あさひ市で暮らそう19 御浜下り
二日目は薄曇りであった。時々日差しも現れ、十月にも関わらず、じっとりと汗をかくくらいである。朝九時過ぎには飯岡ユートピアセンターに集合した関係者たちはその準備に勤しんでいた。
発輿祭の時間には水萌里は会場に到着していた。威厳がありながらも優美な神輿に息を呑み、遠くから一礼を捧げる。
玉串奉納や祝詞奉上などをへて、名呼びにより神幸行列が整えられると、総勢二百五十人ほどの大行列となった。
「せぇの!」「よっさぁ!」
掛け声で一気に担ぎ挙げられた神輿は揺れて光を反射しキラキラと輝く。
「今回は番所も減っちまったって聞いてっから心配だったぁけど、最後に見れてよかったなぁ」
前々回は十一箇所であった番所が随分と少なくなったことは知られている。
「もう、おばあちゃんったら何言ってるのよ。次も見に来ようね。ほら、お殿様の子が可愛いよ。浜へ行こう」
家族らしい二人の会話に水萌里は耳をそばだて、孫娘らしい子が優しく手を引いて歩いていく背中を見送る。
『やっぱり伝統を残すって大変なんだわ。特に東日本大震災で途切れたところもあるだろうから、二十四年ぶりだもの。受け継いでいる方々に敬服するわ』
行列の背中に深々と一礼するとその喧騒に紛れるように足早に追った。
「よっさ!」「「「うっりゃ」」」
時折、神輿の先頭で導き役が声を掛ければ担ぎ手たちはそれに呼応して神輿を大きく揺らす。
軽快なお囃子と煌めく神輿が踊る姿に沿道の多くの観客はこの祭事を記録に残そうとカメラを向けている。
公道から砂浜へ行く入口には大きな大漁旗がいくつも飾られていた。豊年、大漁、安産、開運、出世、縁結びの神として信仰されている所以である。
そこを抜けて砂浜に設けられた仮設祭場にゆっくりと神輿を置くと、祭事が執り行われ、御浜下りへと続く。
御浜下りは長岡区原宿区のここまでの担ぎ手から飯岡三川区の担ぎ手へと交代される。御浜下りには体力もパワーも必要なため他市からも応援の担ぎ手が来ていた。殊更大きなお囃子になると勢いよく担ぎ出される。
「「「えんやっ」」」「「「おっさ」」」
神輿ならではの蛇行を繰り返しながら波打ち際へと向かいそこから一気に海へとなだれ込んだ。そして威勢よく波に挑んでいくと大きな歓声が砂浜から上がった。水しぶきを上げながらずんずんと沖へと進む。
『そんなに行かなくてもいいんじゃないかしら? 波は勢いがすごいのよ』
ハラハラして見守る水萌里は手を前で合わせて担ぎ手たちの無事を神に祈った。
砂浜では担ぎ手を鼓舞する太鼓や笛がこれまた元気に鳴り響く。
膝下までの入水だと聞いていた水萌里が見たものは肩口まですっぽりと入る姿で、瞬きも忘れて見入った。肩口まで入ると波が来れば頭まで被る。
『海の大神さまああああ! そんなに遊ばないでぇ』
先程まで大変に穏やかだったはずの波が少しばかり大きくなってきたのを見た水萌里が願うもそれがおさまることはない。
『声は聞こえないけど、きっと彼らが楽しんでいることが大神様に伝わっているのね。でも、見ている方は気が気ではないわ』
「「「「ああ!」」」」「「あぶない!」」
担ぎ手が波に弄ばれたようで神輿が大きく片方に揺らぐと、砂浜にいた観客たちからも心配の声が上がるがすぐに体勢は立ち直った。
それから三十分もの間、神輿は海で踊り続けた。
その頃田中家では和室の神棚の前で二人が座禅を組んでいた。真守は時々隣に浮遊感を感じては髪が黒から群青色に変化している洋太の膝に手を当ててそっと下ろす。神々への信仰心が高まるとそれを受ける洋太の力が高まるので、洋太はそれを天照大御神様に贈りお力にしていただき力の暴走を抑えていく。暴走といっても洋太の姿が戻り人間ではないことができるようになるだけなのだ。洋太は人間の姿でいるために時々行っていることなので難なくやっているが、この日は家を出るわけにはいかないくらいに人々から力をもらっていた。
「俺はまだ旭市の人間として暮らしたいからこの姿は見せられないものな。オヤジ。ありがとな」
いきなり廉直な面持ちで言われた真守は涙をゴクリと飲み込んだ。
神輿が砂浜に上がりウマにのせられると三三七拍子の手打ちで締められた。そして、お囃子とともに仮説祭場に戻ってきた神輿を見届けると水萌里は砂浜を後にした。
祭りはまだ続き、戻り番所で祭事を執り行いながら松澤熊野神社に戻るのは日も暮れて三日月が迎えてくれた頃である。
そして翌日は祝日のため漁が休みであることを見計らったように恵みの雨が旭市に降り注いだ。
「さすが大神様のご分霊様方だ。昨日の祭へのご褒美だな。やるなぁ」
洋太は大きな庇が付いた縁側からサンダルを履いて庭先に下り、その雨を全身で受け止めた。
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ご協力
松澤熊野神社様
神幸祭実行関係者の皆様
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