中・後期柳多留より

川柳の元は『誹風柳多留』(以下、柳多留)だが、近代以降の川柳ではその内、初代柄井川柳選の川柳点前句付から句を選んだ初篇から二十四篇までを評価し、以降は「卑俗で言葉遊びの狂句に堕した」というかたちで切り捨ててきた。

となると、気になるじゃないですか、以降の柳多留が(笑)。

というわけで、中・後期柳多留から、注釈は少なめでも楽しめる句を選んで読んでみました(Twitterで呟いていたのをまとめたものです)。



世の中よかごに乗る人かつく人/横月

『誹風柳多留』 八六・4

背景が格差社会だとしても、こういう句は、通りをひっきりなしに行き交う駕籠が情景として浮かばないと楽しめない。社会批判が中心ではなく、街の賑わいの写実が肝。バブル時代の夜の街のタクシーのような。(「かつく」=「担ぐ」。以降の句も濁点が落ちている場合が多いので補って読んでください。)

野雪隠過去と未來へ目を配ㇼ/如柳

『誹風柳多留』八六・14

モチーフはとりあえず置いておいて、辺りをきょろきょろ確認するのを「過去と未来」と時間に差し替えて表現するのはお洒落(でも、野グソの場面だけど)。ちょうど柳多留の時期に活躍した禅画家仙厓に「野雪隠図」があるそうです。



小人島佛は蓮華艸へ乗/老莱

『誹風柳多留』八六・18

「小人島」は古代中国起源で、柳多留では頻出モチーフ。ただ、真面目に原典を参照するのもよいけど、無関係に勝手にイメージして「カワイイ!」としたほうが楽しそう。柳多留の時代の人もそんな真面目に考えてないと思うので。



野ざらしのやうにあら煮の魚の骨/清屎

『誹風柳多留』八六・22

「野ざらし」は野に打ち捨てられて白骨化した死体(「野ざらしを心に風のしむ身哉」芭蕉)。軽口の裏に凄惨さをイメージできるかが句の味わいに大きく関わる。古典落語「野ざらし」に魚釣りが出てくるが関連はあるか(ないかなー)。



人魂の威せいよくとぶ首くゝり/如柳

『誹風柳多留』八六・23

死と滑稽の混ぜっ返し。思い切ってえいっとやった瞬間を想像、その印象を誇張して書いたと読んでいたが、調べると、江戸時代の刑罰の「首くゝり」は吊るのではなく両脇の人物が縄を捩じったそうで、だとすると情景はずいぶん変わりますね。



羽子板て今年の風をあをぎ初メ/要宜

『誹風柳多留』八六・24

羽根を打つための「羽子板」。遊戯なので元々実用的価値はゼロだが、羽根を打つことも放棄してただ扇ぐ、というのが面白い(羽根を空振りしたとの読みは面白くない)。「初メ」の「初」の字だけでお目出度い雰囲気が出ているのもいい。


あたまへ月のやどるのハ河童也/佃リ

『誹風柳多留』八七・3

想像上の風景を表現するというのが俳諧文化にはあり、これが「軽み」、さらに軽さのなかにあるちょっと切ない感じにつながると、味わいぶかい、趣味がよい句になる。この句の河童は一匹なのか、それとも「田毎の月」みたいに複数の河童の頭の皿の水が光っているのか。ちょっと頑張って後者の読みをとりたい。



糸つけてあるかとおもふ蝶二ツ/金成

『誹風柳多留』八七・5

蝶が付かず離れずで飛んでいる光景。上手い。上手いと感じるのは、「あるかとおもふ」のちょっと間延びしている感じが、想像上の糸の長さや春の駘蕩たる雰囲気に合っているからだろう。「二ツ」という数え方の軽さも効いている。



膝に寐る子に間の抜る小夜碪/杜蝶

『誹風柳多留』八七・7

初期柳多留にはよくあった親子関係を詠んだ句。中・後期になるとこういう句が減るというのも、柳多留の変遷には重要なポイントな気がする。「碪(砧)」は布を木槌で打つ作業。①洗濯後に皺を伸ばすため、②織られた布を仕上げる工程、の二つの説明があるが、この場合は②で、江戸の家庭の内職だろう。寝てしまった子を起こさないように、でも作業を続ける母親の姿。



マアでなくはつきりウントいゝなんし/巨眼

『誹風柳多留』八七・9

「廓詞(くるわことば)」の話体。実際に聞き取ってそのまま書き留めたかというとそうではない気がする。むしろ柳多留を含めたメディアで作られた遊女イメージを、実際の遊女が採用することがあったのではないかなあ。こういう場合、お金がかかるサービスを客に勧めているというのが柳多留の読み。現代だとキャバクラに行ってドンペリ入れてとかそんな感じで、現代とあまり変わっていないかも。知らんけど。



通詞の稽古やつたらにおかしがり/集馬

『誹風柳多留』八七・11甲

「通詞」は江戸時代の通訳。「おかしがり」は他から見て笑っているのではなく、通詞が日本語文脈ではない大げさな感情表現をしているととりたい。言語の壁があると感情を誇張ぎみに表現する必要がある。観察の効いた優れた写実句。


鰒汁を喰ぬたわけに喰たわけ/小蝶

『誹風柳多留』八七・13

「鰒」は「河豚(ふぐ)」。「喰[わ]ぬたわけに喰[う]たわけ」は、阿波踊りの「踊る阿呆に見る阿呆」と同じ調子で、こうした対句(対比)構造は川柳の一パターン。「食のエンターテイメント(やばいところも含めて)」という感じか。




乳貰の足跡はかり庭の雪/三ツ丸

『誹風柳多留』八七・18

「乳貰」は母乳が出ない母親が他から乳をもらうために赤んぼうをつれていくこと、またそうする母親のこと。雪が積もって誰も出歩かない中、「乳貰」でどうしても出歩かなければならない女性の足跡だけが雪の庭についている。積雪の光景からかなり限定した人事の話を引き出していて、「季語があるけど川柳」の例として引けそうな句。



あたま斗カ入てくんなと俄雨/古京

『誹風柳多留』八七・24

にわか雨(雨宿り)の句は初期柳多留から多くあり、いちばん有名なのは「本ぶりに成て出て行雨やとり 一・35」。八七篇ともなると、書き尽くされたモチーフをむりに頑張って書いている感じがなくはないが、この句は話体の使用がポイントか。
 柳多留に雨宿りや傘のモチーフがよく出てくるというのは、重要なテーマかも。なぜこのモチーフが当時面白くて、みなが書きたく・読みたくなったか。柳多留の時代の人々が何に興味をもっていたのか。とりあえずでも、江戸の街中の建物の構造とか、傘の形状・所有率とか、いろいろ思い浮かびますね。



かけて來て禿あのねを十ばかり/花兄

『誹風柳多留』八七・26

興奮しすぎて言葉が出てこない子どもの様子をうまく書き留めているが、ただの「子ども」ではなくて「禿(かむろ)」(遊郭に住む童女)なのをどう読むか。遊郭文化がなくなり、倫理的態度も変化した今からは伺い知れないところがある。



契情のゆうれいみんな舌がなし/馬穴

『誹風柳多留』八七・27

「契情(けいせい)」は「傾城」(上級の遊女)のことで、客を喜ばせ何度も足を運ばせるため嘘をつきますよというだけの句、だが、「契情」(情を契る)の当て字が肝。「契情」「ゆうれい」の韻も調子がよいか。



黒イ所コまで見やうなら久米卽死/木賀

『誹風柳多留』八七・27

久米の仙人は仙術を極め空を飛べるようになったけど、飛行中に下を見たとき女性の素足が目に入り落下しちゃった、まあ、愛すべき人物。初期柳多留では「仙人さまあとぬれ手でだきおこし 一九・6」など何度も登場している。そのモチーフをもっとゲスいところまで書いちゃえ(「うがち」といえば「うがち」)、というのがこの句。「久米卽死」あたりが、今のネットで使われる釣り言葉みたいで、中期柳多留の言語空間のありようがよく分かる気がする。



いゝ調子風が來て彈くひわの海/巢山

『誹風柳多留』八七・29

「琵琶湖」の名での言葉遊びといえばまあそうだけれど、地図上の琵琶湖のイメージと眼前の湖のさざ波のイメージが合わさり、面白い効果を上げている。ヴァーチャルとリアルが重なっている、という感じ。
 狂句=言葉遊び=下劣、というのが近代以降の川柳での見方だったが、言葉遊びの面白さを評価できないことで自分の首を締めてきたのではないか。比叡山頂から東を見下ろすと琵琶湖の広がりが見渡せるが、この句の場合、作者もそうした実景を見たことがあるのでは、とも思わせてくれる。
 〈写実/言葉遊び〉の2行対立からは脱却したいところ。



橋杭へ當れバ廻る瓜の皮/綾丸

『誹風柳多留』八七・36

一方こちらは、この時点の柳多留では珍しい、風景の細部を詠んだ写実句。人事として意味があるのではない景を描いて、しかも粘着質でない情感がうっすらとある佳句。「當れバ廻る」で、トン、クルッという動きが目に見えるのが上手い。
 初期柳多留ではこのタイプの句がちらほらあり、近現代の川柳ではひとつの理想ともされたわけで、狂句時代もこうした句が20句に1句?ぐらい入っていればこれほど無視されずに済んだのだろう。
 とまで書いて、実は裏の意味があるかもと考えだすと、そちらでの妄想もできなくはないんですけどね・・・。



夜這大人のいわくころがつて行ケ/礫川 

『誹風柳多留』八七・38

Like a rolling stone... (鑑賞ではない。)文日堂礫川(れきせん)は2代目、3代目、4代目の川柳を地位につけた、古川柳~狂句界のフィクサー。377のリズムがロック・・・。つぶて-がわ、だし。



風鈴の短冊讀メる暑い事/尾上

『誹風柳多留』二六・3

下五が「暑い事」の句は柳多留にいくつもある。昔の江戸も暑かったのね、というのはさておき、そうした幾多の句の中でこの句が上等かというとそうでもないかなという気がする。風がないからより暑く感じるという同想の句だと、「真直ぐな柳見ている暑い事」という句のほうがはるかによい。「風鈴の短冊讀メる」は理屈のにおいがして回りくどい。


引キ出しハスウイ〳〵と何もなし/不醉

『誹風柳多留』二六・10

「何もなし」との下五だが、句全体も何もない感じで、その手ごたえのない軽みが楽しい。「水鳥やむかふの岸へつうい〳〵/広瀬惟然」という俳句を思い起こさせる。「ないはずはない抽斗を持って来い/西田当百」という川柳もあるので、カップリングしても面白い(というか、当百の句はこの句を元にしている?)。



むぐらもち時〳〵上へふみはつし/里鳥

『誹風柳多留』二六・34

ナンセンス句。モグラが踏み外すとしたら地上にだろう、とそれだけなのだが、これを読んだので、モグラがひょこっと地上に出てきたのを見たら「上に踏み外しやがったな」と考えるだろう。そんな光景を見る機会はまずなさそうだけれど。



硝子の幽灵を吹しやほん賣/三箱

『誹風柳多留』一三五9

しゃぼん玉を「硝子の幽灵(幽霊)」とは洒落ている。それだけで記憶に値するけれど、初期柳多留の句と比べると洒落た部分が説明っぽく、その分もったりとしているとも感じる。写実の軽みというのが表現しづらい時代に入っていたのだろう。

というわけで、中・後期柳多留からもけっこう楽しめる句が拾えないわけではないです。ただし、全体の傾向の変化を読みとり、それぞれの時期の前句付・狂句興行に参加していた人たちが何を面白いと思っていたのかをつかむにはまだまだ・・・。

とりあえずの手がかりとして、上のような句から入っていけるのでは、というところです。

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