広瀬ちえみ『句集 雨曜日』を読む
広瀬ちえみ『句集 雨曜日』(文學の森、2020年)を読む。
時間の経過とそれに伴った変化を表現しようとする句が多い印象。
遅刻するみんな毛虫になっていた
水掻きが入荷しましたこの春の
現実の写生ではないものの、日常の実感があるモチーフと言葉がていねいに選ばれている。
かんぶにもこんぶにもよくいいきかす
棒をふる仕事と棒にふる仕事
言葉遊びの句だけれど、ここにも日常の実感と、作者の立ち位置がはっきり示されていて読みやすい。
とはいえ、べったりの日常に留まるわけではなく、
琴座まで楽譜届けにゆくところ
空瓶の収容所ならあちらです
のように、日常のなかに開いている非日常との通路を、さりげなく指し示してもいる。
ぶるぶるっとことばまみれを振り落とす
万緑や砕けたものは掃きましょう
このあたり、文芸=言葉の世界と、日常の暮らし、その双方を思い切りよく行き来しながら、じぶんという存在とその周囲の風通しをよくしておこう、という強い、だが読者に無理じいするでもない、しなやかな意志を感じる。
とはいえ、言葉にしろ、日常にしろ、それほど自由になるものではなく、
金曜日の味がしたなら大成功
鹿肉を食べた体を出ることば
と、一進一退の様相。ときには爆発して、
絶景を見に行く殴り倒しつつ
飛んでいく窓のまん中まるく食べ
この先はハランバンジョーかき鳴らし
と、なにもかも振り捨てて、強行突破してゆくのが痛快。
句集の題が『雨曜日』で、掲載句にも「~曜日」がちらほら。
墜曜日だからお外に出たらだめ
ちょうどいい暗さのなかの日曜日
うっかりと生まれてしまう雨曜日
時の流れにとりあえず名前をつけ、たとえば七日単位でグルグルと回してみる。すると、偶然なのか、必然なのか、そこに引っかかってくる様々な事象がある。そこに実感が生まれ、記憶となっていく。
雨曜日だったね全部おぼえている
ほか、印象的だった句を、いくつか。
鉤裂きのところに光来て遊ぶ
原野から二拍子が来て手をつなぐ
体内の大きな合歓の木が揺れて
不愛想な町をみんなでくすぐろう
木の舟はきのうの雨を乗せており