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日本人はなぜ原爆投下を恨まないのか。
東京大空襲、原子爆弾の投下…
先の大戦において、アメリカは日本に数々の戦争犯罪を行った。
だが、現代日本人の多くがそれを恨んでいない。
今回は、その理由を私の原体験から考える。
※今回もかなりの駄文です。
私は先の大戦をどう教わったか
私が先の大戦について最初に教わったのは、小学生のときだ。
原爆投下や東京大空襲について、写真や読み聞かせで学んだ。
もちろん、これはどちらも「被害」の歴史だ。
しかし、小学生だった私は「加害者」アメリカに怒りを覚えなかった。
それはなぜだろう。
それは、絵本や写真には「加害者」が描かれないからだ。
絵本では「飛行機から落とされる」と表現される。
「パイロットが落とす」とは決して表現されなかった。
そう、私は先の大戦を、まるで敵のいない「自然現象」かのように学んだのだ。
もし絵本に
「ポール・ティベッツというアメリカ人が原爆を落とし、広島の人々を殺しました。」
と書かれていれば、私は彼とアメリカという国を恨んだと思う。
亡くなったのか、殺されたのか
日本の歴史教育では、原爆で民間人が亡くなったとは教えても、原爆で民間人が虐殺されたとは教えない。
徹底的に、アメリカにヘイトが向かないように教育している。
原爆を落としたのはアメリカが悪いのに、なぜか「日本を降伏させるために仕方なかった」などと最低な言い訳がなされている。
「戦争を終わらせるためなら虐殺をしてもよい」
恐らくこの意見に賛同する日本人は少ないと思う。
でも、これをやったのがアメリカなのだ。
アメリカを恨むべき?
では、日本人はアメリカを恨むべきなのか。
私はそうは思わない。
私が言いたいのは、「アメリカを味方だと思うな」である。
日本人はアメリカという国を信頼し過ぎているように思う。
台湾有事が起こればアメリカが助けてくれる。
本当にそうだろうか?
アメリカは、アメリカ自身を守るために行動する。
日本の一部が中国に占領されたとき、アメリカはそこを全力で爆撃するだろう。
場合によっては、戦術核が使われるかもしれない。
アメリカが日本を、日本人を守ってくれるというのは幻想だ。
先の大戦の、もう一つの切り取り方
よく、戦争には「被害」と「加害」の両面があるという。
だが、私は別の切り取り方もあると思う。
それは「政府・軍部」と「国民」である。
私は義務教育において、「国民」側の歴史しか習っていない。
それはつまり、国民がどれだけ苦しんだかという歴史だ。
「国民」側の歴史しか教わらず、かつアメリカという「加害者」も隠された学生は、その負の感情をどこに向けるのか。
それが、「軍部が悪い」となるのだ。
「軍部が悪い」から分かる歴史教育の問題点
先の戦争の責任を、軍部に求める意見は多い。
それなのに、義務教育で軍人について習うことはほぼない。
実は、この部分に歴史教育(平和教育)の問題点が詰まっていると私は思う。
先の大戦での国民の被害については学校で扱う。
先の大戦を起こした「軍人」について学校で扱わない。
原爆を落とされた広島・長崎の被害については学校で扱う。
原爆を落とした「アメリカ人」について学校で扱わない。
日本は一様に、先の大戦を「受容的」に教えているのだ。
多くの日本人がアメリカを恨まない理由は、先の大戦を敵との対等な「殺し合い」ではなく、抗いようがない「自然災害」だと分類しているからではないか。
戦争と自然災害の違いは、敵に意思があるかどうかだ。
東京は敵の意思によって焼け野原にされ、原爆は敵の意思によって落とされた。
震災に対して、地球を恨んでも仕方がない。
意思がないからだ。
だが、アメリカ人が落とさない意思を持てば、原爆は落ちなかった。
原爆投下について、「日本が悪い」というのは間違いだ。
原爆は自然災害とは違い、天罰のような理不尽さはない。
落とす意思を持ったアメリカが悪いのだ。
権威に弱い日本人の、戦後のアメリカ信仰
倫理学者の和辻哲郎(1889~1960)は、著書『風土』において、人間の価値観や生活・文化は風土的特性によって規定されるとした。
これにおいて、日本はモンスーン型に属する。
この類型として、豊かな恵みをもたらす一方で猛威を振るう自然の存在がある。
すなわち、米を中心とした作物が豊富に育つが、地震や洪水などの自然災害が多いのである。
このような風土から、日本人は自然という対抗できない巨大な力に従う習性を持つと和辻は述べる。
こうして、日本人には「受容的・忍従的態度」が育まれる。
日本人は、権威を覆すのが下手だ。
その証拠に、はるか昔から日本を支配する皇室を、今でも存続させている。
なんと、世界最古の王室だそうだ。
つまり日本人は世界で最も権威に弱い。
戦後、日本人はアメリカの権威を受容している。
(GHQの思想統制のおかげで)
アメリカを、対抗できない巨大な力だと捉えている。
アメリカを、自然災害だと捉えている。
だが、戦前の日本人は、天皇という権威を受容していた。
だから、アメリカを対抗できない存在だと捉えていなかった。
戦後に生きる我々は、自然災害としてアメリカを認識したうえで、先の大戦を学ぶ。
だから、アメリカを恨まない。
アメリカを絶対的な存在として捉えているから。
だが、そのような戦後教育では、本当の歴史は読み解けない。
戦前の人々は、天皇という絶対的な存在を旗印に、アメリカと戦った。
絶対的な存在を前にすると、人は思考を停止する。
思考を停止すると、仕事のスピードは上がり、一致団結できる。
だが、その代償として、正常な判断ができなくなる。
先の大戦は、天皇を中心にして、国民が思考停止した結果ではないだろうか。
そして、これは現代も同じだ。
アメリカは、絶対的な存在なのだろうか。
アメリカに、先の大戦の責任はないのだろうか。
日本人は、恐ろしい自然を神として崇め、受容してきた。
神を恨んでもしょうがない。
だから日本人は自然災害を当たり前のものとして受容する。
アメリカを恨んでもしょうがない。
だって、アメリカは〇〇だから。
だって、日本が〇〇だったから。
だから、日本人は原爆投下を当たり前のものとして受容する。
アメリカの原爆投下に怒りを覚えるようになったとき。
それは、あなたがアメリカを信じなくなったときである。
原子爆弾がアメリカという天の怒りによって落とされたのではなく、ポール・ティベッツという人間の意思によって落とされたのだと、正しく認識したときだ。
私は、いまだにアメリカに怒りを覚えることが出来ていない。
それが、ものすごく悔しく、むなしい。
だが、アメリカが嫌いだという気持ちは、少しだけ醸成できた。
日本が、日本人が今後の国際情勢を正常に乗り切るには、アメリカへの根拠のない信頼をやめることが重要だ。
アメリカを絶対的な存在として認識しているままでは、日本はアメリカを旗印として、正義を信じて過ちを犯すことになるだろう。
他を受容、他に忍従するのではなく、自国のアイデンティティと愛国心を育むこと。
国家としての自立心を養うこと。
それが、今の日本の急務であると述べ、この記事を締めたいと思う。