あさひ市で暮らそう18 12年に一度の祭事
干潟地区にある『松澤熊野神社』では卯年毎に『式年神幸祭』が執り行われる。令和五年が第九十回になるほど歴史ある祭典なので、千年以上続きていることになる。
紀国熊野の大神様の御分霊が三川浦(現三川地区)に降り立ち、お告げにより現在の松澤荘に奉斎された歴史があり、飯岡三川浜では雄壮華麗なお浜降り神事が斎行される。
前回は松澤熊野神社から飯岡三川浜までの神幸路において震災からの復興祈願祭を合わせた祭典となり、特に飯岡三川浜は多大な被災地であったためお浜降りは縮小して執り行わたのだが、その祭典に携わる人々の復興への祈りが心の支えと力になった。
十月上旬の日曜日、本番を次週に控え、準備の儀が執り行われた。
正午前後には神の降臨を祝うための大祭があり、他区からも神輿や囃子が参加し、老若男女問わず元気な姿を見せた。特に仮の関所を設け、次週に向けて芸能披露の予行練習は、観客を大いに湧かせた。
大祭を無事に完了し観客が帰ると、神輿のお清めの儀となる。玉串奉奠等を執り行うと一同は丁寧に神輿部分を拝殿から参道へと下ろし、担ぎ棒を括り付けると真紫の力綱を取り付けていって準備が整えられた。
祭事当日、微笑んだ三日月がまだ真上にある真っ暗な時間から松澤熊野神社には多くの氏子たちにはが集まりはじめた。
そして、上代宮司のもと発輿祭が神聖な空気の中重々しく執り行われる。その後、氏子たちによって拝殿から神輿が降ろされ木枠のウマに乗せられた。名呼びで行列が整えられていき、総勢二百人の神幸行列となると、天狗様を先頭グループに黒紋付き袴のグループや白袴のグループなどが続く。行列の中程になり、神が降り立った神輿を鯉口シャツに腹掛けと地下足袋の氏子たちが厳粛な気持ちを持って持ち上げた。その神輿は大変に神々しく、四方を朱色の鳥居に囲まれた胴部分の金色の輝きは夜明け前の暗さでも風格は隠しきれず、真紫の飾紐と紐房が角四方を飾り崇高なオーラを増長させている。
神幸行列は香取市志高区に向けて出御し、祭事行列がスタートする。神幸行列は各番所を周り祭事を執り行いながらゆっくりと飯岡三川浜まで進むのだ。お神輿が鳥居を過ぎるころには空が白み始めていた。
各番所での祭事は、その地域を治める殿様に通行許可を取るという意味がある。
肩衣に半袴の少年二人が緊張の面持ちで舞台に座り、脇には同様の服装をした者が座るとまるでドラマのワンシーンのようで皆の顔が綻び拍手でわく。
このような番所通行の口上を始めとした伝統芸能がお披露目されるのも見ものである。番所で待つ担ぎ手が加わると尚一層神輿は激しく踊り、高々と持ち上げられた際には見物人たちから拍手喝采が巻起こった。
こうして夕方暗くなり始めた頃、無事に神輿を三川浜近くに設けられた番所に届け一日目が終了した。
二日目には、飯岡ユートピアセンターから出立し、神輿を担いで海に入る『御浜下り』が執り行われることになっている。
数日前のこと、サーファーを含めた多くの人が三川浜の海岸に集まり、さらにはショベルカーやトラックなど重機もかり出され海岸沿いの清掃され、先月の大雨の際に流れ着いた竹などの漂流物が撤去されたため、きれいな砂浜があらわになっていた。
水萌里は旭市に初めて来たときに神聖な気持ちにさせてくれたかの大杉がある松澤熊野神社の祭典であるためとても気になっていた。だが、洋太を連れていくわけにはいかない。洋太の力はまだ小さいとはいえ、神が降りし祭事において互いにどのように作用しあうかは予想もつかないからだ。
「俺のことは気にするな。確かに何もないとは言い切れないから家で大人しくしているさ」
「俺が洋太と一緒にいるから大丈夫だ。俺たち分も大神様に祈りを捧げてきてくれよ」
快く送り出してくれた二人に感謝して水萌里は歩いて飯岡三川浜に向かった。多少距離はあるが発輿を松澤熊野神社からしてくる人々と比べれば大したことはない。行ってみればすごい人だかりと車の数で徒歩で来てよかったと実感した。
『さすがに十二年に一度の祭典だけあるわ』
逆に言えば、十二年に一度しか執り行われない行事をこうして引き継ぎ執り行うのだから、神への信仰心と生真面目さと地域への愛着を感じた水萌里は目に涙を溜め、そっとハンカチで拭った。
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松澤熊野神社様
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