until the end

写真を撮ったときの、その瞬間の気持ちがわかればいいのに。
あのとき、どう思ってたのって、聞くことはできないから、写真から気持ちがわかる能力がほしい。
私は望みすぎているけど、それも許してくれると思っている。

ネットニュースでは今日も消費されるために生み出された情報があふれている。好き勝手なコメントが書かれ、そのコメントにグッドやバッドが付けられる。
どんな形であれ、私たちは当事者として自分の人生を生きた方がよいのだろう。安全圏にいるつもりで、他人の人生の傍観者として生きていることが人生の浪費に他ならないことはわかっているはず。目をそらしたとしても、わかっているだろう。

私の大事な人を何も知らない人たちが糾弾している。一面的な記事を読んだ、一面的な感想にグッドとバッドが付けられる。それはよくあることで、書いている側も読んでいる側も、何もわかっていない。本当に何一つわかっていない。
私の大事な人がどれだけ多くの人を救ってきたかわかるようなことは、何一つ書かれていない。あなたが傷つく必要があることだったんでしょうか。何か理由があってのことだったとしか、私には思えない。私は今あなたのことを思って、ろくでもない文章を垂れ流している。どうしてもあなたのことがずっと私は大事なのです。私があなたに与えられることがあるとしたら、この気持ち以外ありません。どうかあなたの心をお守りください。

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