弱い戦車と強いブランケット

「零戦は美しい」と言える宮崎駿は強いんだと思う。僕はヒロシマにルーツがあるからなのかわからないけど、美しいって言えない。
 最近見た映画で零戦を美しいというシーンがあった。それを言った彼は、零戦を製造する工場で財を成していたけど「美しい」って言えていたんだ。彼も宮崎駿もとても強い人だ。

でもそんな強さの裏には零戦の文脈を無視できる強さがあるんだ。他人事って言えば聞こえが悪いかもしれない。でもそれも紛れもない強さだと思う。

芸能人の訃報を聞く。きっとあの人を非難していた人はいろいろ他人事にできなかった優しくて怒りっぽい人たちだ。

今目を向けるべきは、他人事にできない弱さだ。

自分の中にもいっぱい思い当たる節がある。いろんなニュースを見て悲しくなる。怒りたくなる。僕がこのノートに書いてることのほとんどがそうだ。弱くて他人事にできないんだ。

そんな人たちの言葉はきっとどこか自分を強く見せたがってると思う。僕もそうだ。どうしてもドラスティックな主張をしたり、論理で武装しないと何も言えない。まるで戦車とか、軍艦みたいに何を担ってるのかわからないパーツがゴテゴテと表面に剥き出しになっている。

僕はこれから何かを表現していくことを生業にしたいと思っている。戦車は苦しんでる誰かを救うために走ってるかもしれない。でも砲台を剥き出しにしてジロリと目線を向けられるとすくみ上がってしまう。そんなものを世の中に届けたいのか?そうじゃない。

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