【ノンフィクション】捜索願いを出された友人
私の友人が捜索願いを出されました。
その友人はとても感受性が強く、知識が豊富でした。歌を歌ったりもしていました。話したがりやな私でも、友人の話は面白く、話を聞くために『最近の調子はどう?』と電話をかけるほどでした。
その日、3ヶ月ぶりに電話をかけると「仕事をやめた」と。
実家を出て一人暮らしをしながら勤めていた会社でしたが、不満は以前から聞いていたので特に驚きもしませんでした。
「実家戻ったなら、また楽しい地元ライフじゃん、最高だね。」
と讃えました。
”やりたくないことをやらない”
その選択をした友人は素敵だと、素直にそう思いました。
すると友人が一言。
「俺、捜索願い出されたんだよね。」
理解するのにおよそ3秒かかりました。いや、ぶっちゃけ理解もできていなかったのですが、
「どういうこと?」
そう返事をするまで、そのくらいの間が空いていたと思います。
詳しく聞くと、仕事を休んだらもう行きたくなくなりバックれたらしいんです。要するに無断欠勤です。家に引きこもり、20時間布団の上で過ごして、食事はクッキーで済ませていたと言っていました。立派なクッキーモンスターです。
『さすがに日光を浴びないとやばいな』。そう思った友人は、途中下車の旅に出たそうです。貯金や手持ちのお金を使い、辿り着いたのは山梨だったと。その友人が住んでいたのは埼玉なので、まあ、そんな遠くには行っていないですね。
居酒屋で出会ったお客さんにホテルを教えてもらったりしながら、放浪をしていたんだそうです。『いま旅をしていて、ケータイの電源はつけたくないんですよね!』と、あながち間違っていない嘘をつきながら。
しかしお金っていうのは無くなります。お金が底をつき、『これじゃ帰れない』と思った友人はケータイの電源を入れます。そこには何十件もの着信。お母さんやお姉さん、友達からと、とにかくたくさん。
友人は母子家庭です。捜索願いは、会社から連絡が入ったお母さんが出したものでした。SNSもしていないのに友達からの着信がたくさんあったのは、お姉さんがみんなに連絡をしてくれたからです。
意を決してお母さんに電話をすると、『帰っておいで』と言ってくれたそうです。そこで友人の放浪と、捜索騒ぎは無事に終了しました。
「めっちゃネタじゃん。捜索願いは他力本願だからね。ひとりじゃ成し得ない。」
そう私は明るく言いました。きっと、馬鹿にしたような軽い口調でした。
「そうだな。」
そう言った友人の口調からは、感情が読み取れませんでした。
いまその友人は実家の仕事を手伝っています。でも今も考えるそうです。『人に迷惑をかけずに死ぬ方法』を。そして『そんなものはない』と知っています。
遊び方も、笑い方も、友達をどうやって大切にしていたのかも分からなくなってしまったと、乾いた笑い声をあげて言います。
私はその友人への接し方が分かりません。苦しさも分かりません。人の気持ちなんて分からなくて当たり前じゃないでしょうか。理解しようとも思いません。
ただ、死なないでほしいなとは思います。
死ぬ勇気が出そうな時は、私に連絡する勇気も一緒に出してほしいです。生きるのが辛いなら、辛くない場所を探します。あなたのことを絶対否定しないです。生きているのか死んでいるのか分からないまま、分からないことすら忘れる馬鹿なことを一緒にします。ひとりで海に行くなら、私もひとりで海に行きます。一人だけど、独りじゃないんです。
この『捜索願いを出された友人』の話はとても面白いと思いました。自叙伝は”ネタ”がなければ書けません。人生にトピックはたくさんあったほうがいい。そして、これは友人のために笑い飛ばそうと思いました。私が”ネタ”にします。友人がこれを”ネタ”にして、歌える日が来ると信じて。
あなたは何もやらかしてないです。あくまで人生の自叙伝を分厚くしただけです。これで6ページは持ちます。よくやった。
【追記】
ーーーあれから1年。
そんなやらかした友人が、とうとう曲をだしたぞ〜〜〜!!!
あの捜索願いは、無駄じゃなかった。と、思えるか思えないかは、この曲を聴いた後のあなた次第です。
でも、
「俺も超つらいから、クッキーモンスターになろっかな」って思えたら、
それは友人の願うことだったりするのかもしれません。
writing by 山口 宇海