじでこういう話できる人いるかなあとももらしてた
むぎちゃん哲学的対談バトル回が生まれるのか…

剣持、黛、委員長とか挙がってたけど、りりむとか野良猫とか挙げてる人もいて
ちょっとそれ見てみたい……と思ってしまった

続く問答、努力とは?

Q.努力とは?
A.努力は性格または習慣
Q.結果が伴わない努力とは?
A.結果の定義とは?→掘り下げていく「みんなーー!楽しいね!」

この辺は結果がさす言葉の曖昧さに注目して掘り下げていったり
言語化がうますぎぃ!と思った

人生とはなんぞや?

Q.人生とはなんぞや
A.人生とは死ぬまでの暇つぶし派
Q.死について
A.実感がない

自分も暇つぶし派に落ち着いていたような気がする
これは生きる意味を考えた時にこれはだれしもが行き当たる問いだろうか
生きる意味っていくら探しても自分にはなかなか見つからなくて
では生きなくていいかと、死んでみようとするとこれがなかなか怖かった
つまり死からの逃げが生きることなんだな、ということを考えた気がする
死ぬまでいかに苦痛を避けて過ごせるかっていうのがせめてもの善処とすると
すなわち退屈もしたくない、なるべく楽しく死ぬまでの暇つぶしという論理になった

Vtuberの引退・卒業とは?

Q.Vtuberの引退は
A.家長むぎの卒業・引退は死です
 他殺か自殺かでいうなら、心中かな
みんなにとっての家長むぎと
家長むぎにとってのあなたを抱えて死ぬ
だから心中かな

それくらいみんなのことが大事と語る、家長むぎの覚悟に迫力を感じた

あるVtuberの生命維持において
同じ一つの命を担っているのに軽視されている人たちがいるのに納得できない
どれほど多くの人がVtuberを支えているか
支えている人たちも腕であり足であり目であり血液で心臓で肉である

これはむぎちゃんがどういう視界を見たのかわからないけれど
表面的に見える人だけでなくそれを支える人たちがいるのも大事にしてほしい話

自我とは?

自我
他人の考えと自分の考えのギャップを自覚する、それが自我
他者との比較があって相対的に認識するもの

他人鏡っていうむぎちゃんのnote思い出した
自分は最近鏡見てないなあ

家長むぎってなんだ?

自我の拡張、自己表現の道具として使っていない
家長むぎができなかったことを家長むぎにやらせるために家長むぎやってるわけじゃない
家長むぎは家長むぎがにじみでるようなメタいことはしない

理解が難しいリスナーに向けて「ぷいきゅあがんばえー!」
家長むぎという表現を重ねて使うことで、前の「家長むぎ」と後の「家長むぎ」に
別の意味を持たせている……なんか文学的に名称あるのかなこのテクニック

「むぎはむぎなんだ」と言うむぎちゃん
・何か目標を達成する手段としてむぎであるんじゃなくて、あくまでむぎとして生きたいって感じなのかな
・人生のサブアカではない
といったコメントが的を射たようで、ぱちぱちぱちと拍手されていた

むぎちゃんのVtuber哲学、強い思い入れの話として自分は受け取った
Vtuberというくくりが多様化していて、活動の仕方も人それぞれの中で
むぎちゃんにとってのVtuberはただの手段ではなく
生きているという強い思い、愛があるようだった

おそらくある人にとっての「Vtuber」とむぎちゃんにとっての「Vtuber」
その意味や重さが異なる場合もあるということだと思う
むぎちゃんは自然体な等身大であり続けてくれるという安心感とともに
あまりにも密接で繊細な結びつきをしている危うさのようなものもあるかもしれない
その思いの強さは、それだけ受け入れられないものができるということでもある

そういうときはやっぱりまたVtuberの定義を掘り下げて
これとこれの違いだねっていうのを考えていったらいいのかもしれない

まとめ

2時間近くがっつり聞いてしまった
雑に引用してしまった部分もあるかもしれないけど勢いで書きたかったのでこれで

正直「かわいい」とか「草」みたいなコメントで埋め尽くされてた方が
配信としては平和なだけに、多くの人の思考が込められたコメ欄はなかなか壮観で
挑戦的な試みやったなーと思った
哲学系ライバーむぎちゃんとしてその道で名を馳せることもあるのかもしれない

カフェでだべってる感覚で見てねって感じのを最初に言われた気がするけど
こんな哲学的な話だべってたら高度なんよ!(ある意味いいシチュだけど)

感想ツイートでいいなと思ったのいくつか紹介して〆!

追記:むぎちゃんが紹介してくれたのでお礼も兼ねたむぎちゃん紹介記事も書いた!

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