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ゴビ砂漠250kmマラソンへの挑戦

2024年6月、ゴビ砂漠250kmアドベンチャーレースに出場しチームメンバー14人全員で完走してきました。

私が「砂漠マラソンに出たい」と思ったのは2019年です。

2020年4月のナミブ砂漠でのレースに出場する予定でしたがコロナで大会が中止に。
2023年11月にやっと4年越しでヨルダンのレースに挑戦できる!と思っていたら出発の1週間前に紛争で中止。
2024年6月、ついにゴビ砂漠で初めての挑戦が叶ったのです。

やると決めてから気づけば5年もかかっていて、私はこの間に出産も経験しました。

5年の間に辞めていったチームメンバーもたくさんいたし、二度も中止だなんて「行くな」ってことなのかな?と悩んだこともあります。

挑戦を終えた今、悩んだことも苦しかったことも含めて全て、宝物のような経験だったと心から思えています。

私たちのチーム名は【TEAM A☆H☆O】

A  明るく
H  他の誰かを
O  応援する 僕たちの挑戦で

という想いが込められています。

私は今回の挑戦や経験を多くの人に伝えたくてブログを書くことにしました。

大人になると『挑戦すること』が難しく感じることはありませんか?
何かと理由をつけて自分のやりたいという気持ちをなかったことにしたり、とかね。

挑戦って最後までやり遂げることだけが素晴らしいわけではありません。
途中で辞めてしまったとしても全然いいんです。
やってみて楽しかったり、嬉しかったり、うまくいかなかったり、悩んだり、そんな経験全てが価値になるんです。
価値ある経験は未来で必ず私たちを支えてくれます。

このブログであなたの人生を応援できたら嬉しいです。

◼︎あなたは自分の直感をどこまで信じきれますか?

私は自分の直感を人生の指針にしています。
直感とは【答え】だと思っています。

この直感が何に繋がるのか全くわからないことだってある。
むしろわからないことの方が多いのかもしれません。
でも「これだ」という確信だけがあるのです。

だから進んでみる。
やったことがなくても、理由がわからなくても、不安でも。


◼︎直感は突然に

私はその時、薄暗いトイレの個室にいました。

百貨店で接客業をしていて、人間関係も良好。
でも一人の時間がないと耐えられなくなるから休憩時間のほとんどをトイレの個室で過ごしていたのです。

私はもともとうつ病で、働けるようになること、自立することが目標でした。

ある日「あぁ、私もう頑張らなくても働ける」と思えた瞬間がありました。

それと同時に「次は何しよう?」という問いが自然に湧いたのです。

そんなとき、ぼうっと見ていたFacebookの投稿が目に入りました。
『ナミブ砂漠250kmマラソン、女子チーム募集します』
瞬間的に「これだ」と確信しました。

心臓がドキドキしている。
全く意味がわからず困惑しているのがわかる。
でも「これなんだ」と思った。

だからすぐに行動したのです。
私はすぐにチームを立ち上げた二人にメッセージを送りました。
「はじめまして…」と。


◼︎予想外のハードル

顔合わせを兼ねて一度合宿をやろう!
ということで大阪で集まることになりました。

さぁ、困った。私はずっと引きこもっていたんだった。
一人での移動は名古屋にある自宅と三重の実家への行き来しかしたことがない。

当時27歳、10歳から積み上げたネガティブさ、自己肯定感の低さ、入院レベルのうつ病と引きこもり経験はかなりの重みがありました。

あぁ、私はとんでもないことをやりたいと思ってしまったのかもしれない。
人よりも越えなければいけないハードルが多いことに気づいてため息が出ました。


◼︎打ちのめされた初合宿

何日も前から、何度も何度もシミュレーションを重ね、スマホを活用しながらバスや電車を乗り継いでなんとか辿り着きました。

これは本当に自分を褒めてあげたい。
初めての土地に1人で移動、めちゃめちゃ頑張ったんだよ。

集合場所は大阪の海遊館の近くでした。
ここは小学校の修学旅行で来たことがある。
懐かしさと同時に苦い思い出が蘇ってきたんだけど、自分の中の何かが消化された気がしました。

集まった女子はなんと15人!
この15人全員が「女子が苦手」と主張していて、おかしな集まりだなって思った覚えがあります。

ところで、突然だけど初めましての時にやる事ってわかりますか?
私は移動のことばかり考えていたから忘れていたんです。
『自己紹介』というものの存在を…。

ああああ。忘れてたぁぁぁ。苦手な自己紹介。
頭の中は真っ白で、何を話したかなんて全く覚えていません。
ただ、話しながら泣いていたことだけ覚えています。

なんだかコミュニケーションがうまく取れない。

よくわからないけど込み上げてくる感情とうまく話せない情けなさ、いろんな感情が入り混じっていました。

そうか、私は社会に出て7年間ずっとどれだけ人と仲良くなっても職場だけの付き合いにしようと徹底してきたんだ。
だから敬語でしか話せないし、仕事上の会話や接客はできてもプライベートな会話ができないんだ。

合宿は楽しかったし、そこに行けたという達成感もあった。
でも、合宿を終えて家に着くと疲れがどっと押し寄せてきました。

こんなので大丈夫なのかな…。

250kmはとても長いけど、諦めずにただ歩いてさえいればゴールできるから楽だと思っていました。(絶対楽ではないけどね。笑)

私にとってはスタート地点に立つまでが一番複雑で険しい道のりだったのです。


◼︎2度目の合宿in神戸

私が所属している『TEAM A☆H☆O』の中には男女混合チームと、女子チーム、早さを追求するチームの3チームがありました。
今回はこの全員が集まる合宿でした。

元引きこもりの私にとってこの大人数はとても居心地が悪いというか、慣れない環境でした。

全員の自己紹介が終わり、何人かがクラウドファンディングに挑戦しようとしていることがわかりました。

ふーん。クラウドファンディングかぁ。
私みたいに友達も知り合いもほとんどいない人間にとっては関係のない話だな。
なんて思っていたのに、またまた直感が働いてしまったのです。
「私には応援してくれる人はいない、でもだからこそ挑戦する意味がある」
もう自分の頭がおかしくなったのかと思いましたよ。本当に。

でも直感って考えて理解できるものではないんです。
体の感覚で「これなんだ」とわかってしまう。
結局私はクラウドファンディングに挑戦することにしました。
だって直感は『答え』だから。


◼︎初めてのクラウドファンディング

65日間、毎日必死に想いを文字にしてSNSに投稿しました。
正直、自分をさらけ出すのはすごく抵抗がありましたが、その時できる精一杯をやるしかなかった。
泣きながら書いた投稿もたくさんあります。

投稿を続けていると徐々に応援してくれる人が現れて、仲間がシェアしてくれたり、コメントで盛り上げてくれたり、たくさんの人に支えられながら45万円もの資金が集まりました。

金額はもちろん嬉しかったけど、それよりももっと嬉しかったのは人の純粋な温かさが自分に向けられていることでした。

ここでカミングアウトしますが、私はクラウドファンディングを終えてからこの話題に触れることを避け続けていたんです。

かなりエネルギーを使って大変だったというのもあるけど、当時は加減なんて考える余裕もなく、むき出しで「私はこんな人間です!応援してください!」と苦手な自撮りなんかもしたりして、これでもかと言うほど自分をさらけ出してきました。

だからこそ、そんな自分が痛々しく思えたり、振り返るのも恥ずかしかったりしてあまり思い出さないようにしていました。

でも今回ブログを書くにあたって覚悟を決めて過去の投稿を読み返すことにしたんです。

最初は心がザワザワしていたんだけど、段々とじんわりと温かくなってきました。

こんなにいっぱい応援してもらっていたんだな。
こんなにいっぱい温かい言葉をもらっていたんだな。
仲間がしてくれたシェアにも感動しました。

改めてありがたいなぁと思ったし、挑戦するって素晴らしいなと思いました。

挑戦したことが振り返りたくないくらいの思い出になったとしても例えば5年後、10年後、もっと先の未来で背中を押してくれることもあるんだと知りました。

当時、勢いで始めたクラウドファンディングで応援してくれた人たちには本当に心から感謝しています。


◼︎まさかのコロナで大会が中止に

正直、中止になることがあるなんて考えたこともなかったです。
私たちの出場権利はそのまま次の希望する大会にスライドすることが可能でしたが、いつ行けるのかもわからない状態。

コロナで色々なことが大きく変化し、辞退していく人もいました。
仲間が減っていくたびに寂しさはあったんだけど、すっきりした顔で辞退を選択し次に進んでいく姿はとても印象に残っています。

最後までやり遂げることが全てじゃない。
生きていれば思いもよらないことが起こることもある。
そんな時はその都度選択すれば良いんだと感じさせられました。

私は行かない理由がなかったので「行く」を選択しました。


◼︎北海道で合宿

コロナを機に北海道に移住したメンバーがいて、北海道で合宿をすることになりました。

飛行機なんて修学旅行でしか乗ったことがなくてチケットを取るのに1週間もかかって少し自己嫌悪に。
迷子常習犯の私は飛行場までの電車を乗り間違え、ほぼ初めての飛行場に戸惑いながらなんとか到着しました。

初めてのことってやっぱりストレスがかかります。
でも私のこんなエピソードを「面白いね」って笑ってくれる人が
周りにたくさんいたから心が救われていました。

当たり前のようにできることって人それぞれですよね。
私はこの挑戦を始めてからできることがとても増えました。
人と話すこと、一人でどこかに行くこと、他の人にとっては取るに足らないようなことでも全てが自信になっていきました。
挑戦って素晴らしいね。

コロナの自粛モードで外出の機会が減っていたこともあり、久々に仲間と過ごす時間はとても楽しかった。
こんな時間が楽しいと思えている自分の変化にも驚きました。


◼︎私、子どもが欲しくなりました

合宿から帰ってきて、レースはまだ行けそうにない雰囲気。
どうしようかな〜なんて考えていたところ「あ、先に子どもが欲しいわ」と、ふと思いました。

待て待て私。
子ども産んでからレースって正気か?
行けるタイミング全く分からないし
妊娠するかも分からないし
妊娠したら行けなくなる可能性もある。
あれこれ考えても仕方ないのですぐ夫に言ってみました。

私: 「私子ども欲しいんだけど」
夫: 「知ってる」
私: 「え、砂漠マラソンも出たいんだよ?」
夫: 「うん、知ってる」
私: 「どっちもいいの?」
夫: 「良いんじゃない?」
私: 「じゃあどっちも叶えたいです」
夫: 「わかった」

どちらも叶う保証はない。
でもどちらも叶えたい自分の想いを優先しました。

そしたらなんとすぐに妊娠したのです。

実は直前の北海道合宿で
「子どもできちゃう人とかいるかもね〜」
「ゆみちゃんとかあり得そう〜ははは」
って冗談で言われていたんです。
私もいやいや、ありえないでしょと思って流していました。
後からそれを言っていた本人聞いてみたら
「え?私そんなこと言ってた?」ですって(笑)

軽いエネルギーって本当に実現しやすいんですね。


◼︎妊娠、出産という大きな体の変化を受け入れる大変さ

心の準備もできないまま妊娠してしまったこともあり
自分の体の変化に戸惑うばかりでした。

運動どころかベッドから起き上がれない、食べれない、筋肉はあっという間に落ちて体重が5kgも減る。
骨盤はどんどん開いていくし、お腹周りに肉がつく。
酸素、血液、栄養、全てがお腹の子優先になっている。
そこに私の意思なんてなくて、ただただ体だけがものすごいスピードで”母”に変化していきました。

妊娠前は好きなだけトレーニングして、その分強くなっていくのが心地よかったのに心と体が分離していくのを感じて辛かったです。

妊娠は自分が望んだことでもちろん幸せなんだけど、思うように体を動かせなくなったことで大きな喪失感がありました。

出産したらしたで骨盤はガタガタ、睡眠時間も取れない。
とてもじゃないけどトレーニングどころではない。
「あぁ、これは無理かもしれない」と何度も思ったし、その度に「大丈夫、きっとベストなタイミングで行ける」と自分に言い聞かせていました。


◼︎ヨルダンに行こう!そして二度目の中止

無事出産し、コロナは私が想定していた以上に長引き、ラッキーなことにレースに行けないまま娘はどんどん大きくなっていったのです。

私たち【TEAM A☆H☆O】は2023年11月のヨルダンで行われるレースに出ることにしました。

この頃には娘は2歳半になっている。
母乳は卒業できているだろうし、私の体も十分回復できる。
この世界に神様がいるのかどうか分からないけど「神様、こんなベストタイミングを用意してくれて本当にありがとう」と本気で思いました。

なのに、まさかの隣国の紛争で出発の一週間前に中止になってしまったのです。

中止のメールが届いた時、すぐに理解ができなくて3回くらい読み返してやっと受け止めることができました。

二度目の中止。こんなことってあるんだね。
ヨルダンはとてもハードなコースだったからみんなたくさんトレーニングしていたし、準備もしていた。
今回は絶対に行けると思っていたのに…。

「行くなって事なんじゃない?」と友達に言われたこともあったし、ここでまた辞退を選択するメンバーもいました。


◼︎ゴビ砂漠に行こうか

また仕切り直しとなりました。
とにかく早くこの挑戦を終えたいという思いが強く、一番早く開催される、日本から近い、時差1時間という理由でゴビ砂漠を選択。

正直、心はワクワクしていませんでした。
ナミビアやヨルダンの砂漠はとても美しくてこんな所を歩けるんだ!って毎日すごく楽しみにしていたけどそんな気持ちもなく、なんとなく気分が乗らない。

二度も中止になって萎えていたのかもしれません。

ゴビ砂漠への挑戦は私にとって一番大変でした。

娘が大きくなって体力がついてきたから一緒に遊ぶ時間が長くなり、作るご飯の量も増え、家事と育児で一日があっという間に終わってしまう。
祖母が二人とも手術、一人はいつ死んでもおかしくない状態。
妹は子どもが産まれそうだし、娘の幼稚園探しも難航。

出発の2ヶ月前にオーバーナイトステージの練習で80km歩いたら人生初の膝の故障で1ヶ月半練習できず。

最後に一回だけ!と思って20km歩いたらまた膝を痛めて出発の一週間前に顔と頭に湿疹、頭痛、眼球は充血してブヨブヨに。

練習をまともにできず、コンディションは最悪。
もう一気にいろんなことが起こりすぎて笑うしかなかったです。


◼︎いよいよ出発の日

始発の電車で行くために朝4時に起きました。
スマホを確認すると1件のメッセージが。
祖母が亡くなったという知らせでした。

そっか。私はおばあちゃんのお葬式には行けないのか。
不思議と悲しくはなくて「心配しないで行ってきな」と見送ってくれたのかな?とさえ感じました。

人は皆んないつか死ぬし、私だってそれが次の瞬間かもしれない。
ゴビのレース中の可能性だってある。

死は常に隣り合わせなんだと改めて理解してやっと「いまやりたい事をやりきろう」と心が決まったように思います。

スタート前からもう既にボロボロだけど、行こう。

そしてゴビ砂漠に要らないもの全部置いてこよう。

続く

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