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お盆に故人を偲ぶ

お盆、一年に一回夏に先祖の霊をお迎えして魂を供養する期間です。
私の育った家はこういった風習をあまり大事にしていませんでした。
でも自分が大人になって、日本の風習には大切な考えがつまっていると思うようになりました。

全ての人にはお父さんとお母さんがいます。
遠い昔からずっとずっと命が繋がって、いま私たちが生きている。
繋がってきた命のどれか一つでも欠けていたら私たちは存在しなかった。

私は18歳の頃うつ病と診断されました。
学生時代はずっと「生きるのが向いていない」と感じていたし、「うまく生きられないなら死ぬしかない」と思っていました。
もし私があのとき生きることを諦めていたら、娘はこの世に存在しなかったんだなぁ。
そう思うと、私たちの命はとんでもない奇跡の連続の中で生かされているのかもしれないと思わされます。

辛い、苦しい、死にたい。
そんなことで頭がいっぱいだった頃、本気で心配して、本気で関わってくれて、本気で大丈夫だと言ってくれた人がいました。

その人は私のお婆ちゃんの弟の奥さんにあたる人です。
私にとっては血の繋がりもない遠い親戚のおばさん。
10年以上前にガンが見つかって3ヶ月ほどであっという間に亡くなりました。

とても面倒見が良い人で、親戚が集まるといつも大量の手料理を振る舞い、女性陣には着なくなった大量の服をプレゼント。
そんな一大イベントのような賑やかな集まりも、ひいおばあちゃん(お婆ちゃんのお母さん)が亡くなってからは徐々になくなり、おばさんとは滅多に会わなくなりました。

私がうつ病で大学を休学しているとき、おばさんの家に行く機会がありました。
笑えない、言葉を発することもできない、変わり果てた私の姿を見たおばさんは「なんでこんなにも若い可愛い子がこんな顔をして生きないといけないんだ」と目に涙を溜めてどこかに怒りを向けていました。

「私のかかりつけ医に見せに行く」とおばさんは私を連れ出しました。
東京の下町、賑やかな商店街を俯きながら必死におばさんの後ろ姿を追いかける私。
連れて行かれたクリニックはなんと中休みで休憩中の先生を呼び出して無理やり診察。
いつもお世話になっているからと先生はにこやかに受け入れてくれました。
10分くらい診察を受けて先生と2人でおばさんのところに戻ると「先生、大丈夫なの?」とおばさんが詰め寄って、先生は「大丈夫、大丈夫ですよ」と柔らかく笑っていました。

その後は「食べたら元気が出るから」と言って、おばさんの行きつけのお蕎麦屋さんへ。
ずっと昔からあるような佇まいで、古くて薄暗い店内。
お店の雰囲気には似合わない立派な天ぷら蕎麦が運ばれてきました。
そこで話してもらったことは、いまはもう思い出せません。
ただただ泣きながら必死に蕎麦をすすった記憶だけが残っています。

正直、おばさんがしてくれたことのありがたさは当時の私にはわかりませんでした。
でもいまになって思い返すと「あの時おばさんに救われていたんだ」と思うのです。

おばさんのお葬式の日も私はまだ心を病んでいました。
ちゃんとありがとうを言えないまま会えなくなってしまったけど、お盆の時期にはおばさんを思い出してありがとうを伝えています。

私がいま生きているのは、命を繋いできてくれたご先祖様のおかげ。
そして、血は繋がっていなくても関わってくれた人たちのおかげです。

数えきれないほどの奇跡に生かされている今を、もっと大切に生きていこうと思います。

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