小説のかけら 7 【居場所を探して】
壊れかけのノイズが耳から遠くで鳴る。壊れかけの愛はとても脆く儚く悲しかった。夜明けの空に明るく月と星が希望のように見え映って、まるでそれらをかき消すかのように始発が走った。電車は悲鳴を上げて線路上を滑る。私の場所など、どこにもなかった。
あと少しで手が届きそうなところまで願いごとが叶っても、いつもそれは完全な夢のかたちをして私に降りることはなかった。私は最近では願いごとをすることも努力することもひどく億劫になり、煙草を吸いながらただ星空を眺めている。無いものねだりだ。分かっている。それでも私は。
近付いて近付いたはずがそれはいちばんの遠回り。君を遠ざけてしまった僕。
消えてなくなるのが夢だと知りました。儚く露となるのが愛情だと知りました。長い間、恋情を抱えて歩いていました。長い道のりを君と歩いて行けたらと願い続けて私はいました。再会が奈落なら時を戻したい反面、これで良かったのだと。それでも日常は続くのです。
好きな音楽、一曲一曲の思い出を共有出来ないように。好きな本、一冊一冊の思い出を共有出来ないように。当たり前に複雑な人生を誰かと共有することは出来ない。それでも限りなく寄り添って歩いて行きたい、生きて行きたい思いは、誰も笑うことは出来ないのだろう。
コップに入れた氷が鳴る。当たり前に暑い夏。水を注ぐ前、彼は言った。お前とはもうやって行けない、と。私の片手には水の入っていないコップがひとつ。開けた窓から入る、蝉の鳴き声がいやに耳に付いて離れない。切り取られたかのように時間が止まる。私はコップをシンクに置いて言った。そっか、さよならだね、と。
片羽のように寄り添っても、どんなに傍にいても、いびつなかたちをしたさびしさという隙間は埋められなかった。一緒にいると互いは互いの為に傷付くような、傷付き続けるような気がした。それでも手を離せなくて、ふたり、陽だまりの中で影を作る。
押し込められたような狭いアパートのワンルーム。窓辺で、流れ行く電車と一本足の外灯を見ながら煙草を吸うと、どこにでも行けるような、どこにも行けないような、不思議な気持ちになった。流行りの歌をイヤホンで繰り返し聴き、私は私の気持ちの落としどころをずっと探していた。
同じ場所で泣き続けても手に入らないと知った。確かなものなどなにもなくても、前に進むしか道はないのだと思い知った。約束など、どこにもない。鐘の音が聞こえなくても行くしかないのだ。それが自分の為になると分かったから。きっと。
さあ、運命の鐘が鳴る。ただ大切なものだけを零れ落ちぬように抱えて、鐘が鳴りやまぬ内に走り切るのだ。
星に願いを掛けても、もう叶うわけがないことは知っていた。私たちは、とうに純粋な幼子ではない。それでも大人たちの言いなりになるしかない現実は、ただひたすらに星に願うしかない夢を私たちに見せた。流れ星、と口にした君の横顔は、見なければ良かったと思うくらい悲哀に満ちていた。きっと私も同じ顔をしているのだろう。それでも私は君の指差した方向に願いを掛ける。
ひとりでは寝付けないのに、ふたりだと眠れた。まるで君の体温を享受して、明日を待ち切れない夢みる体と心。新しい朝などいらないと子供染みたことを思っていた私は影になり、日向の私はただひたすらに君の隣で眠り、来るはずの明日を待っている。
世界の果てなんか、何処にもない。世界の果てになんか、行けるはずがない。僕たちに行く場所なんて、ない。それは決して世界の狭さを嘆いているわけではなく、未来を悲観しているわけでもなく。ただひたすらに閉じた庭でふたりだけでいたいだけの僕たちの願いは、時間が経つほどに、不可能になって行く。
真夏の太陽が輝かしいせいにして、僕は君の好きなオレンジシャーベットをふたつ買った。こんなに暑い日、きっと君は冷房が良く効いた部屋のフロアリングに頬を付けるようにしているだろう、そんな勝手な予測を短くメールすると、うん、と返事が返されたから。僕は苦笑し、オレンジシャーベットを買いに家を出たのだ。コンビニに寄り、そのまま君の家を目指す。インターホンを鳴らすと、少しの間があってドアが開かれた。シャーベット買って来た。言いながら僕がコンビニの袋をがさりと掲げると、たちまち笑顔になる君。まるで向日葵のように思えて、僕は真夏に感謝する。
月が潤み、星が揺れる夜。私は安物のイヤホンをして、ただひたすらに「LOVE」を聴いた。音質の良くないそれは壊れ掛けのラジオのようにノイズを交えて私の内耳に届けられる。歪みながらも真っ直ぐに刺す「LOVE」は私を悲嘆に酔わせるには充分すぎるほどだった。