以前介護の仕事をしていた時につくづく思ったのだけれど、体力、気力、見た目とかって、すごく個人差ある。年齢って、この人が生まれてきて何年経った、という客観的情報でしかなくて、みんな違うように歳をとって生きている。 さて、自分は70歳、80歳になった時はどうなっているんだろう?と思うと、これまた未知の世界でしかなくて、全く想像ができない。 結局「今」しか生きられない。計画的には生きられない、刹那的な人生になるんだろうなーとは思うけど。 ここしばらく、他人の容姿や能力、環境、人
今まで生きてきて、学んだこと。 その瞬間瞬間、 悲しかったり、つらかったり、寂しかったり、苦しかったことも、 なんということでしょう。 ふりかえると、 楽しかったことしか思い出せない。 嬉しかったことをふと思い出して涙ぐむ。 けど、忘れることが最近の特技です。 答えを出したあと、回れ右をして次に行くことが最近の不得手です。 体が心に追いつかずちぐはぐで戸惑うけど。 でも大丈夫。 この今もきっと、 いつか笑って思い出せるだろうなぁ、と 淡い自分への信頼と自信を胸に
海で遊ぶとき。 海や森で生き物をつかまえたとき。 裸足で歩くとき。 花火をみる(する)とき。 綺麗な月を見つけたとき。 水族館の水槽に顔をくっつけて魚をながめるとき。 お風呂上がりにアイスクリームを食べるとき。 お日様に干したお布団のにおいをかいだとき。 そこでうっかりうとうとしてしまうとき。 遠い記憶の中の、10歳の頃の自分に出会う。 そんな時間が愛おしい。
時間は過去から続いてるものではなくて、 未来から流れてくる。 そんな話をどこかできいた。 もう過ぎてしまったこと、 終わってしまったこと、 すでに選択してしまったこと、 選択しなかったもの、 去っていった人たち、 そこに残してきた人たち。 振り返ってばかりいると、 今この瞬間を見逃しちゃうよ。 今、目の前から流れてくる輝いているもの、 流れ星、太陽の瞬き、 風のにおい。 自分自身の心も。
今のわたしはただ黙って、立ち止まってしまう。 考えることをやめ、 言葉を発することをやめ、 自分が傷つかないように、 自分が考えすぎないように、 ひとに誤解されないように、 つくり笑いで誤魔化して、 思ってもいないことを言葉にして、 わたしは石になってしまう。 しかし、果たしてそうしてわたしは自分を守れてきたのだろうか? かつては そうしたいと思ったときに、 自分はこっちへいくと答えを見つけたときに、 もうすでに自分は動いていた。 迷わず、ためらわず、 立ち止まってしま