中学の僕から今の僕に宛てた手紙が来た

一通の手紙に目が入った。
何の変哲もないごく普通の手紙。

でも、よく見るとおかしな点が一つだけあった。
宛名も送り主も僕の名前。

(なんでこんなもの…しかも一度も開けていないし、なんなら切手が貼ってあるわけじゃないから郵送ではない…とするとあえて隠しておいた可能性…?)

よくわからないっ未開封の手紙を眺めて自分なりに分析をし始めた。
けど、そんなことしても今は手元にものがある。
開ける他ないよね。

これを受け取った君へ
どうしてこの手紙が君のところに届いたのか、出したことも書いたこともない手紙があるのか。
そもそも僕が誰なのか。
とても不思議でしょうがないんじゃないかな。
今はそれなしにただただこの手紙を読んでほしいんだ。
意味が解らないよね。
どうしても誰かに聞いてほしくて、今の僕を残したいと思ったんだ。
だけど、僕は不安と恐怖でこのことを人に伝えることができない。
そして、もし話をするとしたら‘’僕自身‘’しか思いつかなかった。
なんでなんて君には言わなくてもわかるでしょ。
だから、どうか、僕を受け止めてほしい。
お願いします。
それじゃあ、今から15歳の僕が未来の僕に向けて伝えたいことを話していくから聴いてほしい。


過去の僕。
…15歳というと僕の人生の中でどん底を経験したであろう時期だ。
もう一度あれを…。


僕は意を決して次の一枚に眼をやった。


それじゃあ、今から15歳の僕が未来の僕に向けて伝えたいことを話していくから聴いてほしい。

まず今の僕の現状からね。
中学三年生別室登校、周りの音が大きく聴こえる、勉強放棄、域つことに対しての執着を手放したい。
なんとなくだったら憶えているんじゃない?
もしかしたら未来の僕は忘れてしまっているかもだけど。
今ものすごくつらい。
というか、‘’つらい‘’の一言でまとめられるほど綺麗に感情が整理されていないからしっくりこない表現なんだけどさ。
泣いても叫んでも、自傷行為に走っても、何をしても生きた心地がしなくていっそのこと死んだほうがマシなんじゃないかって思ってる。
外も内も傷が増えていく一方で壊れていくことが目に視えなくて、誰に訴えて、何をどう伝えればいいのかわからない。

学年が上がる前に話し合いを含めて、四者面談?したじゃん。
でもその時に使った時間は大金を溝に捨てたみたいに意味をなしていない。
憶えてる?
学年主任兼英語の先生。
そう、あいつ。
話が通じないから僕は話をしたくなくてメモを残して別室に行くようにしたんだよね。
そしたらさ、他の子もいるのにだよ?
別室の戸をガンって開けて、ドカドカ足の音を大きく立てながら入ってきて。
「なんで自分で言いに来ないんだ!!!自分のことも自分で言えないのか!!!そんなんだからそんな風に…!!!もういい!!!」
ってさ。
ありえなくない?
怒鳴られたって別に泣きたくなったり、怖いって思ったりはしなかったけど意味が解らなかったよね。
いったい今何が起こったのか、なんて言われたのか。
教師云々の前に、大人として、人間としてどうなんだ。
まあ、別室担当の先生がいたし、別室組の友人もその場にいたから目撃者がいる状態だったことで救いが生まれたかな。
これが一対一で証言者が第三者にいない状態だったらきっと主張しても何も通じなかったからそこは良かった。
で、今あったことが昨日のこと。
とりあえず、詳しいことは後で書くから端的に報告だけここに書いておくね。

母親に話したら学校休んで良いって言われたから今これお家で書いてる所。
てか、最近あったことありすぎてピックアップしづらいんだけど一番これが鮮明だったから先に伝えたいなって思って。
近々あったことでも最近は記憶がすぐに薄れちゃうことがあって思い出すのに時間が必要でさ。
はあ…それに、いつまで続くんだろう。
なんであんな所行かなきゃいけないんだろう。
音もうるさいし、気持ち悪いし、心地がいいなんてこれっぽちも思えない。
心地よい場所なんてないのかな。
…早く死にたい。

それから、僕が休んでいる日、母も休みだと一緒に過ごしてくれてるけど現状は変わらず。
だけど、担任からの電話で、相棒が僕が使ってる別室に毎日必ず僕が来ているかどうか休みかどうか、絶対来てくれているってきいたんだ。
だから、少し行ってみようかなって思った。
相棒に会いに行くためだけに。
でもね、朝起きて片頭痛で吐くし、起き上がれないし…行きたい気持ちが起きたと思ったら僕の体はいうことを聞かなくなる。
どうしたらいいんだろう。
ただただ最悪な気分でしかない。
相棒に会いたいだけなのに。

それから二週間くらい経って、どうしても行きたくてなんとか這ってでも行った。
だって僕が連日来ていないことを知っている相棒は毎日欠かさず別室に来ているか確認しに来てるってきいたんだもん。
行きたい期落ちでなんとか体を動かして…。
でも、結局駐車場まで行ってシートから体お起こせなくてさ、担任に相棒に伝えてほしいと言伝を頼んで家に帰った。
もちろん両親はそんなに這ってでも行く必要あるのか?とか、本当に体に負担がかからなさそうな時に行くので良いのでは?とか言ってくれたんだけど、僕はどうしても会いたかった。
相棒が行動してくれていることに僕も行動で返したかった。

ただそれだけ。
誰を信じてだれに縋ればいいかわからない…。
僕の中で唯一母が一緒にいてくれる。
それが何よりも今は大事で、心の拠り所的な感じで、誰にも邪魔されたくないし入ってきてほしくない。
何も知らないやつがいい顔しようと来てほしくない。
周りから見たらこれって共依存的に見えてしまうのかな。
それでも、今の母と僕はボロボロでも立っていなきゃいけないことを強いられている状況で。
母も僕も常に警戒しながら気を張り詰めてる。
だからこのまま壊したくないし壊されたくない。

この間から文章に繋がりが感じられないね。
読みにくくてごめん。
でも、それだけ今の僕が必死で何とか記そうと思っている証だから読むのを止めないでほしい。
僕が僕を突き放すなんてことしないでほしい。

それからそんな日がずっとずっとずーっと…。
いつまでこれが続くのかなんて皆目見当もつかない。
僕も母も部屋を荒らして叫んだり、怒鳴ったり、自傷行為に走ってみたり、そんなことしながらでしか支え合えなくて、止めるのも動いてしまうのも僕ら二人でしかない。
親父は…よくわからない。
未来の僕はどうなっているんだろう。
今の僕からはこの先のことなんて目にも浮かばないし、生きてるのかさえも疑ってしまうくらいに真っ暗だ。
ねえ、未来は明るいですか?
僕は、笑って過ごせているんですか?
もうずっと長いことくらい海の中を彷徨っているみたいで、息継ぎの仕方も忘れてしまった。
息があと少しで切れそう。
息ができなくなりそう。
誰でもいいから、母をここから助けて。
母が苦しんでいるのが嫌だ。
母を支える人が必要なんだ。
苦しめている原因は僕なのにね。
自分勝手なことばかり言って結局は偽善でしか生きていけない僕は弱い人間なんだ。
それでもこの人だけは助けてほしい。
どうして皆そんな目をしているのか僕にはわからないよ。
親父…あんたは何がしたいんだよ。
弟が一人で踏ん張ってるんだ。
僕のせいで母が付きっきりだから、頼る場所を探しては押し殺してる。
親父…後ろから見てるその景色に違和感は覚えないの?
母が一人で立とうと僕を抱えて、引き上げようとしながら踏ん張ってる。
ねえ、誰か助けてよ。

ここまでが、中学3年生5月の出来事。
この下からのことは中学2年生の後半の出来事。

中学二年生2月末頃、家で母と一緒に過ごしていた時だった。
テレビの音が聞き取りにくいと、これでもかというほど大きさまで音量を上げていた僕に母が言った。
(母)「どうしてそんなに上げるの?十分に聞こえる大きさじゃない?母の耳が遠いだけかしら?」
その時の僕には普段22-24で聞こえる音がまるで14-16ほどにしか聞こえていなかった。
(僕)「周りの音がうるさすぎてテレビの音が聞こえないんだ。」
そういった記憶が微かにある。
母は不思議そうな顔をしつつもそのままの音量で一緒に過ごしてくれた。
これが僕の体が僕に対して出したSOS一つ目だった。

それから数日が経った。
音の聞こえはずっと変わらず、むしろ悪くなる一方だった。
全部がうるさい。
正直どの音も怖い。
そんな時、二つ目のSOSが現れるようになった。

頻繁に偏頭痛が起きるようになった。
この時の頭痛は気がついたら寝てしまっているという、もはや気絶に近いものだった。
普段は頭痛が来ていても、気絶をするほどの痛みになるまで頭痛に気が付かず、倒れてしまう。
薬が効くまでにかかる時間は30分。
その間に、泥の中にとうの内に落ちてしまっている。
朝起きてすぐに起こる時、朝ごはんを食べる時、終わった時、支度を終えいざ家を出るとなった時、授業の最中。
授業中に起こってしまった時は、なんとか意識を保って、どこかに持って行かれないように、冷や汗をかきながら耐える。
なんとか冷たい部分を探しながら、体に熱を籠らせないようにと。
そう過ごしていた時間は授業の記憶なんて残るわけもなかった。
意識を飛ばしてしまっていた間、何かなかったかと不安になり、隣の席の子に聞けば、普通に起きていたし授業を受けていて不自然はなかった、と言っていたけれど実際はわからない。
学生であり、箱の中にいなければならない時間である、教室は僕にとってかなりしんどかった。
保健室に行けば良いのでは?と思う人が大半だろうね。
僕はものすごく中学校の保健室が嫌だ。
だから、耐えることが手数の中で最善で、一番楽な手段でしかなかった。
今考えると、朝の頭痛は学校へ行きたくない。学校に行かないほうが良いという体からのストップだったのかもしれない。
母親も、這うようにしてまで必死に行こうとする僕を見て、行かなくても良いんだよと何度も声をかけてくれたらしい。
それでも僕は、友人に会いに行くために学校に行くんだと、聞かなかったみたい。
基本的には僕の気持ちを尊重し僕の決めたことで動けるようにサポートするというスタンスだったからだ。自分で決めて動くこと、それに伴ったエネルギーと決断。
もちろん、あまりにも顔色が悪すぎたり、酷すぎる時は母親は全力で止めて休ませるという強行突破。
なんなら怒って止めるくらいに(笑)

未だに言われるのは、「あの時あんなに行きたいという貴方の気持ちを優先してしまったけど、止めるべきだったかなぁ。でも、友人に会いに行くというエネルギーを取ってしまったら…と考えたんだよね。たらればにはなっちゃうんだけどね。」

正直なとこと、ここまでかいて申し訳ないけれど、僕には記憶があやふやなところがあって、時系列がぐちゃぐちゃかもしれない。
読みにくかったら本当にごめん。

そして音の聞こえも大幅に狂いはじめたのは、偏頭痛が勃発するようになってから。
音の狂った世界は気が滅入るような日々になった。
この時の僕の音の聴こえは、端的に言えば「周りの音全てがとても大きく聴こえている」状態だった。
どんな状態かというと、常に工事現場にいるような感じ。
音が大きすぎてどの音がどこから聴こえているの、何の音なのか判別することができなかった。
そんな中、教室へ入れば、誰かの悪口、陰口、嘲笑、ヒソヒソ声。
全ての音が入ってくるため、気分を悪くしてしまう気分を悪くしてしまう一方であった。
それらの音たちは、錆びた軋んだなんとも言えない音ばかりで、眩暈と吐き気に襲われる。
他にも自分のクラスの授業の音を聞き取ることができず、昇降口を挟んだ離れた奥の教師手の授業が聞こえてしまい、
授業の内容は到底入ってこなかったよね。
目の前で国語をしているのに、聴こえてくる音は数学やら社会やらで。
集中しようにも音のフォーカスが合わず、すぐそばの音もわからない。

そうして、僕は教室にいることができず、一週間学校を休んだ。
残りの春休みまでの間は別室を使って登校となった。
家にいた一週間も僕にとっては落ち着く暇のない時間でしかなかった。
日中は両親が基本的には仕事だったため、僕は一人でいることが多かった。
この一人の時間がかなりの地獄だったよ。
一人でいる間に聞こえてきた音たちは、外の車の音、どこかで話す人の声、電子音、遠くの電話しているような声、僕に一斉に襲い掛かってきた。
どこから聞こえてくるのか、こんなに近くで聞こえている複数の音はなんなのか、わからない音に恐怖を終えた僕は布団に包まり、泣きながら母の帰りを待った。
母は、午前中で仕事が終わるため、お昼に一度家に電話を入れてくれる。
僕の状態を知っている母は欠かさず電話を入れてくれた。
その時の僕は震えながら、泣きながら応答していた。
優しくゆっくり応答し、僕に声をかけてから急いで帰ってきてくれた母は、心配を見せるよりも、職場での面白話や、僕が待っていた時のことなどただただ普通の会話をしてくれた。
きっと内心不安や心配があっただろうし、そっちがなかったとしてもどうしたら軽くなるかを考えてくれていたと思う。


今日は頑張って学校に行ってきた。
でも、結局いつも通り偏頭痛が襲ってきた。
今日は調子が良いと思ったんだ。
朝は体がだるい感じはしたけど、動けるし、リンゴジュースも飲めたし、とりあえずは行けるかなって。
比較的別室での時間も楽しく過ごせていたし、このまま旧ホックを食べて帰れるかなって思ってた。
なのに、…楽しく過ごせていた矢先に突然来た。
座っている態勢が辛くて、地べたに座り込んで椅子を机代わりにして突っ伏した。
この体制が比較的楽。
痛みが変わることはないけどね。
たいてい、過ぎ去る時間を忘れるころには意識はぶっ飛んでる。
給食食べられなかった…。
せっかく相棒が別室まで届けてくれたのに…ごめんね。


最近は母が仕事のない曜日だけ一緒に別室に登校するようになった。
というと、行かなくなった日があったのかなってなるよね。
行く必要性というか、場所に問題があって、居心地が悪かったんだよね。
だから母が仕事の時は家で待機してた。

初めて母と一緒に別室に入った時のこと。
母の雰囲気が変わった。
隣にいた僕はそう思った。
きっと部屋の惨状を見て怒ってた、多分。
「掃除道具、家から持ってきていいですか?掃除しようかなって思いまして。時間もありますし、使わせてもらうならね。」
母はそう学年主任に言ってた。
笑顔で笑声で。
けど、目はちっとも笑ってなっかった。
学年主任は慌てた様子でいたよ。
「いやいや、そんな、申し訳ないですから、あの、合間で私どもでやりますから、お構いなく、海月さんとゆっくりお過ごしください…汗」
そそくさと別室を後にした学年主任を見送った後母は僕に言った。
「…ああ言われたら焦るだろうけど、これはないよねえ。しかも、”合間でやっとく”なんてさ…。言って良いことと悪いことも…や、やめようか、ごめんね。我慢できなくて言ってしまった。」
(確かに…この状況は学校側としてもまずいよね…。法律的にも。まあ、別に僕は静かであれば良いし、)
和室の部屋なんだけど、長らく人が使わなかったこともあって教材やら何やら使わなくなったものとかが追いやられて山積みになってた。
どこでどうゆっくりしろと?って感じなんだよね。
確か学校という場所として規定があったと思うんだけど…なんだっけ、ちゃんと知らないんだけど、「子どもには勉強や生活が送れるような適切な環境を用意する必要がある」的なやつなかったっけ…って思たんだよねえ。
まあ、そんなこと言ってもすぐすぐ何かが変えられるわけじゃないし、とりあえず今日は母と空いてる机とか椅子を一緒につなげて場所を作って部屋の奥の方で過ごした。
母とは今日は、色鉛筆を使って筆談をしたんだ。
なんでそうしたかっていうと、僕が話すことを諦めて口を噤むようになってしまったから。
今はこうして文章上で話すことはできるけど、いざ自分の声に出して何かを伝えようとすると色々考えてしまって声に出すことが怖くなるんだ。
それを察してくれた母は何を言うんでもなく、ただ白い紙に文字を書き始めて僕の返答を待っていた。
ニコニコしながら。
多分僕が色が好きなことを知っているからだろうなって今書いてて思った。
色々筆談した後、最後に僕が『筆談楽しかったからまたしたい』って書いたら母が嬉しそうに『明日もしよう』と筆談で答えてくれた。
母と一緒に過ごすこの時間が今は何よりも落ち着くし楽。
明日は何を話そうかな。
…あ、久しぶりに明日のことを思い浮かべた気がする。
母、ありがとう。

少し、いつもよりもすんなり起きることができた気がする。
頭が痛くなることが少し怖いけど体を起こす。
少しだけ気持ちがいつもと違う。
頑張って行ってみようという気持ちが少しばかりない。
今日の僕は”少し”違うこの軽さに、怖さを感じつつも行動してみたいと言いう気持ちもあるみたいで。
今日も母と一緒に別室に来た。
別室に着いた母は、部屋の中を見て笑ってる。
「昨日私がああ言ったから少し片付けたのかな。机といすのスペースが確保されてるね。さすがに親に学校の掃除は任せられないもんねえ。まあ、母は全然掃除したんだけどなあ、掃除好きだし時間潰せるし。」
今日もニコニコしながら、母は楽しそう。
『今日も色鉛筆を使ってお話しする?それとも、何かしたいことある?』
母はそう言いながら筆談をしてくれる。
僕はどう応えようかと固まってしまった。
昨日自分で明日もしたいって言ったけど…。
僕はどう応えたら相手にとって正解なのか、僕自身に害が及ばないのか、それだけしか頭になくて、自分の意思を伝えることが怖い。
固まっている僕を見て母は筆談を続けた。
極自然な流れのように、ただの会話をするかのように、母は楽しんでいる。
別に会話がしたくないとかしたいとかそういう単純な感情じゃない。
今は、僕の声、僕の中から溢れてくる文字と言葉と音、それを相手に渡すことへの恐怖心が覆いかぶさってくる。
それが母であっても。
正解がある方が楽で正解のない事柄が怖い。
そんな風に考えながら、文字を連ねる作業をしていた。
すると珍しい人が入ってきたんだよね。
部活の顧問の先生が「海月~ティータイムだぞ~」って。
思わず目を丸くした。
だって、50手前の男性教員が淡いピンク色のフリル付きエプロンを着てそんなこと言ってくるんだもん。
いつも斜め上を行く先生だけど、流石にびっくりした。
呆然としている僕に母は同じテンションで「ほら、ティータイムだって~良かったじゃん~」。
午前11時母と顧問と僕の3人のティータイムが始まった。
不思議の国のアリスみたいで少し面白い。
問いかけにぽかんとするか首を振ることしかしない僕を見て不思議そうにしている顧問。
顧問は僕が筆談をしていることを知らないから当たり前の反応。
(何か言った方がいいのかな…けどどう思うかな。なんでって思われちゃうのかな。それを察知するのも表情を見るのも嫌だな…。)
俯いてしまった。
カップの中の紅茶を見て黙る僕。
すると母が「今筆談してたんだよね~。声が出にくいみたいで。無理に出して悪化しても喉に良くないなあって思いまして。私の話に付き合ってほしくて筆談しよーってしてたんです。」
「じゃあ紅茶たくさん飲んで喉あっためような~おかわりいるか?」
さらっとした会話で次々に流れていく音と風景が、僕には別世界のことのように思えて、ドラマのワンシーンを見ている感覚だった。
それから部活のことだったり、担当クラスの話だったり、家族の話とか、そんな他愛もない会話を3人でして30分くらい過ごしてきたよ。
「俺はそろそろクラスに戻るなーお母さんと楽しいこと、おいしいものたくさん食べろよ~」
って言って顧問は別室を出て行った。そのあとは母と筆談をしたり、美術の授業でやっていた切り絵の続きを黙々としたかな。
いつもより平和に過ごせてここ一番で心が穏やかな日だったよ。

今日は母と二人で病院を回ってきた。
耳のことで、少しでも良くなる方法だったり、それが分からなくても診断をもらうことでカルテを作ってもらったりすることはできるから、後のことを考えて母は動いてくれたみたい。
僕は相変わらず病院が嫌いなのであまり乗り気ではないんだけど。
まあ、病院が好きなんてもの好きそうそういないよね。
いたら話してみたいくらい。
耳のことで病院に行くって言ったけど、偏頭痛持ちってこともあったから先に脳外科?…だったかな、に行ってきた。
MRIをしたんだけど、何せ僕の耳は今周りの音がかなり爆音って事で工事現場にいるみたいで苦痛でしかなかった。
もう2度としたくないのが正直なところ。
とりあえず原因とかいろいろ調べて分かるためにやることだから我慢するしかないよね。
自分のことだし。
レントゲンとか、色々したんだけど結果として何も異常はないんだって。
脳はものすごく綺麗だし、陰りもないし健康すぎるってさ。
他もなんか言われたけど覚えてないや。
耳の原因がわからなくても体が健康って事が解ったからまあ別の意味では安心かな。
頭痛配電のものが大きいから仕方がないのと薬は合うものでないと肝臓に負担がかかるから希望があれば薬を出してくれるって話だった。
合わないものに期待しながら飲むのなんて嫌なので断った。
母も僕が良いならって納得してくれてる。

それからもう一つ行ってきた。
何個か病院回ってきたんだけど、記憶あんまりなくて印象に残ってるのが2個しかなかったからそれだけ書いとくね。
多分母に聞けばどんなところに行ったか分かるから気になるなら聞いてみて。
もう一つは耳鼻咽喉科だったかな。
そこでは聴力検査と喉の検査と、なんかした。
けど全く異常はないし検査の数値も普通の人とあまり大差ないんだって。
少し普通の人より聞こえがいいねってくらいらしいよ。
けど実際聴こえている音はずっとうるさくて、常にカナル型イヤホンをしていないと騒音過ぎて話していられないくらいに音がごちゃごちゃで混ざってる。
工事現場とゲーセン合わせたみたいな感じ。
そんな感じのことをお医者さんに言ってみると、
「実際には個々の医院ではあなたと同じような症状の人とはまだ会ったことがないのは事実なんだけど、逆はかなりあるのね。だから聴こえが悪いっていう難聴が多いけど、私としては聴こえすぎてしまうってことも難聴の一つだと思うんだ。種類としては聴覚過敏の類だとは思うんだけど、詳しく診断名をつけたり、知ったりするためには紹介状を出してまたもう一回検査を受けなきゃいけないのね。だから希望するのなら出してあげることはできるんだけどどうしたいかな。」
一つずつ丁寧に僕の目を見ながらその先生は話してくれた。
でも僕は行く病院や会う人に毎回同じ内容を何度も何度も話して、騒音の中、長時間我慢しなくてはいけないことにうんざりしていた。
それにどうせわからないだろうとも思ってる。
母は、一応紹介状を出してもらったと言ってた。
行くか行かないかは後ででも決められるから行きたいときのために枠の確保をしておこうって。
もう疲れたな…それしか頭に浮かばない。
家に帰ってきて母と話をした。
「疲れたねー。…病院行くのやめよっかあ。たくさん頑張ってくれてありがとう。けど、今は病院で原因とか診断名もらうより海月の回復の方が先だよね。同じ検査を何回もしてそのたびに大っきな音で襲われて…。カルテもらったら少しは学校側にも伝えやすくなるかなって、思って動いちゃったんだけど…。何度も何度もごめんね、ありがとうね。たくさん明日からはリフレッシュしないと。何しようか?」
ニコッと笑って母は僕を抱きしめた。

「さて、それじゃあ、なにしようかね」
そう言って母は明日以降の計画を立て始める。
明日は平日だけどお仕事はお休みらしいからどこかに出お出かけしようって話らしい。
ハッキリ言ってこれにもあまり乗り気ではないんだよね…。
だって音がうるさいんだもん…。
病院に行くのだってしんどっかったのに外に出るなんてもっての外でしょ。
外に出るのなんて嫌だし、怖いし、行かなくていいならずっと引き籠っていたいたいっくらい…。
そう思いながら母の話しを聴いていたんだけど、きっとは母、僕が何を言おうが外に連れ出して行くんだろうと思ったので諦め。
とりあえず話を聞いてみる。

…は?え、ちょ、聴いてよ、明日どこに行くって言ったと思う??
「明日は映画館に行こう!お母さんの友人が娘さんと一緒に見た映画が面白かったって聞いたの!!それで、おすすめされたから気になっちゃってね~。」
「え、う、うーん…。」
僕としては興味もあったし好きなアニメの映画だったけど…。
映画館の音のうるささは今と比にならないくらいに大きいだろうし、襲い掛かってくるものが大きいと思ったら不安しかない。
返答に困った。
それに、母が僕のことを解っていないわけではないだろうし、あえての映画館なんじゃないかなと思ってもいる。
長考してしまっている僕に母が声をかけた。
「音の大きさがどのくらいかわからないから怖いよね。どうなるかわからないし、今の状態でも酷いんだもんね。…、イヤホン今しているやつとプラスでこの間買ったイヤーマフして行ってみない?かなりのチャレンジになるけど…。このまま落ち着くまで一緒に引き籠ってもいいかなと思ったんだけど、きっと海月は外に出ていくように次第に自分で動くと思ってると確信しているのね、母は。あなたは、人が好きだし周りに人が集まる人だからきっとね。だからこそ、今母と一緒に動いてみてほしいの。後々一人で勇気を振り絞っていくのも大きな成長だと思うし、もちろんそれお良いと思うのよ。でも今なら、何かあったら一番傍にいる母が、味方がいる状態って思ったら無敵じゃない?…ね。仮に映画館で耐えるような状態いなってしまったらすぐに出よう。途中でもいい。母は海月と一緒に見たいって言ってるんだから。大丈夫。どうとでもなるんだからまずはやってみよう。何ができてできないのか”わからない”が一番怖いんだから。”わかる”に一緒に変えていこう。」
母は僕の手を握りながらそう言った。
表情をあげに落としてしまった僕には母の表情はわからない。
けど、きっと、まっすぐ僕の方を見つめながら話してくれていたことは、音の反射と方向から僕にはしっかり伝わっている。
この人の”いつも”の僕に向ける大好きな音。
「…、っ、頑張って…、出てみる…。少し映画…きになる、から。」
「じゃ明日は映画館に行ってみよう。何着ていこうか~。」
(大型のお店に入るのは耳がこうなってから一か月ぶり…かな…。)
(明日ちゃんと映画ちゃんと見れるかな…というかそもそも映画館の中とか駐車場とか…歩いていけるのってレベルだけど…考えるの疲れるし明日のことは明日にしよう…。)

昨日話した通り今日は母と一緒に映画館に行ってきた。
某アニメの映画だったんだけどちゃんと楽しんでみることができたと思う。
カナル型のイヤホンを耳にしっかり押し込んで、イヤーマフをして見た。
向かう道中は仕事お話とか母自身のおっちょこちょい話とかそんな愛もない話で、映画館の話はせずにいてくれた。
多分意識を向けすぎないための中和的作業と、母の気遣い屋さん炸裂してた。
駐車場に着いてから、母はエンジンを止めて、ここまでで体調は悪くなっていないか、疲れすぎていないか、僕に確認を取り「楽しもうね」の一言。
ドキドキしながら映画館に入った。
母の隣でくっついて一緒に行動して、映画を見た。
最初はイヤーマフさえも押さえて見てたけど、少しずつ内容の方に集中が逸れていって、楽しむことができた。
(行けた。…見れた。)
最後まで見れて良かったなって少しほっとした。
「楽しめた?音はどうだった?」
終わった後に母が聞いてくれた。
「最初はびっくりしてイヤーマフを押さえていたけど、途中から内容に集中できたから大丈夫だった。瞬間的に集中が切れるとガンって音が来るけどそれ以外はなんとか…。」
そういうと母は安堵した顔で、
「良かった~!楽しめたのなら良し!!来て良かったね~!!」
と嬉しそうに言った。
母は、僕がひきこもるようになってから絶対口にしないことがいくつかできたように思える。
その中の一つとして『大丈夫?』という聞き方をしなくなったこと。
実際僕はこの言葉はあまり好きじゃないから使わないけど、それを母に直接言ったことはない。
そもそも大丈夫ではない人に、大丈夫?なんて聞いたら大丈夫以外に言えるものがあるかって考えちゃうから違うんじゃね?って思うんだよ。
僕が感じるに、僕が嫌いなことだったりものに関してだったりが母にも伝わっているんだろうと思う。
だから、母からの質問に耳を傾けることができる。
大丈夫じゃない人に大丈夫?って聞くよりも、具体的に”どのくらい大丈夫じゃないのか”を聞くから、母の行動や言動を見るようになってからは少し気が楽になった。
いつか、どうしてその言葉を口にしなくなったのか聞いてみたい。
今日はこのくらいにしてまたね。
ちょっと音を浴びすぎて疲れた。
明日はどんな日になるんだろう。
…あ、少し明日を考えることができるようになった僕に拍手。


そんな風に平和に過ごしながら、気が付けば春がどこまで来ていた。

春休み中、僕と母はお出かけやドライブなど頻繁にしていた。
以前母が言ったことだけど、僕が音に慣れることができなくても生活をすることに重きを置くために最低限、身動きが取れる状態に持って行かないといけない。
音がどんなに襲ってきても僕の聴こえは、気にしたからと言って治るものではないし、どうしたって心因性だ、今今どうこうは難しい。
だったらそれを気にするよりもほかのことに集中を向けた方が生きやすいのではと考えたとか。
というわけで、ことあるごとに車でどこかにおでかけをしてた。
でも、流石に音が怖いのはすぐには消えないから、車で一緒に向かって僕は車で待機してることが多かったかな。
場所によってはついて行ってみたりしたこともあったけど、基本的には待機。
でもこの短期間で、こんなに頻繁に家から出られるようになったのはっかなりの進歩じゃない?
もちろん、イヤホンは常に装着で場所によってイヤーマフって感じ。
それでもすごいと思ってる。
この間まで、家から出るのも嫌だったのにね。
ああ、そういえば、明日、学年主任と担任と僕と母で四者面談?があるらしい。
さっき母から学校から連絡あったからって聞いたんだけど…。
物凄く行きたくない。
特に学年主任とは顔を合わせたくもない。
けど、行かないと。
なんで行かなきゃいけないのかって言うと、来年僕は中学三年生になるんだ。
だから、担任も変わるしクラスも変わるし今の状態だったりこれからどう対応していけばいいのかっていう話をしなくてはいけないみたい。
事前に話をしやすいように母がA4サイズの紙に何を伝えるのか書いて整理してくれてる。
基本は母が話して、聴かれる内容によっては某が答えるって感じにしようってなった。
ああ、今まで以上に学校に行きたくない。

…………疲れた。
新年度から行く気力ない。
とりあえず話は終わった、けど…。
伝わってる手応えがまるでない…特に学年主任。
じゃあ、どんなこと話したか書いておくね。

16時00分、来年度使うであろう教室で四者面談開始。
※ここからは学年主任を(学)、担任を(担)、僕を(僕)、母を(母)として会話の文頭に記号として入れていくね。

(学)「貴重なお時間いただいありがとうございます、来援度に向けてお話ができればと思います。今の海月さんの状態だったり、今後についてお聞かせ願えると幸いです。」
(担)「…。」
(母)「そうですね、今の娘の状態は依然お電話でお話しさせていただいた状態がベースです。お話だと少し長くなってしまうので、こちら、あらかじめまとめたものを用意しましたので読んでいただいてもよろしいでしょうか。何か不明な点があれば、一つずつお答えします。」
(僕)「…。」
(母)「それから、そこに書いてあることが全てではありませんので、そこも留意していただけると幸いです。」
そう伝えた後、学年主任と担任はそれを声に出しながら一読した。
主に、僕にとってどんな音が入りやすくて苦手なのか、音の状態がイメージでいる比喩、イヤーマフはどんな時に必要か、イヤホンは常時つけていなくては厳しいなどのこと。
僕としてはハッキリ言ってこれだけ丁寧に書かれていて、尚且つイメージしやすい内容であるから、これで伝わらないなんて言われたら諦めるしかないよねって思ってる。
理解しろなんて言ってないし、むしろ他人の理解なんて絶対無理じゃん。
想像力働かせて、きっとこういう感じなんだろうなってイメージして聞けって言ってんだからさ。
何も難しいこと言ってるわけじゃないし。
何なら知りたいって言ったのは向こうなんだし。
(学)「ご丁寧にこんなにありがとうございます。なんとなく海月さんがどんな状態で困っているのかわかりました。それでは、これらを踏まえて来援度に向けての話をしたいと思います。いや本をずっとつけていると書いてありましたが、学校生活でもつけていないと厳しいということですよね?」
(僕)「(…は、何言ってんの。そんなん聞かなくてもわかるでしょ。意味わかんないんだけど。)」
そう思ったとき母が僕の手を握った。
(母)「そうですね。家で生活しているときも、寝るときも、好きなことをするときも、卓球をするとき…部活ですね、の時も、イヤホンは常時していますね。それでは耐えられないときはそこにも記載させていただきましたが、イヤーマフをしています。カラーという教義や銃を扱う際に使われるヘッドホンの様なものをしています。イヤホンはあくまでも彼女にとって、音から身を守るためのものであり音楽を聴いていることは決してありません。」
(担)「…海月が、イヤホンをしているときの音の聴こえはどんな感じなのか聞いてもいいか?私らは、イヤホンをすると周りの音が小さくなって場合によっては聞きづらくなってしまうけれど、海月はそうではないんだろうと思って。」
(僕)「(この先生は、内容を踏まえて想像しながら母の話しを聴いてくれてる…少し話せそう…かも。)…えっと、あの…っ…、イヤホンをしていると、以前と同じくらいか少し大きいくらいで…耐えることできる大きさ…、みたいな感じ、です。なので、つけてないと…少し、怖い…、です。」
ゆっくり話した。
つっかえながら、どの言葉が伝わる言葉なのか探しながら。
(担)「ふむ。そうか。ありがとう。」
(学)「来年の授業だったり、受ける科目のことになります。海月さんの気持ちを優先していただければと思います。なので、体調や調子によって、この科目を受けたくない・受けづらいなどあったらその時間の教科担任に伝えてもらって、別室や保健室で過ごしてもらって構いません。また、教科担任に言うことが難しい場合は朝の時点で担任にお話ししてもらい担任から教科担任に伝えてもらうことも可能です。」
(母)「ありがとうございます。その日によって教室の感じだったり、メンタル面だったり、体調によって対応していただけるのはとてもありがたいです。娘は偏頭痛もかなり頻繁に起こりますし、かなりの激痛の様で、最悪気絶に近い形で眠ってしまうくらいに痛みで動くことが困難になることもあります。」
(学)「お薬とかは処方していただいたりとかは…」
(母)「お薬自体はいただいたのですが、効くまでに最短でも20分から30分ほどかかるみたいです。即効性のあるお薬で、血管の多い鼻の奥に噴射する形のお薬をいただいたのですが相性というのでしょうか、効くまでの間に激痛のピークの方が先に来てしまい、薬が意味をなさないみたいで…。頭痛が来そうなタイミングで薬を使おうとしたこともありましたが、痛みが激しい状態にならないとわからないらしく予兆もないためうまくいかず…。なので、なってしまったら耐えるか寝るかの二択ですね。もはや寝る場合は気絶している感じです。」
(学)「それはかなりつらいですね。海月さん、体調が合悪くなったら早めに言ってねもらって、保健室で休んで大丈夫だからね。」
(僕)「…、はい。」
(担)「まあ、自分で言いに行くのが厳しかったら後ろの席の幼馴染とか友人とかに頼んで伝えてもらうのも大丈夫だから。誰かが海月の居場所がわかるってことが重要なんだ。何も情報がないのにいないっていうことがなければ問題はないんだ。そこだけ注意してくれれば、自分のこと優先にして動いてもらって良い。」
(母)「ありがとうございます。そう言っていただけると少し心が軽くなります。そうそう、海月も自分のっ子と優先で動いていいんだよ。大丈夫、先生がこう言ってくれてるからね。」
(僕)「(コク)」

そうしてそのあともいくつか話をして、おおよそ30分前後の面談を終えた。
後に話したことは覚えていない。


かなり疲れた。
もう何もしたくない。
そんな感じで、車窓を眺めていた。
母は、
「よく頑張ったね。何か甘いものコンビニで買っていこうか。お母さん甘いもの食べたい~。ちょっと付き合って~。」
それだけ言って、車の中では学校での出来事に触れずにいてくれた。
まあ、母も終わった後に考えるのを止めたかったのかなとか、僕の気持ち汲んでくれたのかなとか、都合の良い考え方しつつ、なんとなくそうかなて思った。
だって、母はかなり頭を使って話していたから。
角が立たないように、けれど伝わるように言葉を選んで組み合わせて。
これでもかってくらいに砕いて話したのだから伝わらなかったら末期だよね。
担任には確実に伝わっているとは思うけど。
確信が得られる返答と、共感できる言葉が多かった。
例えそれが建前として発せられていたとしても、いあの僕らには十二分の支えになる。

帰宅後に、今日会ったことを父に話しながら整理して、情報共有をした。
家族会議的な。
報告内容は上記に書いてあることを伝えて、僕の記憶のないところを母が伝えてくれる感じ。
特に更新された情報はないからここには書かずに終えるね。
とりあえず来週から新学年・新学期始まるので、始まり次第また報告するね。
僕の予想だけどきっと何かあると思うから。

じゃぁ、またね。


春休みが終わった。
どんなふうに過ごしたか、ね。
特別これと言ってはなかったけど、部活強化月間って感じ。
顧問の先生がひたすらに県外遠征入れてた。
県内トップを目指してるなら、県外の人たちとやらないと伸びないしね。
行ってみて僕も思った。
かなりのレベル差があるし、こんな人たちと渡り合えたらものすごく楽しいんじゃないかって。
まだ技術はないし、勝つこともできないけど、経験値アップが物凄く楽しい。
ゲームのレベル上げみたいで楽しい。
ただ…、ちょっと、うん、びっくりしたこともあったから、しばらくは部活から少し離れたい…というか、卓球から距離を置きたい。
そう、そうだった、その話も、記録として残しておきたかったんだ。
それを伝えるために開いたのに、書かなすぎて伝えたいことが盛りだくさんになっちゃったよ。

単刀直入に言うね。
顧問の先生に、僕を音から守ってくれている道具をぶんどられた。
結果としては、悪意があったというわけではなくて僕に対しての想いが強すぎた行動故にしてしまったことらしいよ。
何があったか詳しく話すね。

ある遠征の試合の時に、僕が5番手でシングルスが終わった後のこと。
いつものように試合後の全体の講評をするショートミーティングをしようとしていたんだ。
僕は、試合の時は卓球に集中できることがわかってからはイヤホンを試合中外してるんだけど、試合が終わった後はその集中も切れて音のフォーカスが合わなくなって崩れる。
そして全部の音が入ってくる。
だから、すぐにイヤホンをしないとパニックになる。
そのことを何よりも自覚しているからこそ、急いでポケットにあったイヤホンをつけようと解している途中だった。
「海月、良いか?うん、それ、おろせ?」
そう言って、イヤホンを取られてしまった。
相棒(部活内で一番頼りにしていた心強い仲間の1人)は目を丸くして驚いて顧問と僕を見る。
一体何を言われたのか…何をされたのか、わからない僕は「あの、…っそれ、しないとっ、!」…。
「良いか?話すぞ?」
僕は頭が真っ白になった。
心臓は早鐘を打ち、手は震え、行動と言動に濁りが生じてしまう。
イヤホンをしている理由も、状況も伝わっているはず。
なんで………。
この人が何を考えてそれを言ったのかわからに。
僕には何よりも優先したいし、しなきゃ困るものなのに。
この時の僕は、周りの音のせいもあるとは思うけど、顧問の衝撃的な言動にショックを受けて思考がうまく働いていなかった。
もちろん、ミーティングの内容も全く覚えてない。
その後は、泣きまくってオーダー用紙を考えても自分では持って行かず副部長や相棒にお願いして持って行ってもらっていた。
あ、そうそう、僕、部長なの。(言うの遅い)
試合が始まった後も対戦相手に申し訳なくらいに号泣しながら試合をしていた。
1セットの間、僕は呼吸が止まっていた気がする。
息をしていた記憶もなければ、試合の内容の記憶もない。
1セット終わる度に泣き崩れてそれでも出なくてはいけなくて、それの繰り返しで何も覚えていない。
とにかく試合には出なくてはいけない、その一心でしか動けなかった。
もはや義務に脅された人形みたいだった。
ただ台の前に立つことだけしか頭になかった。
楽しいはずが、大好きなはずが、息をすることが許されない水の中の様で、卓球が恐くなってしまった。
今の状況にどう向き合えば良いのかわからなくなった僕は、放心状態で帰りまでの時間を過ごした。
いつもなら、試合を見てメモをしたり目に焼き付けて知識を得ていこうと動くはずが、もう、見たくなかった。
相棒はさりげなく傍にいたり、好きに試合を見に行ったり、気を遣う様子を一切見せることなくいつも通りを装って過ごしてくれた。
その時は気が付かなかったけど、流石だよね。
思い出しながら、関心しちゃう。
それから僕は、帰る時まで一歳顧問と接触しないように過ごしていた。
そのまま帰ろうとした僕を、母が制した。
「海月、待って。このままだとお互いに良くないし、嫌でもなんでも、いまは、なんでそうしたのか、どうしてそんなことをしたのか理由を聴きなさい。あの人と、先生がやったことの中身が違う、意味が違う。許さなくても良いから、理由を聴いて。」
顧問の先生の前で母はそう言った。
一定の距離を保ちながら、嫌々話を聞くことを選んだ。
「…負けたりしている状態で、海月にイヤホンに逃げると言うことをしてほしくなかった。負けた時に、イヤホンをつけて安心感を得られることで逃げに繋がってしまうんじゃないかと思った。イヤホンをつけている意味を解っているようで解っていなかった。本当に申し訳なかった。」
頭を下げながら言われた。
そう言われても、重なってしまうのは確かで。
絶対的に大丈夫だと思っていた相手にされたことは裏切りに等しく、精神的にも不安定な僕にとって良い毒でしかなかった。
生まれて初めて、『裏切り」を体験した。
「(…だから、?だからなんだ。謝るのなんて謝る側のエゴじゃないか。僕に許せと言っているようなものでしょうそれは。選択肢無くされている状態だけど何を言えばいいの。)」
黙りこくる僕の手を握りながら、母は「ありがとう」と僕に言って、「それではまた学校で。今日は帰りますね。」と後にした。
母は帰りの車の中で何度も言った。
「うるさいかもしれないけど聞いてね。顧問の先生は、あなたが思っているようなことをしたいと思ってしたんじゃない。絶対違うからね。海月にしたことは物凄く酷いことだし、あり得ないことだよ。けど、絶対にそこは違うから。一緒にしちゃいけないからね。」
ひたすら母はそう言って僕に聴かせた。

それから学校が始まって、朝練ができるようになった。
春休み明け直後から、朝練をチームメイトとしに行くようになっていつも通り部室に行った。
台の前に立って練習を始めようとした。

できない。

脚も、腕も、どう動かしていたのか、今までしてきたことが白紙になってしまった。

なんで。

いつも通りやっているはずなのに。
また言われてしまう、早く動かなきゃ。

こわい。

卓球ができなくなった。

部活をサボるようになって、早く帰るようになった。

母は気がついているけれど、僕に特に聞くこともなくいつも通りだ。

もう卓球をすることが怖い。
やりたくない。
見たくない。

怖い。


いつの間にか、毎日肌身離さずもっていたラケットもシューズも何もかも家の自室に置いてけぼり。
触るのも見るのも嫌になった。
放課後は、部活に行かず教室でスクールバスの時間まで暇つぶし。
たまたま同じクラスの子が居残りしてるときは一緒に勉強したり、話したりして過ごした。
これでも真面目ちゃん装ってたから、部活をさぼる行為が学校をさぼっているような感覚でドキドキしながら過ごしていたんだよねぇ。
相変わらず母は、特に何にも言わずに過ごしてくれる。
僕の行動に意味があるってことを信じて。
その様子を見ながら行動している僕は嫌な奴。
まぁそんなこと気にしている余裕ないから、強行突破。
そんな毎日を二週間ほど続いたある週末、予想外の人物が自宅に訪ねてきた。
母は事前に連絡をもらっていたらしいけど、あえて僕には知らせていなかったらしい。
なんでって、僕は、今、この瞬間に初めて知ったんだから。
顧問の先生が自宅に来るなんて。
すかさず母を見る。
(僕)「(なんで…?!聞いてないんだけど?)」
そう心の中で思いながら目で訴えた。
(母)「事前に言ってたら、貴方は自室に引き籠るか合わないように時間ずらしたりなんとかしようとしたでしょう。だから言わなかったの。ほら、ちゃんと話しなさい。貴方の言葉で。母は、貴方に卓球は必要だと思う。先生、良かったらこちらの部屋にどうぞ。あがってください。」
(顧)「ありがとうございます、お邪魔します。あ、これ、みんなで食べてください。」


(僕)「…。」
(顧)「…ごめんな突然来て。海月とちゃんと話をしたくてな。それから、これ、良かったら。選手の言葉がたくさん書いてあるんだ。時間あるときに読んでくれ。」
(母)「あら、それはなんですか?卓球の雑誌ですかね?良かったじゃない。」
(僕)「…ありがとうございます。」
(顧)「今日は海月の話し聞きに来たんだ。ゆっくりでいい。俺に対して、嫌だと思ったこと、ウザいでも嫌いでも、何でもいいんだ。今思ってること教えてほしい。」
(母)「そうだよー、海月のことは海月の言葉でしか伝えられないんだからちゃんと言葉にしなさい。文じゃなくていいの。単語でもいいの。なんでも大丈夫だよ。」
(僕)「…。」
   「(何を話せばいいのかわからない。何を言ったらどう伝わるのかもわからない。話すことに意味なんてあるのかな。)」
そんなことを考えながら沈黙が10分ほど続いた。
それでも、二人は某が話すまで待っててくれている。
意を決して口を開いた。
(僕)「何を…話したらいいのか…わからない。」
(顧)「うん。」
(僕)「…。」
(顧)「…海月は、卓球が嫌いになったか?って直球すぎるよな。俺の気持ちから改めて伝えさせてもらってもいいか?」
(僕)コク
(顧)「この間の試合で俺がしてしまったこと、本当に申し訳なかった。どんなに思いがあっても、今の海月にはしてはいけないことだった。俺はあの時、海月に強くなってほしい気持ちが先行しすぎたんだ。」


そうして1時間ほど話をして、なんとかお互いの今伝えられることは伝えられた状態になった。
(顧)「明日からのぶかつはどうする?海月。まだ厳しかったら、無理はしなくていいが…。来たくなったら来いよ。いつでも待ってるから。相棒たちも首を長くしてソワソワしてるぞ。」
(僕)「はい…。」
(母)「先生、ありがとうございました。またよろしくお願いします。」
(顧)「すみません、ありがとうございました。また学校で。それっでは失礼します。」

(母)「よく頑張りました。ちゃんと言えたね。えらいえらい。どうする?明日から部活。先生も無理はせずって言ってたから、行きたいと思うなら行ってみてもいいくらいで、気楽に考えなね。一番エネルギーになるのは相棒ちゃんが待ってるってことかな?(ニコ)」
(僕)「今は行きたいけど、怖いまま何もできないってなるのが怖いから…悩む。」
(母)「そうねー、まあ、思いつめずに明日の朝行きたいと思ったら用具一式持っていけばいいんじゃない?」
(僕)「…そう、だね。そうする。」

次の日の朝。
やっぱり僕には卓球がないとだめみたい。
スポーツ選手みたいにガツガツしたいわけじゃないけど、趣味の範囲内で、楽しめる技術がほしい。
強い人と渡り合える楽しさを求めるなら、それ相応の技術と体力、知識は必要不可欠だから。
僕の人生を楽しくするための一つである卓球は、手放しちゃいけない気がしたから。
まだまだ何もできないひよっこだけど、これからたくさん身に着けたい。
そしたらこんな時間も勿体ない。
行動の時間にするしかない。
卓球だけは僕の味方が絶対いる。
卓球だけはいつまでも僕の味方だ。

そんなことを想っていたら、行きたい欲求が勝った朝の数分間。
いつものようにミカサのバッグにシューズとラケットをセットにしていれる。
少しばかり荷物が重くなる感覚が、安心感に似ていることに安堵した。

部活にまた行けるようになった。
当たり前だけど、2週間も休めば全く打てないし、感覚なんてわからい。
楽しい、面白い、次はどうしようかな、どうなるかな。
その感情たちだけが僕がここにいるための理由にするには十二分だ。
ここは僕の安全基地だと感じたんだ。

そこから、春休み中は部活にも復活して試合で少しずつ負け癖もなくなってきて、楽しめる種類が増えた。
その勢いを使って、四者面談(めっちゃ嫌だったけど)、新年度が始まった。
四者面談については前半に話した通りだよ。
ますます行くのが嫌になったけど、春休みという充電期間を得たし、エネルギー的にもいけるのでは?と錯覚すら起こし始めていた。

そして、中学三年生4月。
春休みが終わり、進級という区切りをもって、イヤホンをした状態で改めて教室に通ってみるということに前向きな気持ちでチャレンジが始まった。
もちろん不安もあるし、周りの視線だった気になる。
何せ、周りは校則上持ってきてはいけないイヤホンを真面目ちゃんのイメージを持つ僕が身に着けているのだから好奇の目を向けるには十分な理由だった。
この時の僕は「(気になるなら聞けばいいじゃないか。好奇の目を向けられるほど居心地の悪さが増すばかりなんだが…。)」と腹を立てていた。
自分らがされて嫌なこと、違和感があることをするもんだからさ。
困ったね。
昇降口前に張り出されているクラス表で自分の名前を確認して、教室に行く。
ガヤガヤ、ざわざわ、ヒソヒソ。
ああ、嫌な空気だ。
うっとうしく感じながらも、本を読みながらその時間をやり過ごした。
朝の会が始まって、担任から僕についての話がされた。
担任から、僕が何人もの質問に都度応えるのは大変だろうから俺が話しても良いだろうか?と事前に申告があった。
話して良いこと、話さなくても良いこと、それぞれ打ち合わせをして今に至る。
そして、イヤホンのこと、僕の耳の状態もあるため出る教科と出ない教科があるということも伝えてくれた。
まぁ話しても、ぽかんとして情報だけ入るのがこの歳の限界だろうと思いつつも、情報だけでも入れば少しはマシだ。
このワンクッションのおかげで、無駄な質問もなく幾分か快適に過ごせているように感じた。
相変わらず授業の内容は、入ったり入らなかったり。
そんな4月を過ごしながら、このまま、自分のペースで行けるんじゃないかと希望が見え始めた矢先に起こった。

順調とは言えなくとも、集団の中に自ら参加できるという状況が積み重なり始めていた5月。
少しずつ、だんだんと違和感を覚え始める。
僕に対して、英語担当の先生からのアタリが段々と強くなっていっている。
授業の内容が解らなくて聞きに行っても、「忙しいからあとで」「今は無理かな」。
付箋に書いて提出物にマークしても、メモを一緒にその部分に残しても、何をしても何も返ってこない。
返ってくるのは評価のみ。
直接職員室に聞きに行ったこともあったけど、嫌な顔一つされ、面倒くさそうにされる。
「こんなこともわからないのか」「なんでこんなことを質問してくるんだ」そう言われているようだった。
次第に、聞きに行くのが億劫になってしまった。
ちなみに、こいつは去年の学年主任で引き続き今年の学年主任もしてる。
そんな違和感を感じ始めたころから、僕は英語の授業を受けたくなくて英語は休むことが多くなった。
というかほぼ全部。
こいつはほかの教科の先生に比べて特に雰囲気が酷かった。
声も顔も見るのが怖くなって嫌になった。
納得する答えを渡さないと僕をみてくれない、人として見てくれない、そんな目を持つ人だった。
僕は、メモに欠席することを書いて授業が始まる前に後ろの席の幼馴染に教科担任に渡すようお願いして別室に行くようになった。
そんなことを何度か繰り返して一週間が過ぎようとしたある日だった。
いつものように別室に行き、過ごす準備をしていた時だった。
ドタドタドタ!!ドンドンバン!!!ドスドスドス!!!
ものすごい勢いと騒音でそいつは入ってきた。
「なんで自分で言いに来ない?!自分のことだろう!!?自分のこともまともにできないのか!!そんなんだから…二度とするなよ!!」
僕の中は真っ白。
「(こいつは何を言って…というか何をしているんだ?この場所の意味を分かっているのか?他の先生だって、別室を利用している生徒だっている…まさか、自分の感情任せで周りが見えていないなんてことある?)」
そう、ここは別室、セミナールーム。
担当の先生と、棒の同級生と一個下の後輩が一人いる。
そして、ここでは静かに過ごして心が落ち着くようにと、好きなことをして心が和らぐようにと、そんな目的でつくられた場所だ。
それとは反した行動と言動。
理解が追い付かない。
かくも、学校の先生であり、一応学年主任をしているらしい人がだ。
言ってしまえば、僕に対しての言動よりもそいつ自身の言動が恐ろしかった。
どいう意味かというと、進級前に四者面談をして、その場で対策と方法・対応の仕方等、様々なことを一時間近くかけて話したのにもかかわらず、この行動を起こした生き物が解らず怖かったということ。
ありがたいことに証言者がその場に複数人いたから、事実としては十分主張できるのでそこはクリア。
でも、順調に学校に足を踏み入れることができていた僕の気持ちは折れてしまい僕は学校を休んだ。
二度と教室にはいかない。
戻りたくない。

休みを一週間ほど経て、学校には別室登校のみで行くことにはなった。
教室に入らずに別室直で登校とするということになった。
でも、学校の敷地すら入りたくなかった。
すぐに登校ができる状態に持っていくことが難しい。
母もいかなくて良いと言ってくれてる、でも、相棒が待ってくれている、会いたいと思っている。
葛藤が渦巻く中で僕の気持ちはなかなか整理されなかった。

この事態をやんわりとなのか、はっきりとなのかは定かではないけれど、セミナーの先生が僕の担任に話をしてくれていたみたい。
自宅に電話がかかってきて、父が出てくれた。
登校扱いにするために学校の敷地に来てほしいと言われたそうだ。
担任は「後者に入らなくてもいい。車で来て、駐車場で俺とあいさつを交わしたらまた明日で、登校にしよう。学校の敷地内に来てくれるだけでいい。」
僕はそれをしぶしぶ承諾した。
無理はせず来れるならのスタンスで良いとも言ってくれていたらしい。

ってここまでだらだら書いてるけど、折角だし色々書きたくて日をまたいでるから時系列無視してほしい…読み手にはきついお願いだけど、よろしく!
じゃぁ続き書くね。

父の協力を経て、学校の敷地に入って帰るという作業を積み重ねた。
毎朝07:30に家を出て、学校に僕を送って車から担任の先生に挨拶をして、明日はこんなことをする、こんな予定だ、等々ちょっとした話をして、また挨拶をして家に帰るため父が僕を送り届ける。
それから父は仕事に向かう。
ほぼ毎日こんな感じで父は僕と朝、自宅と学校を往復してくれた。
父を尊敬し、毎朝学校の駐車場で待っていてくれた担任の先生に感謝。

生活リズムが何となくできてきて、学校の敷地に入ることにも慣れ始めた。
あれから一か月くらい経ったかな。
徐々に、ゆっくりとだけど、別室登校を再開することにした。
再開したとはいえ、給食を食べる前に帰ることもあれば、食べてから帰ることもあった。
長く居られた時は、午後までいて、生徒が変える前に町民バスで帰宅した。
少しずつだけど積み重ねて、自分のペースで過ごすことができるようになった。
ある程度過ごせるようになった頃には、セミナールームの同級生で幼馴染とセミナーの先生と色々話をするようになって、そこで絵のお師匠にも出逢えた。
同級生の幼馴染は、幼稚園からの付き合いで僕らの弟同士も同級生で母親同士も仲が良い。
セミナーの先生はちょっと抜けているところがあって、天然で、物凄くユーモアのある方。
例で挙げるとしたら…、ある時漢字の部首について辞書で調べていた時のことにしようかな。
僕ら二人は「くさかんむり」の名前で合っているかいるのか確認をしたくて、漢字辞典を開いた。
遅れて参加してきた先生が、「これなんだっけかなぁー」とか言いながら一人調べているのを見て、僕ら二人は「くさかんむりだってばー」って。
でも、探すのに一生懸命になってて届かないみたいでさ。
んで、見つけた途端に「ほら!くそかんむり!!!!」ってバカデカボイスで言うから一秒後には二人で大爆笑。
人の話し聞いてないし、言い間違えるし、声でかいし、全部ツボ過ぎて笑い止まらなかったよね。
セミナールームに響くんだもん。
笑うしかないよねぇ。
それ以来、くさかんむり見ると思い出しちゃう僕らで…。
これは一生言い続けそう。
そんな三人で過ごす2か月ほど経った頃。
僕の後に一個下の後輩ちゃんがセミナールームに入ってきた。
この子が僕に絵の表現の仕方を教えてくれた、お師匠さん。
色々な画材を教えてくれたり、実際にくれたり。
どんなに下手な絵でも、技術がなくても、否定はせずに一緒に楽しんでくれる素敵なお師匠さん。
どっちが上なんだろうって勘違いしそうになるほど、感情表現の引き出しが僕以上にある気がして感心が尽きないよねぇ。
お師匠さんに出逢えたことが僕の中の表現の仕方を広げてくれた。
元々、こうして文字での表現をしたり残すことは好きだったけど、絵での表現はまだしたことがなかった。
方法が解らなくて。
でも色は好きだったから興味はあったしいつかしてみたいなとは思っていたから、きっかけがもらえてすごく嬉しい。
奇跡と言って良いくらい素敵な出逢いなんだ。

最近はみんなで過ごすことが多くて、箱のように感じる学校の中は嫌でもセミナーに行けば世界が少し違ったように見えて楽しいと思えるんだ。
ここだけは、このままでいてほしいと願う。
こうやって、エネルギーが溜められて使っていることがわかるようになって自分自身驚きを感じてる。
未だに偏頭痛はひどいし、給食も食べられずに過ごすことだってあるし、午前中ずっと気絶の日だってある。
音がうるさくて、頭に響いて気持ち悪いこともある。
でも、今は、前よりも自分で動いて自分の気持ちを僕自身が聞けている実感が少しある。
だから、少し、ほんの少し幸せを感じられている。
心の奥底に色々浮かんでくるモノたちもあるけれど、それとは別のものもちゃんと浮かんできてる。
この時間がずっと続いてほしいと思えるくらいには。

わぁ、かなり久しぶりに記録。
なんで開いたかって言うと、卒業間近なんだよねぇ。
んぁ~、卒業自体はとってもとっても嬉しいんだけど、それに参加するかしないか問題勃発してまして…。
それについても残しておこうかなと思って、ここに書いているんだよね。
っとその前に…、一個事件あったのでそれの記録が先かな。

えっと、あのくそみたいな学年主任と担任の先生から誰もいない時間にプリントとか自分のものとか取りに行ってみないかって催促が来た。
卒業式練習で3年生が全員いない時に行けば鉢合わせることないからいいのではとなって。
その話を、母にしたら一緒に登校してそのままいっしょにすごして取りに行ってくれることになったんだけど…。
これはもうひどい状態でさ。
家に帰ってきてからは母抑えていた怒りをゆっくり吐き出したくらいには、ふつふつしていたみたい。
金曜日の4限目、卒式練習でガラガラになった教室に学年主任と、僕の担任の先生と僕の母、僕と幼馴染、5人で順番に教室に行った。
最初に僕の教室から行った。
目をやってすぐに理解した。
僕の居場所はここにはない。
僕の場所だったはずのロッカーには誰のかもわからないものがたくさん入っていて、僕の私物は見えなくなっていた。
机の中には、明らかに僕宛ではないプリント用紙やらゴミが入っていた。
(学)「あーあー。だめだね、人のところにこうして入れちゃって。」
(僕)「(…は?…嘘でも来る前に片付けておくとかしないわけ?)」
   「(僕の場所ないじゃん、そりゃ別室メインだし使ってなきゃ、そりゃみんな好きに使うよね。けどさ、存在してないみたいな扱い…これは堪えるなぁ…。来るんじゃなかった。)」
(母)「…なにもないですかね、次行きましょうか」
そう言いながら手をつないでくれた母。
そのあとは記憶がなくて、書けないのごめん。
結構ショックだった。
友人だと思っていた子も、仲がいいと思っていた子も、そう思っていたのは僕だけだったんだって突き付けられたみたいで。
僕が自分を顧みずにしたこと、積み重ねてきたことってあるようでなかったんだなって思ったよね。
帰宅してからは母一言、もうクラスには戻らなくていい卒業まで別室で楽しく気ままに海月自身が大切にしたいことを重視して残り過ごしなさいと。

こんなところかな。
半年かからずにこうなったことにびっくりしたけど、戻る理由がなくなって清々したかな。
で、次に伝えたいことは卒式問題ね。
んじゃ下に書いていくよぉ。

本格的な卒業式の話が出たのは、式がある2か月前くらい。
話自体は、半年以上前からは出ていたけど僕というか、僕らは早くこの学校から脱出したいだけであって、卒業云々に関してはどうでも良かった。
こちらからしてみれば、学校側の都合でしかない催促にしか過ぎなかったからね。
とはいえ、こんな間近になれば話はしなくちゃいけないわけで。
早速セミナーの先生からも話題が振られる。
まぁ僕らはずっと「出る意味がない」「出なくてもいいじゃん」の拒否一択だったから、答えが反転することは考えにはなかった。
(セ)「ねぇ、君たち~、本当に出ないのかい?出た方がいいと思うんだけど、先生は。もちろん出たくない理由はちゃんと伝わってるし、私だって嫌よぉ。けどね、後に貴方たちが悔やむことにはならないと思うのよ。寧ろ自信にしかならないはず。」
(僕)「先生だって知ってるでしょー?あの嫌な校長と学年主任だよ?この嫌いな箱から出るのに、嫌いな奴らから受けとらなくちゃいけないとか意味わからないんだけど。」
(幼)「それね。一番そこがネックだよね。別にもらわなくても自動的に卒業しなきゃいけないのが義務教育期間だし?」
(僕・幼)「「ねー?」」
(セ)「そうだけどねぇ。私も嫌よ?今だってパンチパンチよ!」
(僕)「何パンチパンチって(笑)」
(幼)「先生倒されちゃいそう、あーれーって言って(笑)」
(セ)「いざとなったらこの拳が…じゃなくて。もう一度ちゃんと考えてごらんなさいな。反抗することだけが反攻になるわけじゃないのよ。相手を掌で転がすことも覚えないとね♪」
僕ら二人は先生が言わんとしていることが何となくわかるからこそ、自分自身との感情に折り合いをつけることに少し時間がかかりそう…。


んで、2週間後くらいに久々に僕の母が一緒に別室に登校だったんだけどその時にも母から卒業式について突っ込まれた。
もちろんその場には幼馴染もいたから一緒に話を聞いた。
(母)「卒業式でないの?」
(僕)「めちゃくちゃ直球だね?!」
(母)「もったいぶって勘ぐっても意味ないでしょ。どうしたいの?」
(僕)「出たくないよ。この間も先生と幼馴染と話したけど、嫌な奴らから受け取るなんて嫌だもの。しかも、体育館の反響すごいしハウリング怖いし、ヘッドホンとかイヤホンとかそのままして出るの許してもらえるかもわからないし。疲れるし面倒くさい。」
(母)「確かにね。私も嫌だねそれは。ねぇ、先生?」
(セ)「ねー、いやですよねぇ。パンチパンチですよ。」
(幼)「出た、最近の先生のパンチパンチ。」
(母)「幼馴染君はどうしたいとかあるの?」
(幼)「…んー、できれば出たくないですねぇ~。実際出なくてもいいかもみたいな話出てますし。」
(セ)「そうそう、それにね、卒業式でなくても結果的には受け取らないといけないのよ、あの二人からは。」
(僕・幼)「「え」」
(セ)「体育館で受け取るか、校長室で先生方に見守られながら至近距離で受け取るのか、この二択ねえ~。私としては、一瞬で終わる体育館がいいのかなっとか思うけど、その判断は君たちに任せるわよ。」
(僕)「え、まって、見守られながらって何?受け取らないで後から取りに来るだけじゃダメなの??」
(幼)「いや、そこね?周りに先生方って、学年全員の先生がいるってこと??それこそ無理すぎじゃない??」
(セ)「だから言ってるじゃない。この間も言ったけど、反攻の仕方を間違えちゃだめよ?♪まぁ、君たち二人次第って事よ。」
(母)「あら、先生素敵~。反抗と反攻ですねぇ?」
この時まで、僕には「反抗」と「反攻」の違い…というか、二つも意味があるなんて知らなかったから、ひらがなでしか変換できなかったけどそのあと大人二人して盛り上がるから謎すぎて調べたら、納得。
これは、考えようによっては僕らの方がいい想い出来るのではと。
ただ、向こうのシナリオ通りに沿いつつも実はこっちでしたみたいな感じにするにはどうするかなぁって考え中。
向こうの意向的には、卒業式に全員が出ることが最優先順位らしいからそこは崩さずって感じになるかな…。

少し空いて、結論。
卒業式出ます。
あのあと、僕なりに考えて、卒業式には出るけどヘッドホンをした状態でというのを条件に交渉した。
黒色のヘッドホンで、イヤホン(カナル型)をした上から装着するという感じ。
どうやって交渉したかというと、僕が校長に直談判。

実際にヘッドホンを持って行っていたから、それをもって校長室に直接乗り込もうとしたら、セミナーの先生に止められちゃったから、セミナー室で交渉になったんだけど…。
自分のことだし、セミナー室にあんなやつ入れる方が嫌だって思ったから直接行こうとしたんだよね。
けど、いいからおとなしく待ってなさいって諌められちゃったから。
あんな真剣な顔して言われちゃったら従うしかないよね。
で、あの校長が来たわけ。
一度もセミナーに来たことも、様子をうかがったこともない校長がさ。
靴をちゃんと脱いで、入ってきたわけ。
(校)「どれのことなんだ?」
(僕)「(主語無し、挨拶なしか。)…これです。」
(校)「黒色だし、派手じゃないし良いんじゃないかな。いいよ。」
(僕)「(まじか。今までのあの敵意むき出しのいちゃもんつけま栗どうした??こわ。)…ありがとうございます。」
(セ)「わー!よかったねぇ!校長先生わざわざこちらまで来ていただいてありがとうございます。許可も出していただいて。よかったね、海月さん、これで卒業式出られるね。すみませんお忙しいときに、ありがとうございました。」
そう言いながら、校長と廊下に行って、終わった。
(僕)「先生すごいね、あんなに言えるなんて。僕は無理だったよ。」
(幼)「ね。スラスラ言ってて。」
(セ)「お茶の子さいさいよー。海月ちゃんが一人で頑張ろうとしたけど、私は見逃さないわよ。こうして、校長がこっちに出向くっていう風に動かした海月ちゃんすごいことよ。私もびっくりしちゃった。ワンクッションのために一言伝えるために行ったわけ。そうしたら、校長室に海月ちゃんと一緒にもう一度来ますねって言ったら俺がそっちに行きますって。モーびっくりしちゃったわ。」
(僕)「え、そうなの?!てっきり先生が言ったから来たのかと思った。」
(セ)「違うわよぉ。だから私もびっくりしてるの。一回も来たことないのにね。」
とまぁ、こんな感じで予想外のことが起こりつつ、なんとか参加を受け入れて自分を通した感じにはできたわけで。
これで向こうの意向に沿う形にしつつ、僕自身の現状を崩さずできたのでまずます…。

で、これを機に僕と一緒に幼馴染も参加と。
とはいえ、耳がこうなってから僕は体育館に入っていない。
なので、卒業式までの残りの一か月ちょい体育館を少し出入りしてみることになった。
どの学年も使っていない時間を狙って、ガラガラの体育館に入ってみる。
体育館には町立が物凄いことになっているグランドピアノがあって、僕と幼馴染はそのピアノで遊びつつ、誰もいない体育館を満喫した。
そして、卒業式の日の流れを事前に先生が教えてもらっていたこともあって、なんとなくで模擬的にしてみたりもした。
壇上に登場するタイミング、証書のもらい方、捌け方、順を追ってやってみた。
この時僕の担任の先生も一緒にやってくれた。
時間割に担当科目がない時間に。
一回さらって、なんとなくのイメージをつけて終わった。
担任の先生は、きっちりやることはない、証書受け取ればいいんだと軽く言ってくれている。
僕らの受け取り方として、結構部分的で、証書授与の部分だけ参加ということになった。
ルートは
①体育館の入り口から、ステージ裏の半地下通路を通り、ステージ向かって左側の袖の方に待機する。
②名前を呼ばれたら返事をして、袖から列に入り込む。
 この時、出席番号前後の人が自分たちの分空けて列になっているらしいのでそこに入り込む感じ。
③授与まではみんな知ってる通りに動くだけ。
④受け取った後は、壇上から降りるのではなくそのままステージに向かって右の袖に捌ける。
⑤袖に捌けるとそのまま体育館入り口前に繋がる階段があるのでそのまま戻るだけ。
こんな感じの流れになったよ。
セミナー組はこんな感じで、動いて一緒にセミナールームに戻る。
そんで卒業式に参加したってことになる。
悪くはないのではと思いつつ、未だに出るの嫌だなあって渋ってるけどみんな一緒だから心強い。
傷のなめ合いをするための仲間って事じゃなくて、卒業式に出て周りに僕等がいたよって事と出てやったぞって言う顔をするための仲間みたいな、同盟みたいな、そんな雰囲気で少し心地が良い。
実際、卒業式なんて人が大勢いて、何がなくても緊張する人はするし、いつもと雰囲気が違うから圧迫感すら感じる。
それを感じつつも、避けてきた人前に自分自身が異質だと思ってしまう状態で、一瞬でも一人で立たなくてはいけない。
物凄く勇気がいることだ。
本来なら、異質なんて感じずに、在ることが自然であり自分たちなんだと主張できるはずの場所であると考える。
それが砕けてしまった中で、少しばかり耐える。
これが達成できたのなら、僕らは相当な経験値を手に入れるんじゃないかと思うんだ。
だから頑張って出てこようと思う。
物凄く嫌な相手から、一瞬でも共有したくないほどに嫌な時間を、皮を被って穏便に、尚且つ、後ろ髪惹かれることがないようにマイナスな感情を置いてくるために。
卒業式が終わったらまたここに書きに来るから待っていて。
ちゃんと書くから。

無事に卒業式終わり。
ん、今日卒業してきた。
前に話した通りに参加したよ。
これが思い出になったことがあってさ。
証書授与参加したあと、全員体育館入り口に集合した瞬間にセミナールームまでガンダで帰還(笑)
皆で、セミナールームまでの渡り廊下と校舎を猛ダッシュで駆けて行って戻ったんだ(笑)
これ多分一生の思い出になる。
皆で大笑いしちゃった。
考えてる子と一緒だったって、戻った後の先生たちの顔…今思い出しても笑っちゃう。
誰もいない校舎を颯爽と駆けて卒業なんて、絶対ほかの人できないよね。
終わった後、僕らの両親がセミナールームに集合。
感動の涙流したり、笑ったり幸せ空間だよ。
卒業式までに、色々準備はあったんだよね。
親に対してのサプライズ的な。
本来クラスで卒業式後に執り行われることを、セミナーでもしようってことになって、親宛に手紙を書くことになった。
思ったことそのまま書いたんだ。
主語を「僕」にしたこと、今までのことに対しての「ごめんね」と「ありがとう」をたくさん込めた。
母は、それを読みながらめちゃめちゃ泣いてた。
「お母さんこそありがとう、頑張ったね」って。
僕も泣きそうになった。
なったんだよ。
横からセミナーの先生が涙搔っ攫ってったよね。
母以上に号泣してて笑うしかなかった。
ちなみに、幼馴染の方も、先生の号泣で涙消えた(笑)
最後は卒式限定で携帯所持オッケーになってたからみんなでそれぞれ写真撮ったり、連絡先交換したり、ワイワイ過ごして一時間くらい。
色々話して、下校した。

結局終わりよければってこのことだよね。
学校自体はめちゃくちゃ嫌だったしずっと深海の中みたいで息苦しかったけど、最後は今までで一番笑えた気がする。
文章構成的にかなり終わってるんだけど、まぁ、一種の記録的なもんだしいっか。
読み返したらかなり読みづらいだろうなとは思うけど。
これから先のこと、気が向いたら書くことにするよ。

そうそう、ちゃんと高校進学もしたしね。
もちろん自分で選んだ場所だよ。
言われたからとか、妥協したからここにしたんじゃない。
自分で行くことを決めて自分から踏み出した。
これって自分のことまだ諦めていないって証拠になるよね。
しっかり残しておいてるからね。

まだ人は怖いし、音も怖いし、自分じゃどうしていいかわからないこといっぱいあるけど、節目を終えて、自分で歩みたいエネルギーが溜まり始めてるから何とかなるんじゃないかなってそう感じてる。
きっとなんとかなる。
だってこの三年間生き抜いた。
母に感謝だよ。
ありがとう。

これ読んでくれた君ありがとね。
ものすごく乱文でかなり読みづらいしダラダラしてたと思うけど、ここまで一緒に来てくれたの嬉しいよ。

また何かの縁が結ばれたときよろしく。
自分を絶対に諦めないでね。
またね。

P.S.掃き溜めみたいに書いてしまってごめんね。ほんとうにありがとう。

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