note投稿企画「#心に残る上司の言葉」〜なぜキムタクは「マグロをやる!」と言い続けるのか?〜
本編「ゲゲゲの岡本さん」において、グランメゾンにおけるキムタクのセリフ、即ち尾花夏樹のセリフについて書く予定だったが、「注書き」にしてはさすがに長い、このままでは本編さながらの長さになってしまう。やはり、「注書き」はやめるか?と思ったが、「いや待てよ。これって一応、上司の言葉じゃね?」たしかに、尾花夏樹の決めゼリフのほとんどは部下に発せられたものであり、しかも、言われた部下にとって「#心に残る上司の言葉」に間違いなくなっている。それだけではない。視聴者にとっても「#心に残る上司の言葉」になっている。これは本編としても十分ものになる!てなわけで、「ゲゲゲの岡本さん」の(注1)を一つのエッセイとしてお届けすることにした。
ドラマは3年前のある事件を回想するシーンからスタートする。場所はフレンチの三つ星レストランが集結するフランスはパリ。そこパリの二つ星レストラン「エスコフィ」でシェフ(総料理長)を務めるキムタク演ずる尾花夏樹は、世界各国から集まった一流料理人を束ねて三つ星を目指している。そんな中、日仏首脳会議の昼食会場に「エスコフィ」が選ばれる。最高の檜舞台に尾花以下、精魂込めて料理を作るが、提供した料理に部下のミスでアレルギー物質が混入、仏代表が倒れる。尾花は全ての責任を自分で背負うために失踪する。しばらくして尾花は再び三つ星を目指そうと料理人への復帰を試みるが、そのときの事件のためにその門は固く閉ざされていた。(その後、尾花は日本に戻ることになるが、日本においても尾花は「日本の恥」とみなされ、表舞台での活動は許されなかった。)
そんなときにパリで鈴木京香演ずる早見倫子と出会う。倫子もずっと日本でミシュランの星を取ることを目指してフレンチを続けてきたが、なかなかその夢が果たせない。そして、同居していた母親が亡くなったのを機に、徹底的に修行をしようとパリへ向かう。しかし、結局、彼女の腕を買ってくれるレストランはなく、パリの街で途方に暮れていた。そんなとき尾花と出会う。
尾花は過去にエスコフィで自分が作った料理の素材、調理方法を言い当てる倫子の才能に驚いた。そして、「オレはもう二度と表に出ることはできない。お前を裏で支えるから一緒にやらないか?俺がお前に絶対に三つ星を取らせてやる」と約束。2人は東京でフレンチレストラン「グランメゾン東京」を立ち上げ、世界一の三つ星レストランを目指すことになる。
ドラマはそこから始まり、最終的には奇跡の三つ星をとることになるのだが、その間を彩るのが尾花夏樹の強烈なキャラクターとそこから生み出される独特のセリフである。
尾花夏樹のキャラといえば…。何よりも料理バカで、料理以外のことは考えていない。他人の助言に全く耳を貸さない(これは倫子との出会いで徐々に変わっていく。この尾花の人間的成長もこのドラマの一つの見どころ)。全て自分のペースで進める、つまり自分勝手。無愛想。そして、不器用。自分の気持ちを素直に伝えられない。相手をけなすことはできても、相手を素直に褒めることができない。ちなみに部下の作った料理にOKを出すときも、ただ官能を味わっている独特のポーズで示すのみである。
では、まずは尾花のセリフが大体どんなものか?典型的なシーンを第6話から紹介しよう。このドラマは各話が、「グランメゾン東京」のメンバー一人一人に焦点を当てる構成になっている。この第6話はこの店の立ち上げメンバーである芹田に焦点。(彼の料理人としてのキャリアは居酒屋での半年のバイト経験のみ)芹田はこの店で修行を積んできたが、尾花の厳しい一言で心が折れ、メイン料理のレシピをライバル店に流してしまう。しかし、それから紆余曲折あって、レシピを流した事実を仲間に告白して謝罪。その上で、「最後にもう一度だけ賄い飯を作らせてください」と頼み込んで、陰で練習を重ねたサワラのチャーハンを作ってみんなに出す。すると、全員がその味をうまいと褒める。以前は「まずい」と食べなかった尾花も完食。そして、芹田に向かって一言。「片付け終わったらサワラやっとけよ。」と。「えっ、いいんですか?俺ここにいても。」驚く芹田にすかさず尾花が一言、「仕込みはお前の仕事だろ。」そこでエンディング曲・山下達郎の「レシピ」が流れる🎶。
ほとんどの回がこうした尾花のセリフでエンティングを迎えているところをみると、尾花のセリフがこのドラマの大きな要素となっているのは間違いない。そして、尾花の言葉を受けた部下の表情、行動の変化が、尾花のセリフがいかに彼らの心に残り、影響を与えているかを伝えてくる。そして、それが観ている私たちを惹きつける。いったいなぜ尾花のセリフはこんなに人を惹きつけるのか?
すぐに浮かぶのは、尾花夏樹の素直でない性格とセリフが絶妙にマッチしているところだろう。ぶっきらぼうな性格の男性が好きな女性に対して、「そこに居ても構わんよ。」と言うみたいな。(ビッタリくる表現が出てこない😭)高倉健の「不器用ですから。」というのも、ギリそれに当たるかもしれない。そうした屈折した性格が捻り出す妙みたいなものが人の心を捉えているのだろう。しかし、それだけではない。
ここはもう一度さっきの場面に戻って、尾花の言葉を受け取る芹田の立場になってみよう。芹田の発した「えっ、いいんですか?俺ここにいても?」に対して、尾花が「もちろんだとも。」と返したらどうだろう?多少尾花のキャラを入れて「うっせえな。当たり前だろ。」で考えてもいい。ドラマでの「仕込みはお前の仕事だろ。」とどこが違うか?
前者は明らかに寛容の精神を出しているが、かえって部下に恩を着せることになってしまう。それに比べて後者はあくまで業務命令、それ以上でも以下でもない。当然のことを言ったまでであり、そこに恩も感情も入る余地はない。しかし、結果としてはどうだ?受け取る側はしっかりと愛情を受け取っている。この恩着せがましくないところが、受け取る側、さらには観ている人の心をとらえるのではないか?
尾花という人間は、他人である相手を責めるのも、拘束するのもあくまで業務内にとどめるべきという考えがありそうだ。裏を返せば、自分は仕事以外のことで、他人に色々言うことのできる人間ではないとの自覚があるようだ。
私のようなありきたりの人間は、部下が仕事に遅刻したらどういう言葉を発するか?「だらしない。もっとしっかりしろ。」とかだろう。部下の仕事がテキトーだったら、「もっとしっかりやれよ。」と叱るだろう。これを世の中では「説教」という。こうした言葉は、少し大袈裟に言えば、部下の人格の部分に言及している、親でもない他人がだ。
尾花はこの地雷を決して踏まない。このシーン以外でも、部下を叱るときは、「それで三つ星が取れると思うのか?」「こんなものをお客様に出してどうする?」といって必ず業務に関連させ、人格と切り離す。部下を叱るのはあくまでも仕事上のこと、人格に対してはノータッチなのだ。それは裏を返せば、部下であろうと一人の人間としてしっかり尊重しているということ。尾花のセリフに私たちが惹かれるのは、そんなところもあるのだろう。
しかし、さらに上乗せすべきものがある。そして、これこそが尾花夏樹の真骨頂であろうと。それはいったい何か?徹底したプロフェッショナリズムだ。そのことをもっとも表しているのが終盤に尾花が出す「マグロをやる」というセリフである。
グランメゾン東京も軌道に乗り、ミシュランの調査が始まる時期を迎える。それに向けて新メニューを仲間が完成させていく中、メインの魚料理だけが決まらない。そこで尾花は「マグロをやる」と言い出す。「日本で三つ星を撮るためにはマグロしかない」というのが理由だ。マグロはフレンチで使うのが難しい魚とされているそうだ。フレンチの鉄則は火を通すこと。ところがマグロは鉄分が多く、火を通すと味が変わりマグロ本来の旨みを失ってしまう。だから難しい、というかできない。しかし、それでも尾花は「マグロをやる」と譲らない。
しかし、もう間に合わない、そう判断した倫子は、自ら魚料理のレシピづくりに没入、ミシュランの一つ星調査が入る直前にサワラのレシピを完成させる。同時に尾花もマグロ料理を完成させて厨房で試食会。仲間全員がどちらの料理にもオッケーを出すが、尾花はマグロに執着し、「一つ星、二つ星の調査はサワラでいくが、三つ星のときはマグロでいく」と言い放つ。そのときは尾花に同意した倫子だったが、三つ星の調査員らしき二人連れが来店、いよいよ魚料理を出すというときになって、「やっぱりサワラでいく」と決断。その倫子の力強い声を聞いた尾花は「じゃあ、おれはいなくていいな」と言い残して厨房から立ち去る。そして、「グランメゾン東京」は三つ星をとる。
なぜ尾花は「マグロをやる」と言いつづけたのか?それは倫子に自分自身が出す料理に自信を持たせるためだった。尾花がフランスで三つ星をとれなかったのは、最後の最後に自分の料理を信じることができなかったからだと考えていた。そして、倫子がそのときの自分と同じであると感じた尾花は、長年の夢であるマグロ料理に挑戦するという名目でスーシェフ(副料理長)からてを引き、倫子に自信のもてるレシピ作りに専念させ、さらに、倫子にマグロではなく自分の料理で行くことを決断させるによって自信を持たせ、倫子に三つ星に導い他のだ。
「マグロをやる」にはまだまだ意味がある。パリでの失敗で自信をなくしていた平古を自分に代わるスーシェフに引き上げるときもマグロを使った。「うちの店には平古の力が必要だ。なぜなら、俺はマグロ料理に挑戦する」といった調子だ。スーシェフを平古に譲るために、自分がやりたかったマグロの挑戦を利用したのだ。
倫子のためにもマグロを使った。ミシュランの調査開始の10日前、尾花はフランス三つ星レストランの恩師から東京オリンピックに合わせて東京で姉妹店を出したいのでそこのシェフをやってくれないか?との誘いを受けていた。すごいチャンスである。相棒の京野が尾花に「行かないのか?」と声をかけると「どこにも行かねーよ」と尾花。「倫子さんのためか?」と京野に訊かれた尾花はやはり、「マグロのため」と答える。本当は倫子に三つ星を取らせたいから店に残るのだが、それを絶対に口にしない。
尾花夏樹はいつだってそう。部下を叱るときも、部下を引き止めるときも、部下を上に引き上げるときも、そして仲間を見捨てたくないときも、料理という軸から足を絶対に離さない。全て料理に引き付けて言葉にする。それがプロフェッショナルというものか?
尾花夏樹は縁あって料理の世界に足を踏み入れた。そして、料理という窓を通じて人を見て、世の中を見てきた。そして、常に小さなその窓からものを考え、言葉を発してきた。それ以上、それ以下でもない。キムタク演じる尾花夏樹のセリフの魅力はそんなところにあるのではないか?
これが果たしてエッセイと言えるのか?門外漢には分からないが、もしもこれを読んで「グランメゾン東京」が観たくなった!という人が現れたら、それはそれで書いた甲斐があったというものだ。ところで尾花夏樹よ、オレが言ってたこと、そんなに的外れではなかったのではないか?「るせ〜な。オレはマグロで忙しいんだ。」
(番外編)そういう視点で世の中を見ていると、尾花のようなセリフをあちこちで見出すことができる。私の中で印象に残っているのは、「松本人志のすべらない話」に来賓として出演していた予備校講師の林修さんのセリフだ。来賓できている多くの有名芸能人、アスリートが普通に感想を述べているのに対して、林修さんは自分の教科である現代文の段落構造を借用しながら千原ジュニアのすべらない話を深掘りしていた。こんなときも自分の軸を忘れないプロフェッショナルな姿勢に尾花夏樹と同じもの感じる。
もう一人、芸人の中で光るのがブラックマヨネーズの吉田である。最近では学識経験者に混ざってお笑い芸人がコメンテイターとして登場する場面が増えたようだ。これ自身、何の問題もない、というかむしろ意見が多様化して好ましいと思うのだが、それらの芸人の発言を聞くといつも出ているインテリの視点と何ら変わらないことが多い。そんな中、異彩を放っているのがブラマヨの吉田である。芸能人の不倫などでも、道徳的というか上から目線ではなく、お笑いの視点でうまく切り取ってみせる。この吉田の自分の軸にぐっと止まる姿勢にも尾花に共通したプロフェッショナルを感じる。
これは辛口で言うのが多少憚れるのだが、尾花やその二人と対極的なのが中高の先生方だ。各々の教科という素晴らしい軸が持ちながら、その軸から足を離して、自分の教科とは全く離れたところで生徒の指導にあたっている。これでは尾花のような魅力的なセリフで人を惹きつけることはできない。教師はいわばその教科のプロフェッショナル。そこに軸足をおいて、教科をもっと深掘りして、そこから生徒に接していけば、もっと魅力的な職業になるのになあと思う。